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 ←奈秤戯言帳 其の三 →エピソード:アイアン・ドリーム
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「小説」
チェルノボグセカンドシーズン

エピソード:赤乳病の特効薬

 ←奈秤戯言帳 其の三 →エピソード:アイアン・ドリーム
◆登場人物紹介


◆ミノルス/牛乳屋/獣種・ミノタウロス/183歳
【外見】金髪が靡く頭部には牛の角が生えている。全体に褐色をしている。足は二足だが牛のそれ。集落一のおっぱいの持ち主。そしてニメートルを超す巨女。
【人物】非常にのんびりした性格。おおらかで細かいことは気にしない。気は優しくて力持ちを地で行く性格故、集落のみんなに愛されている。本人は過去にある人物と交わした一つの約束を胸に秘めているようだが……?


◆フィトリア/酋長(王を兼ねる)/龍種・黒龍/178歳
【外見】黒髪に同色の角が生えた頭部を持つ。首の後ろに襞襟のような呼吸器官がある。手足は肘と膝からドラゴンのものに変じており、翼も併せ持つ。龍の部分は総て黒く、肌は褐色。
【人物】酋長として誇り高く尊大な人物だが、傲慢ではなく話の分かる、民に親しむよい酋長。ある住民に思いを寄せている。実は秘密にしている性癖が……!?


◆リネオクン/薬屋/水棲種・クリオネお化け/44歳
【外見】触角付きの白いフードを目深に被ったような頭部を持つ。目がなく、口元でしか表情が分からない。胸の辺りまでは白いが、それから足に行くにつれて水色になって行く。クリオネの遺伝子の為、二本の足は触手に近い。胸元に赤い内臓器官が透けて見える。
【人物】スクラクの次女。メルシーの妹でバグラス、ガザニカ、ラムの姉。師である先代の薬屋コイカから教えを受けたこの集落唯一の科学者。冷静な人物で合理主義者。マロカ・クスフィスと並ぶ集落の若い知識人。


◆ケプリカ/雑貨屋/虫種・スカラベ/323歳
【外見】紫色の髪の毛を持つ頭部にはスカラベの複眼がある。背中には黄金の甲虫の羽があるが、飛べない。手足は肘・太腿から金色のスカラベのそれに変じている。脇の下から退化した服椀が生え、胸を保護している。
【人物】変な口調でしゃべるけち臭い雑貨屋。儲からない商売をしているが、財産のやりくりが上手く、家宝である『トード・エメラルド』を初めとした沢山の宝物を持っている。とても規則正しい生活を守っている。最近、倉庫番の地精ネムコといい感じ。


◆モモドメ/自警団員/虫種・半蜈蚣/148歳
【外見】黒いロングヘアの靡く頭には百足の触角が生えている。下半身は完全に大百足で、背中まで百足的フォルムが続いている。上半身の横側から百足の脚が生えて局部を隠している。
【人物】おっとりした性格で、一見すると自警団員には不向きにも思えるくらい能天気。しかし、昔賢者の使い走りをしていた為遺跡の内部に詳しく、遺跡探索では非常に頼りになるおねーさん。


◆リサリン/自警団員/虫種・ギルタブリル/99歳
【外見】人間大の蠍の頭部分から褐色をした人間の胴体が生えているような特殊な形を持つ。上半身に人外要素はなく、強いて言えば髪の毛が緑色をしているくらい。
【人物】ラクネアの異母姉でアドライアの娘の一人。自警団に属す前は狩人であった為、獣狩りの際は頼りにされる。手のかかる妹がいる所為で結構な世話焼きで姉御肌な人物。


◆ミガ/肉屋/獣種・人虎/134歳
【外見】茶色のロングヘアの上に虎の耳が生えている。四肢は肘と膝から虎のものに変じている。胸元や局部は毛を生やして保護している。尻から虎の尻尾が生えている。完全に虎になり切ることも可能。
【人物】細かいことはあんまり考えない実にチェルノボグ民らしいチェルノボグ民。結構な世話焼きでもある。未亡人であるがその問題には一区切りをつけた。最近は酒場の店主クジャの気を引こうと思っているらしい。


◆フモトト/魚屋/獣種・半熊/242歳
【外見】短い茶髪から熊の耳が生えている。両腕、両足、胸元、腰回りに熊の毛が生えている。尻尾も短いが一応ある。
【人物】ドリメアの妻でスピックの母。かなりのんびり屋の漁師。家庭内では父親的な役割を持っている。豊かな職歴を持っており、微妙に雑学に詳しい。蜂蜜大好き。






 水晶砂漠に、風が吹く。
 チェルノボグの住民のほとんどは、朝起きてからとる行動が決まっている。住処の入り口に植わっている『雨知らせ草』で天気を把握し、酋長フィトリアの城まで一日か二日分の『火種石』を貰いに行き、氷屋バグラスの所で一日分の水になる『圧縮氷』を貰う。チェルノボグでは一切の労働に報酬を払うのが厳密なルールとなっているが、特にこの二つに関しては日賦ではなく、報酬になるものが出来た時に払いに行くという方法がとられている。一種の税金に近い。チェルノボグに通貨なんて面倒なものはないのでもので払うのだが。
 そろそろお代持ってかないとなあ……と思いつつ氷屋バグラスの家から自分の家である木のウロに戻って来た牛乳屋ミノルスにとってもそれは同じであった。ミノルスは人面のミノタウロスである。彼女が売る牛乳というのはそのまま彼女の母乳なのだ。しかし、今日はどうにも不安があった。
『なんだか胸が重いなあ……』
 朝飯の苦蓬餅を喰う手もなかなか進まない。何か胸に違和感があるのだ。集落一巨大なおっぱいであるから当然重力も多くかかるわけだが、その慣れ親しんだ重さではない。まるで乳房の中に鉛でも入っているかのような、厭な重さであった。何かの病気かも知れないとは思うが、ミノルスはほとんど病気をしたことがないので感覚が掴めない。後で薬屋のリネオクンの所で何か薬を買おうかなあ……なんて呑気に構えていた。相当な重病であるとは、考えもしなかった。
 店を休むほどではないかな、と判断したミノルスは苦蓬餅を残して、水をリットルグラスに半分だけ飲んで店舗である岩屋に入った。岩屋の前には交通標識が置いてある。これは古道具屋クスフィスの博物館遺跡で発掘されたものである。店屋をやっている住民はこの標識を店の前に表向きに置くことで『不在』や『本日閉店』を示すのだ。標識が個別に持っている意味というのは誰も気にしない。ただ丸い金属板がついた金属棒が店の前に立っていればその店は今商売をしていないと認識するばかりである。
 ミノルスは標識をどかして、岩屋の中に入ってチーズの在庫を確認し出した。なんだか体も重い気がする。となるといよいよ病気か……後でリネオクンの所に行こう……そう思っていると「おおい」と声をかけられる。見ると、雑貨屋のケプリカであった。彼女は毎朝牛乳か、景気のいい時にはチーズ団子を買ってくれる上客であった。
「いらっしゃーい」
 重たい体を引きずるようにして岩屋の入り口まで行く。心なしか声にも元気がない。
「どうかしたのかや? なんぞ顔色がようないようじゃが」
 ケプリカでも指摘出来るほどに具合が悪いらしい。ミノルスは「ちょっと今日調子悪くて~」と言いつつ注文を聞いた。竹筒一杯の牛乳を、ということだった。
 ミノルスは自分の乳房を絞る時に、岩屋の奥の、これまたクスフィスの所で買った衝立というものに隠れて絞ることにしている。最初は人の前で絞っていたのだが、色々な意味合いを含む好奇の視線に倦んでこういう方法になったのである。
 いつもそうするように優しく、慣らすように自分の乳房を絞り始めたミノルスだったが、最初の一滴が落ちる時に「あっ」と声を上げた。「どうかしたかや?」とケプリカの声が聞こえた。ミノルスはゆっくりと、普段胸を隠しているチューブトップもつけずに、そちらの方へと歩んで行く。そのミノルスを見たケプリカは驚愕することになった。露わになったミノルスの乳房、その乳首の周りから、血が出ているではないか!
「何か、病気、かな……」
 驚くケプリカの前で、ミノルスは呑気なことを言って倒れた。真っ青になったケプリカが「あなや! ミノルス! おいミノルス! 返事をせんか!」と声をかける。薄く意識は残っている。しかし答えるだけの気力がない。僅かに残った力を振り絞り、頷く。それでケプリカは多少平静を取り戻したらしかった。
「少し待っておれ、自警団の連中にリネオクンの家まで運んで貰うよう頼んでくるわ」
 言い残してケプリカは慌ただしく去っていった。ミノルスは二足歩行型の住民の中では最も大柄で、ニメートルを軽く超す身長とそれに見合った体重の持ち主である。小柄で非力なケプリカ一人ではとても運べたものではないのだ。残されたミノルスは一人『これ、まずいなあ……』と薄れいく意識の中で考えていた。乳を搾ったからだろう、乳房の重みの中に、確かに痛みが混在していた。
 ケプリカは全速力で自警団の詰所に行った。すると都合よく自警団員のモモドメとリサリンがいる。自警団の詰所は連中の暇つぶし場所であるのだ。呑気に何か話し込んでいる。それでも、二人の自警団員はケプリカが尋常じゃない状態で走り込んで来たのを見て即座に立ち上がった。
「どうしたのよ、ケプリカ」
 リサリンが問う。
「ミノルスが倒れたんじゃ! 胸から血を流しておった! わっち一人じゃリネオクンの所まで運べん! 二人して運んでくりゃれ! わっちは先にリネオクンの所に行くでな」
「倒れてるのはミノちゃんの店かな?」
 今にも駆けだしそうなケプリカにモモドメが問う。ケプリカは「そうじゃ!」と言ってそのまま居住区の北外れにあるリネオクンの家まで走って行ってしまった。モモドメとリサリンは思わず顔を見合わせた。
「とりあえず、行こっか。あの様子だと結構深刻みたいだし」
「そうね。胸から血って、怪我かしら?」
 そうして半百足と半蠍の二人はミノルスの家を目指したのである。






 一方、リネオクンの薬屋では。
「リネオクン! 大変じゃ!」
 リネオクンが店舗にしている木のウロまで辿り着いたケプリカはことわりもなくその中に入って叫んだ。
「どうしたんですかケプリカさん。急患ですか?」
 医療に携わるものは常に冷静でなければならない。故にリネオクンも実験器具をしまいながら淡々と言ったのである。
「うむ、ミノルスがな、ミノルスがな、胸から血を噴き出して倒れたんじゃ! 今自警団の連中がこっちに連れて来る!」
 取り乱しているケプリカを手で制しつつ、リネオクンはあくまで冷静に問う。
「胸から血を拭きだしたって、どういう具合だったんですか」
 それでケプリカも少しは余裕が出来た。落ち着いてさっき見たものを整理する。
「血が噴き出した所は直接には見ておらん。ただ、わっちが牛乳を頼んだら『あっ』と声がして、戻って来たミノルスの乳首の周りに血がついていたんじゃよ。しかもそのまま倒れよった。わっち一人では何も出来んから自警団の連中に頼んだんじゃが……」
「その時、意識はありましたか?」
「気を失う寸前、という具合じゃった」
「ほう。厭な予感がしますね。実際に診てみないことにはなんとも言えませんが」
 ケプリカから病状を聞いただけでリネオクンは過去に読んだ累代の薬屋たちの記録文書から、その病気がなんであるのか推測していた。原因は分からないが、出血を伴っている以上、あまり気楽に構えられるものではないことだけは確かである。その時、「リネオクン! ケプリカ! 来たわよ!」と言ってリサリンとモモドメがミノルスを抱えて狭いウロに入って来た。
「お疲れ様です、二人とも。ミノルスさん、ミノルスさん、意識があったら、頷くだけで構いません、答えて下さい」
 ケプリカとモモドメ、リサリンが見守る中、リネオクンの診察が始まった。ミノルスはまだ微かに意識があるらしく、ゆっくり首を縦に振った。
「胸から血が出たのは今日が初めてですか」
 頷く。
「胸が重い、という感覚はありますか」
 頷く。
「その感覚は昨日以前からですか」
 首を振る。
「だるさはありますか」
 頷く。
「だるさや熱っぽいという症状は昨日以前にはありましたか」
 首を振る。
「乳を搾った時に、いつもと違う痛みはありましたか」
 頷く。
「痛みは乳房全体のものでしたか」
 やや躊躇って、頷く。
「一番痛かったのは乳首の辺りですか」
 今度はすぐに頷く。
「ふむ……発熱も少しありますね……乳房を絞って、サンプルとして血を頂きますが、構いませんね?」
 頷く。
 するとリネオクンはガラス管を手にミノルスの乳房を優しく絞った。乳腺から血が飛ぶ。上手くガラス管に入らず、何度か繰り返した。その度にミノルスは乳房が引きちぎられるような痛みを覚える。乳首の辺りなど、まるで無花果でも飛び出すのではないかというほどに異様な感覚と痛みがあった。「うぅ……」と呻くと、なんとか血が適量に達したらしい、リネオクンはガラス管を一先ず置いて、乳首の周りの血を拭った。そしてどんな異常があるかを確認する為、血を『構造解析鏡』にかけた。これは顕微鏡のような一種の魔法遺産で、対象の様々な意味での『構造』を知る為のものである。ケプリカたちは黙ってそれを見守っている。リネオクンは顔の造りの関係であまり表情が見えないのだが、この時の薬屋はそれでもなお分かるほど険しい表情を浮かべていた。
「これは……ちょっと待てよ? もう撲滅された筈じゃ……」
 構造解析鏡から顔を上げたリネオクンはウロの片隅にある箪笥の中から随分古いものであるらしい羊皮紙を探し出し、読み始めた。目的の情報はすぐに見つかったらしい。険しい顔で頷く。
「どうもミノルスさんは赤乳病に罹っているようです」
 そして見守る一同に告げる。ミノルスの方では絞ってもいないのに乳首から血が垂れ、息も絶え絶えな有様だった。
「突発性のようですが、しかし一気にまずい所まで進んでいますね。これは至急薬を用意しないといけない」
 どこまでも冷静なリネオクンにケプリカが慌てて尋ねる。
「ちょっち待て、せきにゅうびょうとはなんぞや? わっちでも聞いたこともない病気じゃぞ」
 ケプリカもチェルノボグの住民の中では三百二十三歳と結構な歳だが、その長い人生の中で赤乳病という言葉を聞いたことはなかった。その言葉に自警団の二人もうむうむと頷いている。
「知らないのも無理からぬことです。もう千年以上前に撲滅された筈の奇病ですから」
 リネオクンは記録の上から言う。チェルノボグの住民の平均寿命はケプリカと同じく三百代前半であるので、千年前というと大凡三世代ほど前である。リネオクンが手にした三代前の薬屋が残したメモにはこの病についての詳細が書き綴られていた。
「なんでそれがミノちゃんに?」
 モモドメの疑問ももっともである。千年前に撲滅された病気が何故に今、ミノルスを訪ったのか。
「原因は分かりません。ただ、このままだと命にかかわります」
「どういうことなの?」
 リネオクンの言葉に、皆に動揺が走った。リネオクンの方では努めて冷静に、記録から読み取れる事実のみを告げる。
「赤乳病というのは病原菌が乳腺に入り込むことで名前の通り、赤い母乳が出る病気です。ただ、進行すると乳腺に留まらず内臓の各器官にまで菌が侵入し、肉体が内部から腐っていきます。血液検査で分かることには限界がありますが、既に内臓にまで浸蝕が始まっている可能性もあります。あくまで最悪の仮定ですが」
 それを聞いたケプリカたちは深刻そうな顔を見合わせた。そんな奇病にミノルスみたいないい奴が罹ってしまうとは、なんたる不幸か。その思いは三人のみならず、リネオクンにとっても同様であった。それくらいにのんびり屋で気のいい牛乳屋さんは集落のみんなから愛されているのだ。






「それで、治す当てはあるの?」
「あります。どなたか、青琅山葵をお持ちじゃありませんか?」
「それで治るのかえ?」
「薬の材料の一つです。また、青琅山葵単体でも乳腺からの出血を抑える効果があるので、出来ればすぐに飲ませたいですね。私の方で持ち合わせがあればいいのですが、生憎今丁度切らしてしまっていて……」
 リネオクンの言っている青琅山葵というのは薬草の一種でもある高級食材である。名前の通り透き通るような青色の山葵で、薄荷のような爽やかな辛みがある貴重な品物であった。宝物の貯蓄ばかりあって食べ物は大して持っていないケプリカも、高級食材にありつくほどの収入がない自警団員二人も、揃って首を横に振った。かなり貴重なものなのである、青琅山葵は。
「ど、どうしようリネオクン、薬の材料がなかったら……」
 モモドメが心底不安そうに言う。
「少し、確かめてみましょう」
 言って、三人が青琅山葵を持ち合わせていないことが分かったリネオクンは、ウロに置いてあった郵便笛を取り出して外に出た。そして二回笛を吹く。これは郵便屋ルーヴァンに集落中への情報伝達を頼む時の合図である。すぐさま風精ルーヴァンが飛んで来る。
「どったのー、リネオク……ってあれ? 何この状況?」
 リネオクンの家にケプリカたちがいるのと、ミノルスが寝ているのをみとめた郵便屋は驚きの表情を浮かべた。
「見ての通り急患だ。薬として青琅山葵が欲しい。集落中のみんなに伝えて誰か持っていないか、持っているならすぐにここに来るように伝えてくれ」
「急ぎだよね?」
「命にかかわる緊急事態だ」
「おっけ、任せといて!」
 そしてルーヴァンは自らの体を風に変えて居住区の方へと去っていった。「うぅ」とミノルスが唸る。それにリネオクンは小さな丸薬を飲ませた。痛み止めである。熱もあるようで、解熱剤も加えた。そしてこの薬屋はこの病気と闘う為の薬を自宅の中から探し出そうとしたのである。ケプリカたちはリネオクンに指示されてミノルスの様子を見ていた。
「おーい、リネオクン!」
「いるか!?」
 少しすると、二つの叫び声がリネオクンの薬屋を訪った。魚屋の半熊フモトトと、肉屋の人虎ミガであった。
「おや、青琅山葵をお持ちで?」
 薬探しの手を止めて、リネオクンが問う。
「ああ。ただおいらもミガも自分の家にはない。倉庫だ。これからとりに行くつもりだが……」
「では早急にお願いします。ついでに私の倉庫に黒檀人参を漬け置いた壺があるので、それも持って来て下さい。栄養食にしますから」
「おっしゃ、任せろ!」
 人虎と半熊は凄まじい勢いで薬屋を出て北の共同倉庫めがけて走って行った。青琅山葵を持っていたのは案の定富裕層に入る食い物屋二人であった。
 見送りもほどほどに、リネオクンは再び薬探しを始めた。様々な文字が書かれた壺をあれでもない、これでもないと次々に渉猟して行く。文字が読めない三人はどうしようもなかった。
「ふーむ……これはまずいな……」
「まさか、薬がないのかえ?」
 リネオクンの不吉な発言にケプリカが食いつく。
「何せここ千年発症者が出てない病気ですからね……今ある薬に青琅山葵を加えたものでも効果的なものはちょっとありません。あんまり特殊な病気ですので……」
「え、ちょ、じゃあミノちゃんどうなっちゃうの?」
 モモドメの不安ももっともである。
「一応さっきの検査でどういう病原菌かは分かっていますし、どういう薬であれば効くかも分かります。このメモに丁度適合するものがありました」
 そしてリネオクンは三人には読めない、羊皮紙に記されたメモを見せた。
「これによれば青琅山葵と網戸小蠅の卵、そして紫毒蛾の卵を配合すれば赤乳病の特効薬となる……という理論が書いてあるわけですよ」
 リネオクンの言葉に、安堵が起こる。
「よかったー、じゃあミノちゃん助かるのね」
「我々が頑張れば、ですけどね」
 リネオクンの言葉に、不安がよぎる。
「……ああ、ひょっとして、薬の材料が足りないの?」
 リサリンが察して尋ねた。リネオクンは頷く。
「はい。青琅山葵はミガさんたちに任せるとして、網戸小蠅の卵はここにあります。最近実験の為に採りためておいたのが。問題は紫毒蛾の卵ですね。これだけはここにも、倉庫にもありません。そして蛾の卵なんて持ってる住民はいないでしょう。つまり、紫毒蛾の生息する石林遺跡まで行って、採集せねばならないということです」







 この言葉にモモドメとリサリンは互いに目配せした。遺跡からの物品採集はこの二人が自警団に属する前に従事していた仕事である。ミノルスの為とあらば、危険を厭う理由はどこにもない。紫毒蛾という昆虫は鳶ほどもある巨大な蛾である。名前の通り毒がある。そしてこの虫は集落の東にある石林遺跡にしか生息しない。霧の立ち込め、地面が悉く湿地帯となっている上にお化けが出る危険な遺跡であるが、熟練の自警団員が二人もいればさしたる脅威ではない。それはリネオクンも分かっているのだろう。二人に向かって言う。
「幸いにリサリンさんとモモドメさんがいるわけですから、採りに行きましょう。他の蛾の卵と混じってしまうと困るので私も同行します。どうせここにいても定期的に薬と食事、水を与えるというくらいしか出来ませんし、その役割はケプリカさんに代わって貰うことにしましょう」
「よっしゃ、任せい」
「私たちも腹くくったわ。ミノルスの為だものね」
「じゃ、リサリンがリネオクンを乗せてくってことでいいよね」
「ええ」
「はい」
 リサンリンの下半身は蠍になっていて、後ろに一人乗せられるだけのスペースがあるのだ。こうして、三人の探索者が石林遺跡へ向かうことが決定した。
 その時、「持って来たぞ!」という声が重なって聞こえた。ミガとフモトトが全速力で帰って来たのである。手にはありったけの青琅山葵と一壺の黒檀人参を持っている。
「丁度いいタイミングですね。モモドメさん、リサリンさん、私は今からお三方に看病の仕方を伝えますので、急いで遺跡に行けるだけの装備を用意してきてください」
 リネオクンの言葉にリサリンとモモドメは頷き、備えあれば憂いなし、危険領域に入っても平気なように自警団の詰所まで武器を取りに行った。
「ミガさん、まずは青琅山葵を細切れに切って、このすり鉢ですって、この薬液を少し混ぜてペーストになったのをミノルスさんに飲ませてください。一度目は今すぐ、その後はこれで時間を計ってください」
 そう言ってリネオクンはすり鉢と、巨大な砂時計をミガの前に差し出した。
「最初に飲ませたあとすぐにこれをひっくり返してください。すると砂が下に落ちていきます。砂が総て落ちたらもう一度青琅山葵をすって飲ませてください。それから、恐らく朝食もロクにとってないでしょうから、折りを見て黒檀人参を細かく刻んで、可能なら過熱して食べさせてください。なるべく早く帰るようにはしますが、薬は……」
 と、リネオクンは居残るミガたち三人に看病の仕方を教えた。時間を計る道具があるのは幸いであった。それも、分かりやすい。あんまり情報量を詰め込めない脳みその持ち主であるミガとフモトトはそれでも結構困ったが、ケプリカがしっかり把握したのでなんとかなった。
「来たわよ」
 見計らったようなタイミングで、リサリンとモモドメが戻って来た。リサリンは二刀の剣を、モモドメは槍を持っている。
「ではケプリカさん、看病はよろしくお願いしますよ」
「うむ。一刻も早よう帰るんじゃぞ」
「はい。では!」
 そしてリネオクンは自警団の二人を従えて東の石林遺跡に向かったのである。事は一刻一秒を争う事態であった。モモドメもリサリンも最高速度で石林遺跡に向かう。紫毒蛾の卵を手に入れる為に。
 そしてリネオクンたちが去った後、ミガたちは言われた通りに青琅山葵をミノルスに飲ませた。かなりいやいやという風であったが、ケプリカが「しっかりせんか!」と叱咤するとかろうじてそれを飲み干した。あとは容体を見て薬を与えつつ、リネオクンたちの帰りを待つばかりである。






 そう思ってほっと一息ついた一同は、次の瞬間吃驚仰天することになる。
「容体は落ち着いたか?」
 凛とした声でウロの外から声をかけたのは誰あろう酋長たる黒龍フィトリアであった。
「「「酋長様!?」」」
 三つの声が重なる。
「な、何故こちらに……」
 代表して、最年長のケプリカが問うた。
「何、先ほどルーヴァンめがミノルスの急病を騒ぎ立てておっただろう。妾の部屋にも聞こえてきてな。民が病とあっては放っては置けぬ。見舞いがてら看病に来たのだ」
 そうは言っても一住民の病気に酋長が見舞いに来ることなどそうそうない。しかも看病と来た。果たしてミノルスはどれだけ酋長陛下に気に入られているのか……などと考えたケプリカはふと『そういえば酋長様とミノルスは歳が近かったのう』と思いついた。フィトリア一七八歳、ミノルス一八三歳。住民の寿命が長いチェルノボグにあってはこのくらいの歳の差はほとんど同い年と変わらない。だからケプリカはそこに何かあるのだろうと考えた。割合に賢いのである、このケチな雑貨屋は。
「酋長様じきじきに看病して貰えるなんて、ミノルスの奴もさぞ光栄でしょう。なあ、ミノルス」
 そんなことには思い当たらないフモトトは天晴にもそう言った。ミノルスは「ぅ……」と少し呻いた。
「リネオクンは薬の材料探しか」
「はい、モモドメとリサリンが随行しています」
 酋長の問いにミガが答える。
「リネオクンは病名をなんと言っていた?」
「赤乳病というそうです」
 ミガの言葉を聞いたフィトリアは驚愕の表情を浮かべた。
「何、赤乳病だと。それは確かか」
「少なくともリネオクンはそう断定していました」
 リネオクンの腕を知らぬ酋長ではない。彼女がそう言ったのならば確かだろうと思い、顔に青が差す。
「妾も記録でしか知らぬが……まだ存在していたか」
 そして目を閉じて思案に耽る。酋長が看病するという以上何かあるのだろうと思った三人は押し黙る。少しして、フィトリアが三人に問う。
「リネオクンはいかなる看病が必要であるかを言い残して行っただろう。それを教えよ」
「ええと、この砂時計? の砂が落ちきる度に青琅山葵を煎じて飲ませて……なんだっけ?」
 記憶力のよろしくないミガがケプリカに助けを求めた。ケプリカはさっきリネオクンが言っていた通りのことをフィトリアに伝える。聡明な酋長はそれだけで看病の仕方を理解した。
「大儀である。皆はもうそれぞれの仕事に戻って構わぬ。ミガ、貴様は黒檀人参を料理してここに持ち来たるべし。後の始末は妾が行う」
「よ、よろしいのですか……?」
「構わぬ。それとも妾を疑るか」
「いえ。それでは仰せの通りにいたします」
酋長直々にこう言われてしまっては誰も刃向えない。心配はあったが、それ以上にフィトリアであれば大丈夫だろうという確信もあったので、三人はそのまま退出した。
「……行ったな」
 三人の後ろ姿が完全に見えなくなるのを確認したフィトリアは、リネオクンのウロに入ると自分の体に生えている鱗を一つ、力任せにむしりとった。そして適当な容器を見つけるとその上に鱗を持って行き、両の手で思い切り握りしめる。ドラゴンの握力で握られた鱗は砕けるのを通り越して粉末になってしまった。それでも少しの塊が混じっている。フィトリアはその一々を細かい粉末に変えていく。容器を置いて、クリスタル製のリットルグラスを持って外に出る。大樽の中には水が満ちていた。グラスに五分の一ほどの水を注ぐ。それを容器の中の鱗の粉末と混ぜ合わせると、それで一つの薬が出来てしまった。
「ミノルス、飲めるか」
 ミノルスを手ずから起こしつつ、その口元にリットルグラスを当てる。ミノルスはかろうじてそれを飲み干した。このドラゴンの鱗の粉末というのは一種の抗生物質としての薬効を持っている。それでミノルスは多少落ち着いたらしい。汗が段々に引いて行く。
「ひ、ひと……」
 苦しそうに、ミノルスは呟いた。
「無理をするな。落ち着いてからでよい」
 再びミノルスを寝かせ、頭を撫でてやる。
「息を、鼻で深く吸え」
 言われるがままに、ミノルスは大きく息を吸い込む。
「ゆっくりと、口から吐くのだ」
 今度は少しずつ、肺腑に溜まった空気を放出する。フィトリアはこれを何度か繰り返させた。これは東洋に伝わる『気功』という健康法の一つである。ミノルスの方も大分落ち着いた。
「フィトちゃん、ごめんね」
 そして、集落の誰もが様づけで呼ぶフィトリアを愛称で呼ぶ。二人の間にある感情が、身分の垣根を越えているのだ。フィトリアは黙ってその頭を撫でてやる。
「私、健康だけが取り柄なのにね……リネオクンたちの話も聞こえてたんだ。死ぬかも知れないって。怖くて、不安で、何も出来なくて……フィトちゃんが来てくれて、よかった」
 フィトリアが人払いをした理由はこれである。ミノルスとフィトリアは幼い頃から付き合いがあるので、酋長の威厳など関係なしに気安く話せてしまう。それを一般の住民に知られると、酋長としては格好がつかないのである。
「民を思うのは酋長の務めだ……もっとも、多少は私情も混じっているがな」
 フィトリアの言葉はどこか照れくさそうだ。
「もしかすると、死んじゃうかも知れない」
 あんまり具合が悪くて弱気になったのだろう。ミノルスはか細い声で言った。
「チェルノボグという国家の総力をあげて、お前を死なせはせぬ」
 フィトリアは力強く断言した。彼女は勿論、大賢者アドライアや湖守の賢者スクラクの助勢もあれば(もっともそれは手術が必要なほど重篤になった時だけのものだが)必ずミノルスを助けられる。己を信じ、己を信じる民を信じ、そしてミノルスの命の強さを信じるフィトリアの言葉には確信が満ち溢れている。確信を措いて、生命は存在しない。フィトリアには確信が満ち溢れている。その生命の太陽に照らされたミノルスは、しかし最悪の想像を脱し切れない。
「ねえ、フィトちゃん、もしも私が死んじゃったら、どうする?」
 ミノルスの言葉に、先ほどと同じ言葉を返すのは気が引けた。自分の死後を思う相手に『生きろ』というほど無慈悲なことはない。愛するミノルスがそんなことを言い出したのは悲しいことだが、生命の太陽たる己は答えねばならない。
「仮にお前が死んだとしても、妾はこのチェルノボグの酋長として生きていく。いつか次代の酋長にこの両肩にかかった誇りと責任を預けられるまで、誇りを戴いて生きていくばかりだ。番いを娶ることもあるだろう。そのものに真実の愛を向けられるかは分からぬ。それでもアドライアは世継ぎ問題を放ってはおくまい。妾とて子が要らぬわけはないからな。だが、ミノルス、お前の思い出は、決して消えぬ。妾は妾が叙勲する最初の逆鱗勲章を、お前の墓に供えるだろう」
 逆鱗勲章というのは酋長の番いに与えられる勲章である。久しぶりに旧友でもあるフィトリアとゆっくり話すことが出来たミノルスは、痛む胸が暖かくなるのを確かに感じた。そして、今も昔も、そして未来永劫変わることのないであろう彼女の誇り高い、力強い声を聞くと、懐かしい気持ちが湧いて来る。その気持ちは確かにフィトリアにも伝播したに違いない。二人は一緒に、昔を回想する。






 それはまだ、二人が二十歳にも満たなかった頃の記憶。
 今でこそ酋長としてその居城たる黄金大鐘楼という階段ピラミッドの城に住んでいるフィトリアであったが、幼少の頃は大賢者アドライアの居城白亞の森に住んでいた。これはある時代に『酋長への適切な教育を目的として』定められた制度の為である。フィトリアの母であり先の酋長である赤龍ルドバーンも、その親も、そのまた親も、ずっと白亞の森で育ったのである。もちろん蝶よ花よと甘やかされて育ったわけではない。酋長として必要な帝王学、そしてチェルノボグという集落にある一切の事物についての知識、チェルノボグという社会の仕組み、そういうものを大賢者アドライア直々に教えられて育つのである。
 白亞の森と黄金大鐘楼はさして距離もないので、かなり遅く出来た一子に会うためにルドバーンはしばしば白亞の森のうち、代々の『次期酋長』が育つ花園離宮という所にやって来た。そして何度も何度も繰り返し『酋長は民に親しむものなのだ』ということをフィトリアに言って聞かせた。ルドバーンもまたアドライアの教育の結果としてそういう矜持を持つようになったのである。それはフィトリアにも確かに伝わった。今のチェルノボグが平和に統治されているのも、アドライアとルドバーンの教えをフィトリアが忠実に守っているからである。
 フィトリアは物心ついた時からずっと『次の酋長』であった。だからそれに相応しい教育を受けるのに花園離宮で暮らすことは当然のことだと思っていたのである。何せフィトリアは聡明な子どもであったから。
 しかし、アドライアから万象への知識を習い、ルドバーンから酋長としての心得を学ぶうちに、フィトリアは疑問を持つようになっていた。それはつまり『庶民というのはどういうものなのだろう』というものだった。花園離宮を訪ねるのはルドバーンか賢者たちばかりであって、庶民との交流は全然なかったのである。
 そんな疑問を抱えながらも、フィトリアは酋長の世継ぎとして優等生を貫き通した。段々にアドライアも教えることがなくなって来る。すると、白亞の森の中だけ、という制約はあったが、自由に遊ぶ時間というものも出来た。一人白亞の森の美しい景色を渉猟するのは(子どもにしては渋い趣味だが)楽しかった。また、たまにルドバーンが暇な時には狩りの仕方を教えて貰えた。こういう具合で、フィトリアは満ち足りた、しかしどこか物足りない日々を送っていたのである。
 その状況に一石を投じたのが、ミノルスであったのである。
 ある日、フィトリアは一日の勉学を終えて白亞の森で遊んでいた。その頃のフィトリアは花々を集めて栞にすることに夢中だった。相応しい花を探すうち、白亞の森の北の方にある花園離宮から随分離れた所まで来てしまった。そこで、フィトリアはミノルスと出会ったのだ。
「何してるの~?」
 唐突にフィトリアの前に現れたミノルスはそう問うた。フィトリアはほとんど庶民を見たことがなかったが、彼女がそうであることはなんとなく分かった。全体に褐色で、足は二本だが牛のそれになっていて、金髪の靡く頭には二本の角が生えている。それより何よりフィトリアの興味を引いたのは、自分とさして変わらないくらいの年齢に見える彼女の、歳不相応に発達した巨乳であった。
「栞を作っているのだ。貴様は何者か」
 胸から視線を外しつつ、フィトリアは闖入者に問うた。
「私~? 私はミノルスっていうの~。貴女は~?」
 次代の酋長である自分に随分気安く接してくれる。こんな相手はフィトリアにとっては初めてのものだった。だからだろう、威丈高に答えたのは。
「妾はフィトリア。酋長ルドバーンと先の墓守の賢者アナタハンの娘である」
「あ~、じゃあ貴女が次の酋長様なの~?」
 精一杯の威厳を見せようとしたフィトリアであったが、殊ミノルスという超マイペースな相手にそれは通用しなかった。この反応を予測していなかったフィトリアは「う、うむ……」と言い淀むように答えることしか出来なかった。
「フィトリアっていうんだね~。じゃ、フィトちゃんだね」
 多幸症にでもかかっているのかと思うほどの笑顔でミノルスはのたまった。
「ふぃ、フィトちゃん?」
「そ、貴女のあだ名」
 まさか初対面の庶民にいきなりあだ名をつけられるとは思っていなかったフィトリアは大いに動揺した。そうでなくとも彼女は庶民との接し方というものを知らずにいたのである。
「あ、そうだ。お近づきのしるしにいいものあげる~」
 困惑するフィトリアなど知るかといった体でミノルスは足元にある白詰草を摘み始めた。フィトリアは「何をするのだ?」としゃがみこんで尋ねた。
「んふふ~。ちょっと待ってね~、いいものあげるから~」
「妾が教えろと言ってもダメか」
「だ~め!」
 自身の言葉が完全に却下されるということに慣れていないフィトリアは思わず絶句してしまった。そのうち、ミノルスは一つの輪っかを作り上げた。
「頭、出して」
 何を言っても無駄そうなので、黙って従う。するとその輪っかを頭にかけられた。
「なんなのだこれは」
「え~? 知らないの~?」
「知らぬ。まじないか?」
 警戒心すらあるフィトリアの言葉に、ミノルスは慌てて首を振る。
「違うよ~、それは花の王冠。フィトちゃんは次の酋長様なんだよね。でも、まだ酋長様じゃないから、作り物のお花の王冠をあげたの~」
 フィトリアは頭にかけられた花冠を触ってみた。するとミノルスが「花がとれちゃうよ~」と慌てて静止した。
「これをつけて、どうするのだ?」
「どうもしないよ? 花冠はお洒落だもん。目的なんてないよ~」
 合理主義を学んで生きて来たフィトリアにとってこういう『遊び』というものは非常によく分からないものであった。白亞の森を渉猟するのは実地でチェルノボグの遺跡を知る為だし、栞を作るのだって実用の為と、花を見分けられるようにするという目的があってのことである。だから無目的の遊びというものに戸惑ったのだ。そんなフィトリアの戸惑いには気づかぬミノルスは西の空を見上げて「あ~、そろそろ帰らないと、お母さんにしかられちゃう~」と言って慌てて立ち上がった。
「帰るのか」
「うん。日が沈むまでに帰らなきゃいけないの~」
 ミノルスの言葉に、フィトリアは少し暗い顔をした。
「また、会えるか」
 その意味する所にミノルスは即座に思い当たった。
「フィトちゃんはいつもこのくらいの時間に遊んでるの?」
「うむ。この時間は日課の終わった後の自由時間だ」
「じゃ、またこのくらいの時間に来るよ~。約束しよ」
 そうして、小指を差し出す。フィトリアはそれに自分の小指を絡ませる。
『ゆーびきーりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます』
 二人して唱和して、その日は別れた。






 爾来、幼いフィトリアには一人の友達が出来た。その友達との憩いの時が最も安らぐ時間にもなっていたのである。大人たちの間で可愛がられている自分に、初めて出来た同世代の友達。それが特別な相手に変わるのにさしたる時間はかからなかった。
 白亞の森というのはその総ての樹木が地下の根で繋がっている。そしてその主は大ドリアード・アドライアである。つまり、白亞の森で起こる一切のことをアドライアは誰よりも早く知ることが出来るのだ。フィトリアとミノルスが何度も一緒に遊んでいるのも、筒抜けだった。フィトリア自身は後から知ったのだが、アドライアはこのことを時の酋長ルドバーンに相談したのである。
「別段学問に問題があるわけではなかろう。民に親しむよい練習ではないか。不埒なことをせぬようにだけ気を遣えばよい」
 と、ルドバーンは寛大な見解を示した。アドライアとしても反対する理由はないので、結局二人の逢瀬は酋長と大賢者にも認められたのである。それをフィトリアに告げた時、アドライアは初めてフィトリアが歳相応の笑顔を浮かべるのを目にした。これは次の逆鱗勲章の行方も決まったかしら……などとも思った。フィトリアは将来ミノルスを娶るのではないか、そういう推測が出来るほど、二人は急速に親密になって行ったのである。それでもフィトリアは学ぶべきことをよく学び、生活態度も次期酋長に相応しく、ミノルスと遊ぶ自由時間以外は完全無欠を保っていた。
 ただ一つ、フィトリアとミノルスが一緒に遊ぶことに問題があったとすれば、それはフィトリアの異常性癖の開花であった。ミノタウルスであるミノルスの乳房は、子どもの頃のこの時点で集落の誰よりも大きかった。そして、未だ成長途上にあったのだ。フィトリアはよくその胸に淡い視線を送った。彼女はメイシオフィリアなのであった。随分気づかれぬように気を使っていたが、自分を見つめる友人の視線にミノルスは敏感であった。ある日、かくれんぼをし終えて、姫林檎を二人で食んでいた時に、言った。
「ねえ、フィトちゃん。私のおっぱい、気になる?」
 いきなり言われたフィトリアは盛大に噎せた。
「ねえ、どうなの~? よく私の胸見てるよね~?」
 そう言うミノルスの目にはサディスティックな色合いすらあった。言い逃れをするのはかえって恥だと思ったフィトリアは、正直に答えることにした。
「その……あまりにも大きいからな……。どうしても、気になってしまう」
 色を知らない微笑ましいフィトリアの言葉に、ミノルスは淡い微笑で答えた。
「触ってみる?」
「何」
「フィトちゃんなら、触っても、いいんだよ?」
 そう言ってむき出しの胸をフィトリアの前にぐんと突きだす。フィトリアの脳内では理性と欲望が壮絶な死闘を繰り広げていた。どれくらいそうしていたか知らない。結局、勝ったのは欲望であった。フィトリアはミノルスの巨大な乳房を鷲掴みにしたのである。
「んっ、痛い……もっと優しく……」
「あ、ああ、すまない」
 ファーストコンタクトは、ドラゴンとしての力を揮いすぎてミノルスに苦痛を与えてしまった。今度は極限まで力を抜いて二つの果実を揉む。指が乳房に喰われて行く、至福の感触を、フィトリアは知った。この時のこの感触が、ずっとフィトリアの中に残っていて、為に彼女は百七十八歳に及ぶ今に至るまでずっとメイシオフィリアを矯正出来ていない。
 結局この日のことは見事にアドライアにばれ、二人は少しだけ怒られた。ルドバーンが「若気の至りというものだ。かえってよい経験が出来ただろう」と口添えしてくれたので、大事には至らなかった。勇猛果敢で知られる先代の酋長は結構な子煩悩であったのだ。






 そんな事件をさしはさみつつ、二人の交流は続いて行った。一つの区切りがついたのは、ミノルス二十歳、フィトリア十五歳の年だった。チェルノボグでは二十歳に元服をする。それで何かしらの仕事を始めるのだ。暦のないチェルノボグで月を測る目安は季節である。極光の季節という極寒の冬が過ぎると、ミノルスの元服の祝いがあった。フィトリアもそこに参加して、多くの庶民と触れ合った。そしてもう一つ、フィトリアは大切なものをミノルスに渡そうと考えていた。
 それは白詰草を編んだ小さな指輪であった。
 豊饒の季節に入ったとはいえまだ寒さの残る時期のことである。草を集めるのはかなり根気のいる作業だった。更に、フィトリアは四葉のクローバーも編み込もうとしていた。それだから極光の季節が明けて暫く経つまで指輪は完成しなかった。元服の祝いには間に合わなかったのである。
 元服と独立は同じ意味である。フィトリアが指輪作りに四苦八苦している頃、ミノルスはハーピーである母親の元から離れて一人暮らしを始めた。この集落の生活形態の原則は一人暮らしである。そしてミノルスはあれこれ迷った末に木こりを始めた。親は卵屋を営んでいたが、獣種のミノルスに継げるものではない。それで、一々森からとって来ねばならない薪を提供するのは結構ニーズがあるだろうと思って木こりを始めたのだ。結局全然儲からないどころか、生活にも事欠くようになったが。
 それでも仕事は一応仕事である。薪の消費が激しい食料品店なんかは結構使ってくれた。貧しい思いをしながら、ミノルスはフィトリアのことに思いを馳せていた。ロクに別れの言葉もいわずに白亞の森の花園に通うことをやめてしまったのが心残りであった。フィトリアが元服を迎えれば会えるようになるさという希望はあったが、しかしその五年間を思うとミノルスは気が遠くなる思いがした。
 そんな日々の中、ある夜に、ミノルスの木のウロを訪う影があった。フィトリアである。
「どうしたの、フィトちゃん」
 眠ろうとしていたミノルスは随分吃驚して訊いた。
「どうしても渡しておきたいものがあってな……受け取ってくれるか」
 そう言って差し出されたのは白詰草のエンゲージリングだった。
「もっと実際的に役に立つものを贈りたかったのだが、妾が動かせるものは今の所ない。将来の約定として、このリングを受け取ってはくれまいか」
 真剣に言うフィトリアに、ミノルスは笑顔でそれを受け取った。心から、嬉しそうに。
「大事にするよ~。いつかは、ちゃんとしたリングを頂戴。ね?」
「うむ。逆鱗勲章と一緒にな」
 こうして、二人は密やかな婚約を交わしたのである。その後、少しだけ話をして、別れた。
 そして今。フィトリアが手ずからミノルスの看病に来たのはこういう背景があったのである。時間を測り、定期的に薬をミノルスに飲ませつつ、二人は昔話に花を咲かせていた。途中ミガが粥のようにした黒檀人参を持って来た。「大儀である」受け取ったフィトリアはそのままミガを帰し、ミノルスにそれを食べさせてやった。それでミノルスの具合も大分よくなって来た。愛は偉大である。
「あの時の指輪、今でも大切に、倉庫にしまってあるよ」
 あまりにも子どもっぽい贈り物をまだ持っていると聞いたフィトリアは照れくささと嬉しさがないまぜになって、赤くなってしまった。それでも、素直に、強く、言うべきことを言う。
「あの時約束しただろう。妾が一人前の酋長になったら、お前に逆鱗勲章をやると。だから、生きろ」
 ああ、確かにフィトちゃんはもう立派な酋長だ……そう思って、ミノルスは「うん。だから、少しだけ寝かせて?」と言った。フィトリアは黙って頷く。ミノルスは、やはり病苦の為に疲弊が溜まっているのだろう、すぐに眠りに落ちた。フィトリアは変わらず付き添うことにして、ミノルスの隣に楽な格好で座る。リネオクンはまだか……などと思いつつ。






 そのリネオクンはモモドメとリサリンを案内して石林遺跡の北の外れにある『毒蛾庭園』なる場所に来ていた。庭園というだけあって、石材の囲いがしてある。外から見るとその石材の囲いの中に樹林が聳えているように見えた。リネオクンは地図を取り出し、「絶対に単独行動はしないでください。助勢する余裕はないので」と二人に念を押ししつつ、庭園の中に入って行った。
「けどさー、毒蛾の卵がなんで薬になるの? いや詳しく言われても分かんないんだけどさ」
 モモドメは割合に呑気である。だが、責めるものはいない。モモドメの余裕はチェルノボグの総ての遺跡を知っていることから来る、頼もしいものであったから。
「毒と薬というのは結局言い方が違うだけで同じものです。人間の役に立つなら薬、害になるなら毒、そう呼び分けてるというに過ぎません。毒であっても、加工すれば薬になるということはしばしばありますし、薬であっても適量を超えれば毒となります」
 リネオクンはリネオクンで冷静である。患者がいるからといって一々慌てていたら薬屋なんてやっていけないと、彼女は師からしっかり教わっていた。
「で、どういう風に採集していくつもり?」
「ここは毒蛾が無数にいます。鱗粉の毒程度なら私ですら平気なくらいですから放っておいてもいいのですが、刺されると少々まずい。一応薬は持って来てますがね」
 リネオクンの言う通り、紫毒蛾は全身に毒がある。鱗粉をばらまくだけで純粋種の人間を絶命せしめるものだが、チェルノボグの住民は毒に強いので問題ない。問題なのは直接吻に刺されることである。これで紫毒蛾は獲物に毒を注入してその細胞を喰らう。紫毒蛾は肉食の蛾なのである。
「ですから、モモドメさんは槍で片っ端から寄って来る毒蛾を落としてください。出来ますよね?」
「もーまんたい」
「では、リサリンさんは私を乗せたまま指示に従って動いてください。私が毒蛾の卵を採っている間に毒蛾が近づかないように護衛をお願いします」
「了解。どの辺から行く?」
「特に紫陽花の葉に卵を植え付ける昆虫ですから、そこを重点的に周りましょう。まずは……あの辺りから行きましょうか」
「おっけー」
「はいよ」
 役割分担を決めた三人は早速手近にあった紫陽花の所まで向かった。その途中だけでも鳶ほどもある紫毒蛾が何匹も寄って来る。リサリンは背に乗せたリネオクンに虫が寄らないように、またモモドメの方でも同様に、それぞれ剣と槍を振り回していた。仕留めるつもりは別段なかったが、不幸な紫毒蛾はその刃にぶった切られて地に落ちた。
「それでは一旦降りますよ」
 と、言うや否やリネオクンは泥濘の上に着地した。そして紫陽花の葉の裏から植え付けられた卵を注意深くピンセットで摘み上げ、採集用の円筒に入れて行く。
「どう? 間に合いそう?」
 その後ろで剣を振り回しながらリサリンが問う。
「いえ、病気の進行状況が完全には分からないのと、ミノルスさんの体の大きさを考えるとこれだけでは全然足りません。もっとあちこち周りましょう」
「結構かかりそうね……」
「そうですね……この湿地ではキツいかも知れませんが、なるべく速く移動して下さい」
「任せなさい。私の足は泥濘にとられるようなもんじゃないわ」
 蠍の足を持つ狩人は再びリネオクンをその背に乗せて、別の紫陽花の所まで運んでいく。その後ろからモモドメが槍を振り回しながら続く。一瞬一秒でも早く卵を必要量採集し、戻らなければならない。焦りはあったが、しかし失敗は起きなかった。三人は次々に紫陽花を渉猟し、結構な量の卵を採集出来たのである。
「リネオクン、あとどのくらい?」
 果敢にに寄って来る紫毒蛾を剣で切り落としつつ、リサリンが問う。
「念の為あと一ヶ所周りましょう。もう一踏ん張りといった所です」
「よし、……改めて見ると、気持ち悪いわね。蛾の卵って」
「まあ見慣れないうちはそうでしょうね。急ぎましょう」
「え、ええ。行くわよモモドメ」
「ほいよー」






 そして三人して大きな塊のようになっている紫陽花の茂みまで足を運ぶ。これだけあれば薬を余剰に造れるくらいの量は採れるだろう……リネオクンがそう思った瞬間、紫陽花の茂みから巨大な紫毒蛾が現れた。他のものとは明らかに大きさが違う。普通の紫毒蛾は鳶くらいであるが、これは平均的な体躯の純粋種の人間が両手両足をX字に広げたくらいの大きさがあった。
「ボスのお出ましってとこね!」
 リサリンが吼えた瞬間リネオクンは突き飛ばされた。大物との戦闘には足手まといと認識されたのである。モモドメの方でも臨戦態勢に入っている。リネオクンの方では採集用の円筒と薬が入った鞄を抱えて逃げ回るしかない。巨大紫毒蛾以外の小物も三人の周りを囲んでいるのである。これではいつ刺されるか分かったものではない。その上、虚弱なリネオクンはこれまで蓄積された毒鱗粉が自身に悪影響を及ぼしていることを察した。丸薬を取り出して飲み下す。そして腕を振り回してなんとか毒蛾たちと距離をとった。
 その間にもモモドメとリサリンは交戦に入っていた。リーチの長い槍を持っているモモドメが「ロングストライドを食らえー!」と吼えながら得物を突き出す。しかし、巨大紫毒蛾は存外すばしっこく、外れ。リサリンも双剣を構えて巨大紫毒蛾に迫るが、宙に浮いてなかなか仕留められない。
「モモドメ」
 毒鱗粉を払いつつ、リサリンが言う。
「私がこいつに刺されるから、その隙に槍で突き殺して!」
「でもリサリン!」
「大丈夫! 薬があれば大した問題じゃない筈よ!」
 迎撃の打ち合わせが終わるのを悠長に待ってくれる紫毒蛾ではない。早速リサリンの肌に長い吻を伸ばして来た。
「今!」
 リサリンが吼える。
「破っ!」
 モモドメが突き込む。
 結果、モモドメの槍は見事に巨大紫毒蛾の頭部をぶち抜き、死骸となった虫はその場にポロリと落ちた。
「リサリン! 平気!?」
 慌ててモモドメがリサリンに駆け寄る。
「大丈夫。流石モモドメね。吻が届く前に落とせてたわ」
「よかったー」
 と、二人が一息ついていると、
「こっちは平気じゃありません!」
 と言いつつリネオクンが二人の間に避難して来た。その後から残った紫毒蛾の群れが飛んで来る。
「リネオクン、急いで必要な分を採集しちゃって。私とリサリンで足止めするから!」
「お願いします!」
「行くわよ!」
 そして紫毒蛾というひたすら厄介な害虫の群れと格闘する二人の背後で、リネオクンは巨大な茂みを探っていた。すると、さっきの巨大紫毒蛾の卵なのだろう。通常のものとは大きさも質も全然違う良質な卵が大量に採れた。これがあったからあの巨大な毒蛾は襲って来たんだろうな……と思いつつ採れるだけの卵を採る。
「モモドメさん! リサリンさん! もう卵採集は完了です! 今すぐ戻りましょう!」
「了解! リネオクン、私の背に乗って!」
「はい!」
 素早くそれだけの会話をして、三人は最高速度で毒蛾庭園を後にすべく走り出した。紫毒蛾はまだ結構な数が飛んでいたが、逃げるだけならばさして問題にもならない。毒蛾庭園からの逃走は見事に成功し、三人はそのまま居住区のリネオクンのウロを目指した。思わぬトラブルはあったが、それでも予定通り薬の材料となる蛾の卵は充分に手に入ったのである。後はこれを調合して病床のミノルスに飲ませるだけだ。
 そう思ってリネオクンの店に戻った三人は吃驚仰天することになった。出る時に後を任せたケプリカたちがおらず、代わりに酋長がいる。







「え、フィトリア様、何故こちらに?」
「民の病とあっては放ってはおけぬ。リネオクン、貴様の言い残した通りの看病はした。ついでと言ってはなんだが、妾の鱗も飲ませておいた……容体は安定しているようだが、どう見る?」
 フィトリアに促されて、リネオクンはミノルスの横に座る。それでミノルスは目を覚ましたらしかった。先ほどフィトリアに見守られて眠りについてから何度か、薬を飲むのに起きていた為、浅い眠りであった。
「ん……リネオ……クン……?」
 それを見たリネオクンはミノルスの乳房を掴み、少し押すようにして問う。
「どれくらい、またどのような痛みがありますか」
 ミノルスは少し考えて、答える。
「少しだけ……鈍い痛み、かな」
「ではこの辺はどうです」
「ん、押されて痛いだけ」
「ここは」
「平気」
 それで触診は終わりだった。フィトリアが「どうだ」と尋ねた。モモドメとリサリンも固唾を飲んで聞いている。
「朝こちらに運ばれた時よりは大分よくなっているようです。フィトリア様の鱗がよく作用したのでしょう。ご協力、ありがとうございます。内臓まで菌が及んでいる可能性も考えていましたが、この様子ならまだ乳房に留まっています。今すぐに薬を作って、飲めば治るでしょう」
 それを聞いた一同はほっと安息の溜息を吐いた。
「では、早速薬の調合を始めましょう」
 リネオクンは青琅山葵をすりおろしたものを薬液で溶いて、ビーカーというこの集落にあってはここでしか見られないものに注いだ。そこに何かの試験紙を入れて具合を確かめる。少し薬液が多いらしく、青琅山葵のすりおろしを足してうむうむと頷く。薬の調合法なと知らない他の三人は見守るしかない。ミノルスはまた舟をこぎ出していた。リネオクンは次に保管していた網戸小蠅の卵と採って来たばかりの紫毒蛾の卵をとり出して天秤にかける。分量に問題がないことを確認すると、それぞれを青琅山葵と混ぜ合わせ、かつ卵を完全に潰して一杯の薬液に変えてしまった。
「ミノルスさん、飲めますか」
 声をかけてもミノルスは「うぅ……」と呻くばかりで起き上がらない。フィトリアが優しく抱き起す。
「しっかりしろ。薬が出来たのだぞ。これでお前も快癒するのだ。ほら、飲め」
 リネオクンから薬の入ったビーカーを受け取ってその口に当てる。ミノルスはなんとか一合ほどあるそれを飲み干すことが出来た。
 薬の効果は目覚ましかった。土気色をしていたミノルスの顔に瞬く間に朱がさしていく。これで完治かと思うほどであったが、勿論一度薬を飲んだだけで治るような病気ではない。それをよく知っているリネオクンは一同に解説した。
「後は今日行った通りの看病に加えて、三食後にこの薬を飲んで行けば、そうですね、三日ほどで治るでしょう」
 これを聞いてフィトリアは安堵の溜息を吐いた。リネオクンにはその息吹に含まれた意味合いが分からない。為に訝しげな視線を酋長に送ったが、フィトリアはすぐにいつもの威厳ある表情に戻って、リネオクンに申し付けた。
「リネオクンよ、これより先の三日間、ミノルスの看護は貴様に任す。他に適任者もおるまい。念の為妾の鱗を幾つか砕いて置いておく。よいか、何か異常が起きたのならばすぐに妾に知らせよ。そしてアドライアとスクラクにも。よいな?」
「かしこまりました」
 酋長直々にそう命令されては従うしかない。もっとも、そうでなくともリネオクンはミノルスの看病を請け負うつもりであったが。下心の為に。
「ミノルスが完治した暁には妾から褒美をつかわす。任せたぞ、薬屋よ」
「お任せください」
 フィトリアの言葉に内心リネオクンはほくそ笑んでいた。勿論薬屋として患者の健康を願う気持ちはちゃんとあるが、それはそれとして酋長直々の褒美というのが楽しみであった。貧乏の解消になればいいが……などと考えているのだからタチが悪い。
「では、妾はそろそろ城に戻るとしよう。モモドメ、リサリンに加えて朝方の三名、加えてルーヴァンにも後で褒美をつかわすことにしよう」
 この言葉にはモモドメもリサリンも喜んだ。病気の住民の為に何かするというのは本来報酬を伴わない住民の義務であるが、その辺フィトリアは信賞必罰の加減をよく知っている。労働には相応しい対価を。それが偉大なる黒龍の考えであった。
 それから三昼夜、リネオクンは酋長の言いつけ通りミノルスの看病に専念した。普段やっている化学実験を捨ておいて。フィトリアは毎日午後にミノルスの見舞いにリネオクン宅を訪った。そしてリネオクンを外に出させてミノルスと話をするのであった。それでリネオクンはミノルスに最初に薬を飲ませた時のフィトリアの溜息の意味に思い当たった。だが、自分が首を突っ込む問題でもなかろうと思って深入りはしない。
 リネオクンの見立ては正確であった。発病したその日から三日が経つと、確かにミノルスは元の通り母乳を出せるようになり、諸々の症状も一切残らず快癒した。暫くは様子見の為に店は休むことになったが、それでも一週間後には集落のみんなも元の通りミノルスの美味しい牛乳を飲めるようになったのである。
 後日、今回の一件で最も働いたリネオクンは酋長秘蔵の宝物である真珠造りの白鳥像と、一月は喰うに困らないだけの美味珍味の山を下賜された。ミノルスの看病を請け負った時の薬屋の目論見は見事に的中したのである。この過度な褒美は賢い奴には少々不思議に映るものであった。フィトリアは愛するミノルスを救ったとして、リネオクンに特別に過ぎるものを下賜したのである。もっとも、当事者たちと大賢者を除けば誰もフィトリアとミノルスの関係に思い当たらないので、この過度な褒美の件は大した追及もなく沙汰やみとなった。リサリンたちもそれなりの秘宝を貰うことが出来、結局ことは丸く収まったのだった。
 チェルノボグは今日も平和である。










【エピソード:赤乳病の特効薬《了》】





 
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