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「小説」
チェルノボグ

エピソード:アミドコバエ

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水晶砂漠に、風が吹く。


 その日、薬屋のリネオクンは居住区の南にある碧緑の森という所で昆虫採集をしていた。ただ、その方法は他人が見れば随分奇異に映ったに違いない。リネオクンは網目の細かい網を木と木の間に張って、そこに群がる小蠅を採っていた。網の片側に採集用の円筒を当てて、その後ろから網を叩くと小蠅が飛んで円筒に入って来るのである。網の間に植え付けられた卵もまた一緒に円筒に入っていく。どちらかというとリネオクンの目的はこの卵である。あまり芳しい成果はないが。薬屋である彼女が何かを採集するというのは当然薬の為である。リネオクンは数日前に偶然店舗である木のウロに入って来たこの小蠅を解剖してみて、そこに薬効になりそうな成分を発見したのである。どういう薬効かはもっと多くのサンプルを集めなければ分からない。だからこうして採集しているのである。
 そんな風に黙々と作業をしていると、不意にその広場を訪う影があった。
「やあやあ、リネオクンじゃないか。どうしたんだいこんな所で」
「おや、クスフィス。食べ物でも採りに来たかい」
「まあね。それより何か面白そうなことをしてるじゃないか」
 来訪者は誰あろうチェルノボグ一の変わりものである古道具屋クスフィスであった。食料採集用の麻袋を抱えている。どうやら碧緑の森まで食料を採りに来たらしい。
 しかし、既にクスフィスの興味は今日の夕食より目の前の珍奇な光景に移っていた。
「何を採ってるんだい? いや小蠅だってのは分かるけど」
 眠そうな双眸に好奇の光を宿して、クスフィスはリネオクンに問うた。彼女は好奇心だけで生きているのである。
「アミドコバエだよ」
 リネオクンの口から返された答えは、不思議な響きを持っていた。チェルノボグという集落に住むものの中では結構な博識に入るクスフィスも『アミドコバエ』という言葉を聞くのは初めてだった。
「アミドコバエって何さ? それが何か新薬の材料になるのかな?」
 このクスフィスの問いに、リネオクンはフード状になっている頭を掻きながら少し思案した。彼女にしたところで多くを知っているものではないのである。
「こういうね、細かい網に卵を植え付ける蠅なんだ。相当昔から存在していたらしいけど……何日か前に私のウロに飛び込んで来てね、それをつい好奇心から解剖してみたら薬として使えそうだったんだよ」
「それで、分析の為にアミドコバエ採集をしていると」
「まあね」
 そう言いながらリネオクンは再び作業に戻っていく。しかし、これだけのやり取りで満足してくれるほどクスフィスの好奇心は優しくない。
「アミドコバエって名前はどうやって知ったんだい? マロカの所で調べたのかな?」
 連続で質問を並べ始めた悪友に、早くもげんなりし始めつつ、リネオクンは答えてやることにした。答えなければこの好奇心の塊はどこまでも唾を飛ばして質問攻めをやめてくれない。
「コイカ先生に見せに行ってね。そしたらこの虫がアミドコバエっていう名前だってことと、網目の細かい網に群がるものなんだっていうのを教えて貰えたんだよ。それでフモトトさんからこの網を貰ってここ何日か粘ってる」
 コイカとは現在褥守をしている元薬屋で、リネオクンの直接の師匠である。薬の材料になりそうなものに関してはリネオクン以上に詳しい。しかし、クスフィスの興味は薬学的な所を外して発揮された。
「なんでアミドコバエっていうんだい? っていうかアミドって何さ。網目に群がるのもよく分からないな。どういう生態をしているんだろう。網に群がって何か得するのかな? 卵もどうして網に生むんだろ?」
 まったくこの変わりものの好奇心と来たら全然遠慮することを知らないのだから大したものだ。リネオクンの方も諦めがついたのか、作業を中断してクスフィスの方に向き直った。
「なんでアミドコバエっていうのかは知らないな。コイカ先生も知らなかった。ただそういう虫がいるって昔アドライア様に聞いたってだけで。なんで網に群がるのかも卵産むのかもよく分からない。ただこういう網目の細かい網があれば採れるって聞いただけだからね」
「なんだ、じゃあリネオクンもよく分からずに採ってるわけだね」
 悪友の間柄とはいえ、クスフィスのこの発言はリネオクンの知識人としてのプライドを傷つけた。自分が採集している虫のことをよく知らない、という事実がリネオクンには面白くなかったのである。
「だから、それを解明する為に採集してるんじゃないか。どういう薬になるかも全然、今の段階では分からないがね、新薬の開発とはそういうものだよ」
「うむうむ、でもアミドコバエって名前の由来は生態研究じゃ分からないしなあ。どうだろ、マロカの所に行かないかい?」
 マロカの所に行くというのはつまり図書館遺跡でアミドコバエのことを調べないかということである。リネオクンは暫し思案して、やがて頷いた。
「そうだね。行こう。ここ何日か蠅と卵を採集してみたけど、どうにも効率が悪い。特に卵が問題だと思うんだけど、これがなかなか採れなくてね。図書館遺跡で調べればもうちょっと効率的に採れるようになるかも知れない」
「うむうむうむ、それがいいよ。僕もどんな蠅なのか気になって来たしね」
 こうして、二人の知識人はもう一人の知識人を訪ねる為に二人で並んでてくてく歩きだしたのである。
「お代はどうしようね。リネオクンの方で出すかい?」
「マロカにあげるものはあんまり持ち合わせがないな。後で黄身鰊の干物でもあげようかね。ああいうのはレキカ様に流れるだろうし」
「まあそんな所だろうね」
 図書館遺跡の主たる本屋マロカは文喰である。紙に書かれた文章を食料とする。為にこの集落の人間はマロカと取引する時に難儀するのである。通貨のないチェルノボグで何かのお代というのは基本的に食料であるが、文喰であるマロカは普通の住民が食べるものを食べない。生態的に食べられないわけではないが、本人の好みの上から全然食べない。しかし、珍しいものなんかをお代に渡すと、それらを仲のいい賢者たちへお土産として持っていくのである。特に発酵食品は宝紬の賢者レキカの好物であり、祖父と孫(どちらも女性だが)みたいな関係の二人はそのやり取りをよくするのである。それはマロカとある程度の親交を持っているものにとって周知の事実であった。
 お代は後で用意することにして、二人は西の図書館遺跡を目指す。
「しっかしさあ、北西の森はどうなんだろうね。この間自警団の人たちが狩りに行ったみたいだけど」
 クスフィスが言い出したのは最近チェルノボグの若い知識人の間で噂になっている北西の森のことである。
「キスティが怪我をしたっていってうちに来たから聞いたんだが、どうも人工物の痕跡は確かにあるらしいね」
「ふむふむふむふむ……これはいよいよ新しい遺跡が見えて来たね。発掘作業は大変だろうけど」
 南西の森――そこは異様な密度の樹林が存在する――にまだ見ぬ遺跡があるのではないかという噂があるのである。チェルノボグの中心である湖から見て北東に『墓碑銘殿』正式名称『公民館遺跡』、南東にクスフィスの住まう『博物館遺跡』、南西にマロカの住まう『図書館遺跡』が、湖から丁度同じ距離で存在する。更にいえば、この三つの遺跡はいずれも文化的な遺跡である。そこから考えてみると、方位の中で『北西』が抜けている。そこにもう一つの文化的遺跡があるのではないかという、そういう推測である。ただ、距離的に遺跡があるべき場所は先の通り密林となっていて、そこから遺跡の痕跡を探すのは難儀なことであった。
 好奇心に貪欲な二人の知識人はそんなことを話し合いながらマロカの住まう図書館遺跡に辿り着いた。
「どっちにする?」
「何がだね」
「マロカが寝てる方に賭けるか起きてる方に賭けるかだよ」
「そりゃあ寝てる方だよ」
「なんだ、じゃあ賭けが成立しないな」
 などと軽口を叩きあいながら二人は二階の入り口からマロカのいるレファレンスカウンターを目指した。着いてみると、意外なことにマロカは起きていた。不摂生ばかりする本屋にしては珍しいことであるので、クスフィスもリネオクンも目を丸くして「起きてた……」「起きてたか」と口をそろえて言ってしまった。
「何よ。起きてちゃ悪い?」
「いやいや、悪くはないけどね。ちょっと意外だっただけでさ」
「余計なお世話よ。で、なんの用?」
 いつも通りつんけんとした態度でマロカが問うた。クスフィスはリネオクンに目配せをする。一つ頷いて、リネオクンが切り出す。
「実は今『アミドコバエ』という虫について調べててね。特に生態が気になっている。一応網目の細かい網に群がって卵を産む虫だってのは知ってるんだけどね。もっと詳細な生態が知りたいんだよ。どうして網に群がるのかとか、どういうものを食べてるのか、とかね」
「あと名前の由来だね」
「クスフィス……まあいいわ。そのアミドコバエで薬を作ろうって、そういう腹ね」
 薬学者として疑問を提起したリネオクンに対して完全に個人的な興味でどうでもいい疑問を付け加えたクスフィスに呆れつつ、マロカはその目的を察した。
「そうなるね。一応『構造解析鏡』にかけてみたんだが、確かに薬効になる成分は存在してるんだよ。だけどどういう性質のものかはまだ分からない。もしかすると全然新しい薬にならない類のものかも知れないけど、まあそこは化学者の性でね。調べずにはいられないんだ」
 と、リネオクンが言う間にマロカは頭の中を掻きまわしてアミドコバエが載っていそうな本を探り出した。
「アミドコバエ、ね。少なくとも二冊は載ってる本知ってるわ」
「本当かい? それは助かる」
「まあ中身までは覚えてないから実際に読むのが早いわね。案内するわよ」
 そう言ってマロカは二人の先に立って歩き出した。リネオクンとクスフィスもとことこついていく。生物学の中の更に昆虫学のエリアにその本はあった。一冊は『奇虫図絵』という極東の本で、もう一冊は『蠅の研究』と題された本だった。
「どうする? 私が食べる?」
 マロカが食べるというのは文喰としてそこに書かれた文字を食べて、そこから租借した情報を伝えようか、という意味である。リネオクンは面倒を避ける意味合いで、『奇虫図絵』の方は食べてくれるように頼んだ。『蠅の研究』はそれ以上に興味があったので買うことにした。
「じゃあマロカ、頼んだよ」
「はいはい」
 そう言ってマロカが『奇虫図絵』の頁をぱらぱらめくると、そこにあった文字列が空中に浮き、マロカの口の中に吸い込まれて行った。挿絵も食べようと思えば食べれるが、租借した情報を説明する時にいるだろうと思って残した。
 そしてマロカが食べた文章を咀嚼する間、三人の間に沈黙が生まれた。リネオクンもクスフィスもマロカを見守っている。やがて、マロカが口を開く。
「あったわ。まずアミドコバエって名前の由来ね。これは単純にアミドってものに群がるからそう呼ばれてるみたい。アミドって……これね」
 言って、マロカは文章の消えた本の挿絵を示した。そこには極東の人々にはおなじみの網戸に群がる小蠅の図が書かれていた。それを見てクスフィスは得心行ったような顔をした。
「厳密には網戸って呼ばれるものの網の部分、これがなんかポリプロピレン? っていう物質で出来てるらしいんだけど、それを栄養に変換する変な生態があるらしいのね。それで網戸に群がって卵を産むみたい。卵がポリプロピレンに寄生するようなものだとも書いてある」
 これを聞いて今度はリネオクンの方が不可解そうな顔をした。
「合成樹脂に寄生するのか。意味の分からない生態だな」
 マロカが言ったポリプロピレンとは人工物である。それに依存した生態というのは確かに、自然界においてはかなり奇異なものであった。
「この本の記述によれば古代に生まれた進化系列みたいね。ポリプロピレンを栄養にってのも一種の魔法が働いてるって説もあるわね」
「ふむふむふむ、しかし、それならどうしてポリプロピレンじゃない普通の網でも採れるんだろう。や、さっきリネオクンが採集してたんだけど、あれ天然繊維だよね?」
「そうだね。人工物ではない。どういうわけなんだろう」
 疑問を深めたリネオクンは手に持っている『蠅の研究』の目次を開いてその中からアミドコバエの項を開いた。そして凄まじい速度で読み出す。
「『奇虫図絵』の記述はこんなもんね。あとあるとすれば極東の固有種だってくらい」
「ふむ? じゃあなんでチェルノボグにいるんだろう? 古代からこっちで分布範囲が変わったのかな?」
 クスフィスは更に深まった謎への解答を期待するような視線をリネオクンに向けた。そのリネオクンはざっとアミドコバエの項を読み終えてしまっていた。
「この本は古代末期のもののようだけど、どうも輸出入によって外国に渡ったようだよ。普通の網にかかるのは進化の結果としてポリプロピレン以外の網にも卵を寄生させられるようになった為とある。もっとも、一番アミドコバエが喜ぶのはポリプロピレンであるのは変わらないらしいけど」
「魔法生物なのかい?」
「いや、純粋生物らしい。古代にはアミドコバエみたいに人工物に依存した生態の虫が結構いるとある。案外探せばもっと変な虫もいるのかも知れないな」
 リネオクンが調べた通り、古代末期の超科学社会では、その人工物の多さの為に、それに依存した生態を持つように進化した生物が大量に存在していた。それら古代の文明が滅んだ現在、それらの生物がどれだけ残っているかは知りようがなかった。案外、アミドコバエがチェルノボグにいることも相当に奇跡的なことなのかも知れない。
「ふむふむふむふむ、興味深いね」
 クスフィスの疑問に一通り答え終えたリネオクンは本から顔を上げて、二人に向かって言った。
「今更なんだが、網戸ってなんなんだい?」
 この疑問にはマロカが答える。
「古代の極東で虫よけの為に窓につけてた、四角い金属枠に網を張ったものよ。特に夏……ここで言う旱魃の季節みたいな時に風を取り込みながら虫を避けるのに使われてたものね。西洋にはその文化はないけど」
 マロカがそう言ってもリネオクンにはいまいちピンと来ない。彼女はあんまり外国の文化に詳しくないし、チェルノボグと古代の極東では季節の感覚が違い過ぎて伝わりづらいのである。
「うむうむ、この図を見て思い出したんだけど、うちにも何種類かあるね。網戸」
 補足するように付け加えたクスフィスの言に、リネオクンは頭の触角をピコンと動かした。
「それじゃあその網戸を売って貰うことは出来るかな。ポリプロピレンならもっと沢山のアミドコバエが採れるだろうからね」
「それは別に構わないよ。じゃ、今からボクの家に行こうか」
「行こう行こう。マロカはどうするね?」
「そうね……お代貰いがてら行こうかな」
「うむうむ、決定だね」
 こういう塩梅で、チェルノボグの若い頭脳労働者三人は図書館遺跡を出て東の博物館遺跡を目指したのである。リネオクンは包みもせで『蠅の研究』を抱えていた。
「ちなみに、お代は何?」
「黄身鰊の干物があるから、それでどうだろう。レキカ様にでも献上しなよ」
「ふうん……まあいいわ」
 マロカにすれば別段食べ物なんて欲しいものでもなかったが、自分が求めるものは基本的に自分の住処にしかないので、一応の取引として受け取ることにした。マロカは本さえあれば生きて行けるのである。
 道中、マロカとリネオクンはそれぞれが読んだ本の中身からアミドコバエのことを話しながら歩いていた。マロカは実物を見たがったので、リネオクンは持っていた昆虫採集用円筒の中身を見せてやった。ルーペも何もないのでよくは分からなかったが。
 そんなやり取りを背中で聞きつつ、クスフィスはいかにしてリネオクンから少しでも高価なお代をせしめてやろうかということについて念入りに考えていた。チェルノボグの商取引というものは、いってしまえばおままごとの延長であるのだが、殊クスフィスに限っては真剣勝負である。取引で一切損をせず、儲けられるだけ儲けるという考えを持っているのは彼女しかいない。そんなんだからクスフィスは集落一の変わりものと呼ばれるのだ。
 博物館遺跡につくと、ドアなんて馬鹿らしいもののない玄関を過ぎてそのまま三人で地下四階に向かった。博物館遺跡の内部構造を把握しているものなんて賢者を除けばクスフィスしかいないので、あとの二人は黙って古道具屋の後をついて行った。クスフィスによれば、地下四階に極東の風物を集めた一角があるのだという。
「これだね」
 迷うことなく辿り着いたクスフィスが指し示したのは紛れもなく極東の人々が知っている網戸であった。変わった所は全然ない。しいていえば、博物館という場所に安置されている都合上、幾つかの大きさが揃っているということだろうか。
「これはちゃんとポリプロピレンなんだろうね」
 念を押すようにリネオクンが言う。
「ふむ、ちょっと待ってね……うん、大丈夫」
 クスフィスはチェルノボグ公用語で記された解説の札からそれがポリプロピレン製であることを確認した。そして展示硝子を開けて中から網戸を適当に取り出す。
「どうする? 幾らか種類があるけど」
 と、とりあえず取り出した網戸を示してクスフィスは問う。
「何種類か買ってリネオクンちに置いておけば充分な数が採れるんじゃない?」
 初めて見る網戸というものにちょっと触ってみたりしつつ、マロカが横から言う。リネオクンの方でもそれがいいかとは思っているのだが、いかんせんクスフィスはぼったくりで、リネオクンは貧乏である。だから幾つもの網戸を買うことに対して「うーん……」と言い淀んだ。どれだけふっかけられるか分かったものではない。試しに「一枚でどれくらいだい?」と訊いてみる。すると「一枚で泡酒一樽、全部合わせれば『妖しきクピド』かな」ととんでもないことを言いだした。泡酒というのはこの集落唯一の酒場における最高級酒の一つである。リネオクンの収入を考えると一樽も買うのはかなりつらい。また『妖しきクピド』というのは女性の掌ほどもあるアメジスト細工で、恋愛運を引き寄せるものである。リネオクンは密かに出会いを求めて、かなり無理をしてこの宝物を買った。それをたかが網戸の為に手放すというのはなかなか出来たものではない。
「もう少し安くならないかな。一枚で火炎酒一樽とか」
「いやいや、安すぎるよ。そもそも科学の発展の為なら出費を惜しまないのがリネオクンじゃないかい?」
「それはそうだが……しかしどんな薬になるのかも分からない段階でそれだけの出費をするというのは……」
「やあ、別に高いから厭だというならいいけどね。売らないだけだからさ」
「ううむ……」
 まったく、友人相手でも全然譲ることなく全力でぼったくりに行くクスフィスの貪欲さときたら素晴らしいものだ。リネオクンの方では金を惜しみたくはないという考えもあるにはあるが、それ以上に現在の懐事情がまずいのである。もしもアミドコバエの卵が明確になんの薬になるのかが分かっていれば躊躇いなく網戸を買い占めるのだが、現状では有効な買い物かどうかも分からない。また友情値引きしてくれるクスフィスでもないのは分かっているので、リネオクンは困ってしまった。
「じゃあこうしたらいいんじゃない?」
 不毛なぼったくり合戦に呆れたマロカが横から言う。
「とりあえずリネオクンは『妖しきクピド』をクスフィスの質に入れる。それを網戸全部と引き換えにしてアミドコバエを研究する。上手くいったらクスフィスにそのまま『クピド』をあげて、ダメだったら返品して賃貸料として酒でも奢る。それくらいでいいんじゃない?」
 このマロカの言葉に、二人は顔を見合わせた。
「まあ確かに」
 そしてリネオクンが口を開く。
「アミドコバエから新薬が製造出来るんだったら『妖しきクピド』くらい惜しくはないね。それを確かめるだけの猶予が欲しいんだよ。だからとりあえず『クピド』を預けて様子を見る、っていうマロカの案の通りにしてくれるんならそれでいい」
 それを聞いたクスフィスは「ふむふむ」と腕を組んで考えていたが、どうやらここらが妥協点かと悟ったらしい。「じゃあそうしよう」と言ってくれた。
「アンタにしては結構譲歩したわね」
 珍しく素直に取引を認めたクスフィスにマロカが言う。
「まあ薬効成分が認められるんなら、リネオクンである以上何かしらの薬は作り出せるだろうからね。そう考えれば『妖しきクピド』が手に入るのも結構確実だしね」
「厭な方向で信頼されてるな……」
「アンタはほんっと……」
 あまりにも打算的なクスフィスの言にリネオクンもマロカも頭を抱えた。……実をいうと、クスフィスが恋愛成就のアミュレットである『妖しきクピド』を欲するのは彼女自身に想い人がいるということに起因しているのだが、気恥ずかしいからそれは話さない。だから貪欲としか見られないのだが、クスフィスにしては慣れっこである。こうして、網戸を巡る取引は成立した。
「それじゃ、お代を貰いに行きますかね。網戸持ってさ。マロカも手伝ってくれるかい?」
「いいわよ。私もお代貰って、せっかくだからそのままレキカ様の所にでも行くわ」
「いやはや……実験が成功してくれるといいんだが」
「まあ大丈夫じゃないかな。なんだかんだいってリネオクンの腕は確かだとボクは思ってるよ」
「調子がいいな、まったく」
「いつものことでしょ。ほら、早くしないと日が暮れちゃうわ」
 そうして三人して何枚もの網戸を持って居住区の北の外れにあるリネオクンの家を目指した。そして網戸を薬屋のある大樹に設置する。その後、マロカは黄身鰊の干物を、クスフィスは(一時預かりとして)『妖しきクピド』をそれぞれ受け取って、別れた。一人残されたリネオクンはせめてこれから開発する新薬が、クスフィスの言う通り上手く行ってくれと願うばかりであった。黄身鰊の干物なんぞ何ほどのこともないが、『妖しきクピド』が無駄になるのは何としても避けねばならなかった。上手く行かなければ返して貰えるにしても、失敗する屈辱を思うとやはり成功させるしかないという気が湧いて来る。
 果たしてどんな薬が生まれるか……そう思いながら、リネオクンは姉に貰った香草魚を喰って眠りに落ちた。
 翌日、住処の岩屋から店舗の木に向かったリネオクンはびっくり仰天することになった。立てかけてある網戸にビッシリとアミドコバエが群がって産卵しているのである。慎重に小蠅とその卵を採集して、早速分析を始める。これだけのサンプルがあればどうとでも出来るという確信が、化学者の中には確かにあった。
 この数日後、リネオクンが開発した新薬がやがてとある住民の命を救うことになるのだが、それはまた別のお話。
 チェルノボグは今日も平和である。
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