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「小説」
チェルノボグ

エピソード:ある雨の前触れの日

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水晶砂漠に、風が吹く。

一.賢者レキカの明朝

 その日、竹林に住まう宝紬の賢者レキカは妙に寝覚めが悪かった。どうにも頭が重い。体を少し動かしてみる。病気ということはない。怪我ということもない。ただただ頭が重い。この感覚を彼女は知っている。呼び鈴というチェルノボグでは高級過ぎて誰も使わないものを鳴らして弟子を呼ぶ。他の賢者と同じく、レキカも幾つかの部屋に分かれた庶民離れした家と、弟子という名の雑用係を持っている。そして、その見習いのザントレムは実にもの憂げな表情を湛えて寝床に入って来た。
「雨……に、なりそうです」
 砂精であるザントレムは乾燥した気候を好む。湿気っぽい空気の中だと彼女の砂で出来た身体は固まって普段ほど思うように動けないのである。それを察したレキカは起き上がり、手近にあったチュニックを着て玄関まで出て行った。ザントレムもついて行く。二人の家である大きな岩屋の玄関口に植わっている『雨知らせ草』はかなりの重みを花に湛えて、ほとんど地面につくほどに頷いていた。
「これは……六、七日ほどは降るな」
 その塩梅で天気を予測した賢者はすぐさま岩屋の中に戻って行く。それを聞いたザントレムは備蓄の食料と水とを確認しに行った。どちらもあまり残っていない。
「私はこれから城に行く。不足の品は貴様に任す」
 言ってレキカは賢者の証たるマントを羽織る。一日ならばともかく何日も続く雨というのはこの集落の一年のほとんどを占める豊饒の季節にはさほどなく、為にこういう天気になったら賢者たちは酋長の城に集って幾日かを過ごすのにたる分の火と水、それから食糧を各世帯にどう分配するかを会議する。
「水も食糧もそれほどありませんね。いつも通りに一通り持って来ますが……何か要るものはありますか?」
 そして賢者の元で見習いという名の雑用をしているザントレムは水を運ぶ為の桶と火を受け取る為の『火置き匣』と、食糧を持って来る為の行李とを取り出した。
「確か倉庫に香草魚があったな。あれと、ヨモギ酒と、後は適当にツマミを持ってこい。配給食は常の通りに」
 そう言うと細身の賢者は自作の錫杖をつきながら出て来た。
「御意。昼餉はいかが致しましょう?」
 食糧を溜めている壺を覗きながらザントレムは問う。
「団子はあるか?」
「笹団子なら」
「ではそれを包め」
「御意」
 怖ろしく小食な賢者は人差し指と親指で輪を作ったくらいの大きさしかない笹団子三つで一日を過ごせるのである。それほど燃費のよくないザントレムは自分の竹水筒一杯に食用の砂を詰め込んで外出の準備を整えた。食用の砂と言っても砂なんてものを喰うのは彼女と倉庫番の地精ネムコくらいしかいないが。
「憂鬱か」
 不意に韜晦して、レキカが弟子に問う。
「それは……はい」
 躊躇いがちにザントレムは答えた。
「そうか」
 あくまでスッパリと話を断ち切ったレキカの胸中に、まったく弟子を思いやる心がなかったわけではない。自分のことと弟子のことは常に考えているのである、この宝紬の賢者は。雨の中、自分と弟子とが安穏に過ごせる方策は簡単に見つかった。もっとも、それを口にしたりなど、この偏屈な女性がやるわけはないのだが。宝紬の賢者というものは基本的に『宝物』を造っていれば幸せなものなので、せっかく思う様引きこもれる機会でもあることだし、一つ新しい宝物でも造るか、と考えていた。別にせっかくの機会でなくとも、人里離れた竹林に住まう彼女は大抵の場合自分の工房に引きこもっているのだが。
 何を造るか、ということに関してレキカは簡単に決めてしまった。久方ぶりに本格的な鍛冶をしようと思ったのである。工房には随分長いこと溜め込んだ鉱物がある。それで以って刀を一本造るのだ。誰にやるというわけでもなく、何に使うというわけでもなく、ただ自分の造りたいものを造る。それが宝紬の流儀である。せっかくだから酋長にでも献上しよう、という程度にしか考えていない。一応、酋長フィトリアは随分長いことレキカに宝刀を造るように頼み込んではいたのだが、この偏屈な賢者はずっとそれをいなし続けていたのである。職人なんてそんなものであるのだとレキカは信じているのだが、弟子であるザントレムにそれはあまり伝わっていない。
 そんなザントレムのことにもレキカは一応気を配っていた。普段からどうでもいい雑用にばかりコキ使って宝紬の仕事などロクロク触れさせもしないが、たまにはこいつにも楽をさせようと思うこともある。その譲る部分が狭いのは最早レキカの個性であるので、ザントレムの方では優しくしてもらえるなどとは思ってもいない。意外な気づかいを達成させる手段が、酋長がかねがねレキカにねだっていた刀を打つことなのである。
「行くぞ」
「はい」
 仲がいいんだか悪いんだか分からない師弟は、互いの用意に不足がないことを確認しあうと、この集落の誰よりも早く雨に備える行動に出たのである。そう、哀れな郵便屋ルーヴァンがレキカに賢者会議があることを知らせに来るよりも早く、宝紬とその弟子は岩屋から出立したのだ。

二.服屋ラクネアの日常

 ああ、雨が降る、と思った瞬間に服屋のラクネアは真っ先に家にしている木のウロにある服を総て抱えて、店舗にしている岩屋の中に向かった。そして普段は開きっぱなしにしているその岩戸を閉め切って、四方八方から隙間がないかを確認する。服が濡れては一大事なのである。売り物でも自分のものでもそれは変わらない。服というものに耽溺している服屋のおねーさんは、実の所普段からそれほど汚れに気を配っているわけではない。しかし彼女は、雨の汚れだけは絶対に避けるという奇妙な習慣を持っていた。なにせ、洗濯という文化すら存在しない土地のことである。簡単に落とせるような埃と違って、雨の汚れた水が布に染み込むことはなんとしても避けねばならない、というのがラクネアの考えであった。そして、岩屋の岩戸に微塵の隙もないことを確認してほっと一息つくと、さあ雨に向けての用意の始まりだ。
 戻り際に、家の外に置いてある水を保管する為の大樽を持ち上げ、ウロの近くまで運んで、いい具合に窪んでいる樹の根の間に置く。ほとんどの住民がそうしているように、ラクネアもまた樹のウロを住処にしている。しかし、ウロの中は居心地がいい代わりに大樽を置く程のスペースはないことが常である。故にほとんどの住人は家の外に大樽を置くのだ。こういう時にラクネアは樽を置ける広いウロ家を持っている雑貨屋のケプリカを羨ましく感じたりする。儲けで言えば大差はないのであるが、ラクネアと違ってケプリカは広い家を両親から相続しているし、宝物も多く貯えている。だから羨むのだ。
チェルノボグのウロ家に扉なんてばからしいものはない。ただ、こういう天気になった時の為の雨戸は各世帯の樹の上においてある。器用に蜘蛛の脚で大木を登り切ったラクネアが雨戸を取ると、少し離れた樹の上で肉屋のミガが同じことをしているのが見えた。向こうもそれと分かったらしく、手を振って来た。ラクネアも腕を上げて返す。会話はない。というよりも、雨の前の忙しさの中で会話する余裕はまだない。今は一人で出来ることをやる時なのだと分かっているラクネアは、早速その雨戸を持って樹を降りた。
さて、雨戸とは言ったが、それは単なる大きな一枚板である。水を漏らすことはまずないが、使用の方法としては樹に立てかけてウロを塞ぎ、石を置いて飛ばされないようにするだけのものである。なので強風に乗った僅かな雨粒が隙間から中に侵入してくることまでは防ぎきれない。その程度のものでも、大樹の枝が雨をある程度凌いでくれるので、充分なのだ。
 雨戸を一旦外に置き、中に入って食糧の備蓄を確認する。どれくらいの間降るかを正確に計る術をラクネアみたいな一般人は知らない。が、『雨知らせ草』が大きく垂れていれば何日かは降るだろうという予測は立つ。その何日かを家の中で過ごすだけの蓄えがあるかと言うと、狭い樹のウロではどうにも心細かった。食糧もそうだが、水と火も必ず貰って来ねばならない。チェルノボグの住民は自分の家にあんまりものを置いておかないのである。大抵の住民は食料の備蓄を集落の北にある共同倉庫に置いておく。そこでは決して腐敗が起きることがないのである。ラクネアも勿論そうしているので、倉庫に何を置いたかを思い出しつつ何を持ち帰ろうかということを考えていた。ついこの間、ふとした縁で姉のリサリンに貰った冬虫夏草を漬けておいたことを思い出し、好物であるそれは確実に持って来ようと脳髄に刻み付ける。メモをとれればいいのだが、ラクネアを初めとするチェルノボグの住民は文字の読み書きなんて面倒な真似は出来ない。ラクネアもそういうものだと思っているので、記憶だけを頼りに雨の間を思う様好物で埋め尽くそうと考えていた。
 そうして、先ほどザントレムがそうしたように、ラクネアも一通りの備品を持って湖前広場に向かう。雨の前の日にここの住人が取る行動なんてみんな一緒である。雨の降る間必要な水と火をそれぞれ賢者と酋長から分けて貰い、倉庫にある食糧を持ち込み、そうして一通りの準備が済むと仕事を休んで家の中で懶惰に過ごす。このオアシスにとって雨の日というのはそういうものであり、極めて一般的なチェルノボグ民のラクネアも当然そうする。普段から被服を作る作業に没頭していて、ロクに休みもなく売れもしない服を大量に作っているラクネアも、雨の時にだけは確実に休むのである。雨の前の用意は忙しなくて面倒だったが、しかし、このアルケニーはウロ家に引きこもりながら好きなものを食べ、雨音を聞きながら編み物をする、そういう時間に安らぎを覚えるのだ。有閑な時の中で静かに営まれる日常の風景が、ラクネアは好きだった。それがあるから面倒な生活の準備をする気になって来るのである。
 とは言え、水と火はすぐに手に入るわけではないことも、この服屋のおねーさんは把握していた。どれくらい雨の日が続くかなんて賢者たちにしか分からない。二十数年前くらいには『風神』と渾名される天気予報士ヴァルルーンがこの大地にいて、郵便屋でもあった彼女がそれを告げて回ったものだが、現在はチェルノボグの外に行ってしまっている。そしてその娘であるルーヴァンはまだ気象を知るほどに知恵をつけていない。それ故、どれくらいの量の水と火が必要かは会議の結果を待たなければならない。ラクネアは世代的にヴァルルーンに親しんでいたので、これは随分不便に感じている。
すぐに出来るのは食糧の確保である。何日か続く場合、食料品店を営んでいる何人かの住民はそれぞれが作った食物や酒を他の家に提供する約束になっている。何が出てくるかはその時々の在庫によるが、退屈な雨の日の中でわくわくすることと言ったら主に燻製と干物、そして店主の指定した中から自由に選べる酒くらいのものである。
 さてこの度は何にありつけるか……それはラクネアが秘かに楽しみにしていることでもあった。ついでだから倉庫の中にしまってある食べ物の幾つかを娘のガザニカにお土産にやろうか……などと考えながら、ラクネアは湖前広場に向かった。

三.自警団員モモドメの歓喜

 雨かー、と寝起きに察した自警団員モモドメの心には何か弾むものがあった。チェルノボグという陽気な集落に住んでいるものは雨なんていう陰気なものを好まないが、百足の下半身を持つ彼女はどこかじめじめしたものを好む一面があった。雨の降る音を聞きながら静かに眠る。それは日々無意味に砂漠の見回りに明け暮れている自警団員にとって、揺籃の赤子が味わうような充足感をもたらしてくれるものだった。ウロの入り口に植えた雨知らせ草は存分に垂れている。それは安息への確信であり、同時にまた、自警団に在籍する彼女にとっては仕事への確信でもあった。
 一通りの準備を済ませてしまうと、モモドメもまた集落中のものたちが集まっている湖前広場に向かった。これから力仕事が始まるのである。自警団という名の何でも屋はこういう状況になった時に特に力仕事を主にした雑用を任される。まずは共同倉庫から各世帯(自分たちの分も含めて)に食糧を運びこむのを手伝う。この時、ほんの少しだが他の誰かが溜めていた食べ物を恵んでもらうことも出来た。完全なる善意から来るそれは、モモドメ一人に限らず、自警団のみんなが期待していることであった。
 それが済む頃には賢者会議の結論が出る。大変なのはここからで、各世帯に分配された水を氷屋バグラスが『圧縮氷』に変えたのを運搬せねばならない。大きさとしては桶に五、六個程度は収まるものであるのだが、如何せん数が多く、居住区の外に住んでいるものにも届けることになるので、肉体労働専門の自警団が頼りにされる所でもある。水の量は基本的に等量であるので、自警団のみんなが圧縮氷を運んでいる間に他の住民はこれも等量に配布される『火種石』を酋長の城から自宅や自警団員宅に運び込む。
こういう雨の前に起こることが、普段から暇を持て余している自警団にとっては貴重かつ重要な仕事なのである。あまりにも仕事がないものというのは、かえって仕事を欲するようになるのだ。モモドメも、団長カルジャッカや他の自警団員も、皆、雨の前の日は生き生きとしている。集落のみんなから頼りにされるということは、『自警団』が最も欲する所のものではないか? 仮にその主旨が多少本来の意味とずれていたとしても!
 こういう仕事の一切が既に蓄積されたノウハウとして存在する集落の中、人々は一様に『今度の雨はどれくらい続くか』という話題に花を咲かせながら、まだ来ていない住人を待っていた。作業は全員で行うことになっている。例外は賢者たちと倉庫番のネムコ、汚穢屋のはぐれモヨコだけだ。広場に各世帯分の桶と火置き匣、そして行李がずらりと並んでいるのはちょっとした見物であった。モモドメはまた、雨の前にしか見れないこの光景が、なんとはなしに好きだった。もしかすると、みんなで何か一つのことをする、ということに対して一種のときめきを感じているのかも知れない。こういう景色の中で、生真面目な団長カルジャッカはまだ来ていない奴をピリピリしながら待っている。するうち、居住区を離れた所に住んでいる褥守のコイカや大賢者の元に同居している従者メデインと郵便屋ルーヴァン、墓守見習いでありモモドメの異母妹であるパムヴァイマらが続々と集まって来た。それでもまだ来ないものもいる。
 モモドメはそれを『相変わらずだなー』と思いながら尻目に見て、ミガや酒場のクジャたちの談笑の輪に入っていった。中にはラクネアもいる。パムヴァイマは姉に目配せをして、やはりその輪の中に入って来たが、すぐにモモドメの腕を引いて輪の外に連れ出した。
「ん? なーに? パム」
 普段はあまり会わない異母妹を撫でてやりながら、モモドメは問うた。
「お母さまからお姉さまに伝言を預かって参りました。仕事と宴会が済んだらこちらにいらっしゃい……と」
 それに顔をほころばせつつ、パムヴァイマは答えた。しとやかに家族を愛する白蛇のラミアは、純粋に久しぶりに姉と会話出来ることを喜び、また母にして墓守の賢者たるラブラから言いつけられたその伝言の意味にも喜んでいた。
「おー、いいねえ。久しぶりにそっちに泊まる感じ?」
 モモドメの方でもそれは分かっていて、久しぶりに母娘姉妹水入らずで語り合えそうな気配に安らいでいた。ラブラの娘二人はあの破天荒な賢者の破天荒な部分を奇跡的に受け継いでいないので、ちゃんと二人は集落で行われる雨対策を行ってから実家とも言える『墓碑銘殿』に行こうと決めていた。
「ええ。自分の分の配給は持って来るように、とのことでしたので、暫くお姉さまと一緒になるかと」
 どうやら墓守の賢者はいつもの色情狂の病気を発動させたらしい。彼女が娘であるモモドメを自宅に招く最大の用事は近親相姦であり、モモドメの方でもそれを楽しむくらいの余裕はある。
「おっけおっけ。パムは宴会出る? 出るよね? 出ようね!」
 そしてこの集落の住民らしくお祭り好きなモモドメの興味は既に雨対策の後の宴会に向かっていた。
「は、はあ……またお酒ですか……」
 頭が緩い姉と生真面目な妹はそんな会話をしながら久しぶりの邂逅を楽しんでいた。普段墓場の近くに住んでいる妹といつもオアシス中を見回りと雑用の為に走り回っている姉とはなかなか会う機会がないのだが、その母親である墓守の賢者ラブラも含めて家族仲は非常に良好なのである。こんな雨の日に一緒に過ごす、それは親元を離れて暮らしているモモドメにとってこの上もない歓喜であった。
なんだかんだで雨の日は雨の日の楽しみがあるのだ。今回の雨で配られる肉屋の在庫は何かという一大事をみんな興味津津と言った体で聞いている。それを見るにつけモモドメは『やっぱり雨はいいなあ』とぼんやりと思うのであった。

四.古道具屋クスフィスの遅刻

 チェルノボグ一の変わり者たる古道具屋クスフィスは、この雨の前兆が現れた一日の初めに大きな失敗をした。寝坊である。彼女は基本的に朝の日光が射し込むのと共に起きる生活をしているのだが、こういう曇り空の日には光が少ない所為で遅起きになってしまう。加えて、夕べ遅くまで住処の博物館遺跡で見つけた珍妙なオブジェをいじくっていたのも寝坊に拍車をかけた。用途不明の金属円筒であったが、暢気な古道具屋はそれの性質を昨晩遅くまでかけて調べ上げるというばからしい勤勉さを発揮していた。そして彼女の無駄な知的好奇心は今日、友人である本屋マロカの家である図書館遺跡でそれの調査に使えそうな本を探そうと目論むに至ったのだが……。
 普段通りの眠そうな顔に本物の眠気を携えて、目をこすりながら『雨知らせ草』を見に行くと、明らかに雨の前兆が垂れているではないか。雲間から幽かに射し込む日光の位置から、自分が寝坊したというのは即座に理解出来た。寝惚けている場合ではない。
『あっ、これはマズい』
と、朝食も抜きにして愛すべき変人は寝巻にレインコートという実に珍妙な格好で外に飛び出した。必要な物品を小さな体で抱えて、これはカルジャッカさんに怒られるなあ……なんてことを思いながら。
 しかし、クスフィスは真っ直ぐに湖を目指しはしなかった。彼女の脚は博物館遺跡を出るとそのまま西に向かったのである。西の方角にあるものなんて決まってる。それはマロカの住む図書館遺跡である。声もかけずに堂々と開け放たれた入口から中に入って一階下のマロカの寝床まで駆けて行くと、案の定寝ていたマロカの傍にあったメモ帳に鉛筆で『雨だよ』とだけ書き置いて湖前広場を目指した。マロカを相手に書置きという真似が出来る住民は賢者を除けばクスフィスと薬屋のリネオクンしかいない。文字なんて面倒なものを使う文化など、この大地にはほとんどない。それを自由自在に扱い、あまつさえ友人に書置きなんてお節介な真似までするからこの古道具屋は集落のみんなから変な奴だと思われているのである。
そして、こんな時でも友人にお節介を忘れずにいられることはクスフィスの持つ美徳である。マロカはものぐさな引きこもりなので、放っておけば図書館遺跡の中に湿気や雨が入ってしまうだろうという粋な心遣いである。誰もそれを認めてくれないのだが、善良なクスフィスはわざわざ遠回りをして、遅刻で怒られる可能性まで呑み込んだ上で、こういうことをするのである。なんだかんだ言っても、彼女は友人を大事にするタイプなのだ。
そして、大幅に回り道をした挙句、ようよう皆が集っている湖前広場に辿り着いた。桶などの重さがこの貧弱な好事家の脚を遅らせたのは言うまでもない。
「やあやあ、ぜえ、皆、ぜえ、さん、おそ、ぜ、ろい、で……」
 凄まじく息絶え絶えになりながら広場につくと、それだけでクスフィスはもうぶっ倒れそうになっていた。
「マロカはどうしたね?」
 肩で息をしながら呼吸を整えているクスフィスに友人のリネオクンが問う。いるべきものでいないのは後はマロカだけだ。
「案の定、寝てた、よ……」
「そうか。ではみんな、準備を始めるぞ!」
 まだ息が整わないクスフィスなんぞ知るかと言った体で自警団長カルジャッカはみんなに高らかに告げる。他のみんなも元気よく『おお!』と口々に答えた。まったく、この無窮動の朗らかさと来たら、眠たそうな顔の中に間違いなく眠気が残っている哀れな古道具屋を捨て置いて、北の共同倉庫へと住民たちの脚を一様に向かわせたのである。幸いにして、クスフィスの遅刻はカルジャッカの怒りに触れることもなく、純然たる無関心に収束して彼女を置いてけぼりにするだけに留まってくれた。
「クスフィスさん、大丈夫ですか?」
 唯一、ボロボロのクスフィスに声をかけてくれたのは自警団員の友人ガザニカであった。両肘から先が完全に巨大な蟹のそれになっている腕の先に竹筒を提げて、中の水をクスフィスに勧めてくれた。
「ちょっとキツい……片道でいいから、倉庫まで、乗せてって」
 竹筒を受け取ってそう言うやいなや、クスフィスは自分より年下の友人の下半身にしなだれかかった。ガザニカの下半身は蟹のそれで、後ろの甲羅部分は人一人を乗せられるくらいのスペースがあった。更に言えばガザニカは幼いながら自警団のメンバーの中でもトップクラスに頑強な肉体の持ち主であるので、小柄で軽いクスフィス一人を乗っけて共同倉庫まで行くことなどは造作もないのである。
「いいですよー。こういうのもお仕事ですし」
 無邪気なガザニカは素直に頼られたことを喜びながらクスフィスをかついでくれた。ひょいと背後の甲羅に乗せられたクスフィスの尻にちょっとした刺激が走る。蟹の甲羅特有の棘ばった部分が丁度いい塩梅で入っちゃダメな所に入ったのである。
「ひゅうう……すまないね……」
 疲労と刺激とでぐんにゃりしながらクスフィスは呟く。
「全然平気ですよー。クスフィスさん、また何かいじってたんですか? 随分遅れて来ましたけど」
「うむうむ、まあ、また何かよく分からないものを見つけて昨日はそれをいじってたんだけど、それで夜更かししてしまってね……あと、マロカの家にも寄ったから……」
「雨を知らせに?」
「うむうむ、ほっぽっといたら雨戸も閉めないだろうからね、マロカは」
 こんな話をしながら、寝巻にレインコートという珍妙な生物を乗せた半人半蟹の少女は集落の人々の一番最後をかさこそと歩いて行ったのである。

五.自由人スピックの退屈

「ウロ家じゃ間に合わないだろうね」
「そーねー、やっぱり岩屋の方にしましょ。私の方の。布団もたんまりあるし、香木もあるもの」
「こっちはやっぱり臭うかな」
「そーねー。っていうかあなた岩屋の中でなくともいつも魚臭いじゃない」
「ひ、酷い……」
 なんて会話をスピックの目前にいる半熊とバロメッツの女性がしている。この二人は共にスピックの親である。熊がフモトトでバロメッツがドリメアと言う。二人は獣種と幻想種だが、二人の気まぐれで生み出されたスピックは鳥種の肉体を持っている。その能天気な両親の身勝手で鳥種に生まれてしまったスピックは、二十七歳になる今現在でも絶賛反抗期真っ最中だ。
 麗しい翼の腕を持つこの集落唯一のハーピーは普段巨大な鳥の巣状の住処に住んでいる。しかし、樹の上にあるそれは雨をしのぐにはなかなか不便なもので、天気が悪い時は両親が営んでいる店屋の入っている岩屋に避難するのが常であった。特にフモトトは魚屋の為岩屋がいつも生臭いので、こういう時は布団屋のドリメアの方の岩屋に行く。ドリメア自身が言うように、彼女の岩屋は布団が沢山あるので住み心地がいいし、香木の匂いの為に安眠出来る場所でもある。だから仲がいいと思っている両親は娘をそこに連れ込むのである。
 それがスピックには不満なのだ。
 もう二十七にもなってまともに働いていない彼女が悪いと言えばそうなのだが、どうもいつまで経っても親離れ子離れが上手く行っていないような気がする。第一岩屋で一緒に過ごすと毎日説教を喰らう。何より雨の日では自由に空を飛んで気ままに過ごすことも出来ない。一体このストレスの発散方法はどこにあるものか。酒を呑めば多少マシだが、雨の日だと一緒に酒を呑む両親がまたやかましい。何とかして自分の家を改良出来たりしないかな……。
 と、何日か続けて雨が降るたんびにスピックはそんなことを考える。もしかすると哲学病か何かなのかも知れない。岩屋に運び込む食糧を次々に倉庫から出しながら、玉虫色の羽を持つ少女はこれから先の何日間かが不満でしょうがなかった。彼女に限った話でもないが、雨の日のチェルノボグでの楽しみなんて食事と酒しかないのである。それが酷く退屈で、しかしどうしようもないから親の倉庫の中から思う様自分の好きなものを取り出すのだ。スピックにとっては少し不満であるのだが、一方で両親はちゃんとこの一人娘を愛しているので、普段酒場のクジャの所で働いている程度でロクなものを食べられない娘に、たまには贅沢をさせてやろうという気持ちは確かに存在したのである。主に力仕事を担当するフモトトがスピックの好物を取り出し、ドリメアがそれを行李に詰めて行く。
 三人分という結構な量の食料をフモトトと一緒に出し切ったスピックは何となく倉庫の中を渉猟していた。彼女ら一家は三人で行動している分、他の一人暮らし世帯に比べると随分早く作業が終わったのである。そして、暇を持て余す雨の数日間の前に更に暇なタイムポケットが出来た鳥種の少女は、何か少しでも暇を打倒するものがないかと倉庫に再び入って行ったのである。すると、かなり奥まった所に唐草模様の匣が置いてあるのを見つけた。
「ママー、これ開けていいー?」
「いいよー」
 ドリメアに訊いて承諾を得たスピックは早速それを開けてみた。薄暗い倉庫の中では分からなかったが、何か色々なものが入っているらしい。
「何これ」
 ふと独言が漏れたのをフモトトは聞き逃さなかった。
「それはね、クスフィスの奴から売りつけられたガラクタだよ」
「ガラクタ……ふうん……ねえ、これ持ってっていい?」
 古道具屋のクスフィスがガラクタを売って生計を立てていることはスピックも知っているが、それがどんなものかはほとんど知らなかった。大抵の場合においてクスフィスの売る古道具はガラクタ扱いされるが、無駄なものというのは高価なものだと相場が決まっている。今現在クジャの酒場のウエイターのバイトしかしていないスピックなどに手が出るような安いものではないのである。
フモトトとドリメアの了承を得て倉庫の外に持ち出したそれから適当なものを拾い上げて見てみる。何かの筒だ。チェルノボグの民が日常的に触れる筒状のものなんて外で水を飲む為の竹筒しかない。それよりも大分小さい、角ばった筒を観察しながらスピックは『こんなゴミみたいなの、一体何と交換したんだろ……』などとクスフィスが聞いたら憤死しそうなことを考えていた。充分に外観を観察すると、スピックにはなんだか分からなかったが、所謂レンズというものが備わっているのを見つけた。それを覗きこんでみた時、スピックはひゃっと変な声を上げてしまった。世界が変な煌めきに覆われる。筒の先の方はまるで光の靄のようになってしまっていて全然、何があるのかが見えない。薄い明かりの中で筒を回せば更に別の眩きが起きる。万華鏡なのである。他のものも改めて見ると、見たこともないようなみょうちきりんなものが沢山入っている。弥次郎兵衛だの、だるま起こしだの、双六だの、ベーゴマだの、そういうものだ。つまり、クスフィスがフモトトとドリメアに売りつけたガラクタは、玩具箱なのである。中にはその説明書みたいなものも入っていた。スピックはチェルノボグ民の例に漏れず文字など読めなかったが、図説だけでも十全であった。
『なあんだ、ガラクタなんて言うけど、ちゃんと面白いものもあるじゃん』
 思いつつ、このささやかな発見に満足したスピックは、その玩具箱の中を雨の間中いじり回してみようと決め込んだ。

六.肉屋ミガの取引

 集落に幾つかある食料品店は住民みんなが美食を好むチェルノボグでは結構な富裕層に入る。あんまり生活に不自由することはない。そういう裕福さは一方に責任を伴うものでもあった。ミガを初めとするそれら食料品店の店主は雨で住民が家の外に出られないような時、食糧の備蓄として各々が出せる食糧を各世帯に提供する義務がある。為にミガが倉庫から持ち帰る荷物は他のものよりはるかに多かった。肉という割合に足の早いものを扱う都合上、彼女が提供するのは保存性を重視した燻製やハムの類が主である。生肉は氷屋バグラスと共同しないと提供出来ない。大量の荷物は人虎であるミガですら一度に持てるものではなく、友人カルジャッカの手を借りてやっとこすっとこ居住区に運べるといった体であった。これは他の食料品店も同様で、妻子のいる魚屋フモトトはまだマシだが、酒を扱うクジャなんかは実に重ったるい荷物を自警団のリサリンとモモドメに引きずって貰って運んでいた。
 共同倉庫から各々の貯えを持ち帰る道中、湖の北東側の道に酋長の城から会議を終えたレキカが出て来た。ミガを先頭にした一行は立ち止り、賢者の話に耳を傾けた。
「この度の雨は七日程度、加えて雷雨になる見込みだ。飯屋は各々、一人につき二食分ずつ、計十四食分の備蓄を出せ。『圧縮氷』は日に二つ分ずつだ。スクラクの娘どもは手伝いに行け。『火種石』と『光源石』は念の為八日分を用意する。加えてアドライアの千色茱萸一俵にバナナ一房も配給に入る」
 この言葉の、特にバナナという言葉に、陽気な住民たちは喜びささめきあった。普段であれば絶対に食べることの出来ない果物の一つが振る舞われるのは、無邪気な彼女たちにとって何よりの喜びなのだ。ぶっきらぼうに告げて自分の仕事を終えた賢者はザントレムに幾つかの言い付けをしてさっさと自宅に帰ってしまった。
 そうしてみんなして居住区に戻って来ると、ミガたち飯屋はおおわらわで荷解きを始めた。賢者会議の結果が思ったよりも早く出た為、少々の混乱はあったが、それでも大した問題はなくこの肉屋は一人につき十四食分の食料を大葉俵に包み込んで各世帯に配り出した。この配給は一応は賢者会議の決定によるものであるのだが、住民の中には肉をそれほど好かないものもいるし、クジャの所で配っている酒を呑まないものもいる。そういうあまりの分は各自が適宜物々交換で好きなものと替えるのが常であった。その交換作業まで含めて『配給』なのである。
ミガの場合は純然たる肉食系な為、早速肉の余りが出ないかを聞いて回った。
「おいザントレム、お前の所だと肉喰わないよな?」
「まあ、少しくらいは頂きますよ。八対二くらいでどうです?」
「おう、いいぞ。私が八だよな?」
「ええ」
「そうか! よし! おいメルシー! バグラス! お前らも肉いらないならくれ!」
「いいですよー。ちょっとは貰いますけど」
「はいはい、どうせ肉なんて食べませんよ」
「いいことだな! 私の食い物が増える!」
 ザントレムからひったくるように鳥ハムやら猪の燻製やらを受け取ると、今度は人魚と氷精に向けて肉をねだる。肉にこれだけ執念を燃やすのは流石人虎と言った所か。メルシーは七対三の割合で、バグラスは九対一の割合で、それぞれ備蓄をくれた。すると今度はカルジャッカが寄って来た。
「おいミガ、私にも少し分けてくれ。ほら、野槌と蝸牛と、それとほれ、この蜂の子をやるから」
「そんじゃあこれでどうだ」
「少ない! なんだそれじゃあ他のも出すか?」
「お前んとこの食いもんは……ああそうだ、檸檬の花蜜漬けはどうした? あれとならもっと多く交換してやるよ」
「なんだ、あれでいいのか。それなら少し待ってろ。詰所から持って来るからな。他の奴にはやるなよ!」
「分かってるよさっさと持って来い!」
 百有余年来の友人との肉を巡る駆け引きは毎回凄まじいほどにデッドヒートする。二人が二人とも肉大好き人間であるので、互いの業突く張りが張り合ってとんでもないことになるのである。幸いにも今回はミガの好物にして自警団に普段から配給されている檸檬の花蜜漬けで上手くまとまったらしい。勿論野槌も蝸牛も蜂の子も、全部肉屋は自分の行李に詰め込んだのだが。
そして今度は他のものの管理に入る。ミガは魚をそれほど食べない。一方で酒は大量に呑むので、丁度いいカモを見つけるとさっきと同じように声をかける。
「おいガザニカ、お前魚好きだろ? これ八割はやるから、お前の貰った分の酒くれよ。いいだろ?」
「いいですよー。火炎酒ですけど、いいですか?」
「あー……火炎酒ばっかってのものなあ。まあいいや。クジャに頼んで他のと替えて貰うさ。そんじゃほれ、これはやるよ」
「ありがとうございます! じゃあこれ、お返しです!」
と、こういう塩梅でミガは魚の代わりにクジャが配る火炎酒を多く得た。更にミガはまだ酒を配っているクジャの元へ行って、ガザニカから貰った分の火炎酒を他の酒と替えて貰うように交渉に行ったのである。クジャの方では非常に気前よく、これもミガの好物である『紫貴腐葡萄酒』と『キャノンボール』という酒と交換してくれた。更に詰所から戻って来たカルジャッカと先の通りの取引を交わしたのだから、まったくこの肉屋の食欲は凄まじい。これで大食いな彼女も雨の七日間を餓えずに過ごせるだろう。
 こういう具合で皆に食糧が充分に行き渡ると、自警団の連中に『圧縮氷』の運搬を任せ、今度はみんなして火を貰いに酋長の城へ、再び北の方角へと並んで行くのだった。

七.氷屋バグラスの繁忙

 およそ氷の扱いというものに関してバグラスの右に出るものはチェルノボグに存在しない。彼女は氷屋という特殊な職業に就いている。その真価は水を凍らせる際に体積をうんと小さくする、つまりは科学的真理を破壊する一種の魔法『圧縮氷』である。大凡樽一つ分の水をソフトボールくらいの大きさに圧縮出来るのだから大したものだ。重さはそのままだが。そんな彼女は今、姉妹と自警団の連中と一緒に大急ぎで圧縮氷を作っては出し作っては出ししている。
「ちょっと! 水足りない! メル姉もリネ姉ももっと汲んで汲んで! ガザニカもこっち手伝いなさい!」
 彼女らの母スクラクからこの水の配給を完全に投げ渡された三十三歳の氷精はあちこちに檄を飛ばしながらひたすら水を自身の力で圧縮しては自警団員が差し出す桶に日数分だけ詰め込んで行く作業を繰り返している。普段であれば彼女の仕事はほとんど朝に集中しているのだが、殊雨の前の日は凄まじく短時間でものすごい数の圧縮氷を生み出さねばならない、一種の繁忙期である。そして生真面目な氷屋はこの仕事を他の何にも代えがたい重大事として誇りを持って行っているのだ。
「いやあ、しかし珍しいね。季節でもないのに七日間とは。今年は蒸気の季節も長いのかも知れないね」
 しかし、そんな妹の苦労などどこ吹く風で姉のリネオクンが飄々と言う。薬屋を営む彼女は水汲みの手伝いの手をかなりゆるくやっている。それは彼女が力仕事を嫌っている為である。
「ほんとにねえ。昨日は晴れてたのに、まったく珍しいわ。でも、今回降った分だけ蒸気の季節も短くなるんじゃないかしら」
 もう一人の姉であり湖守見習いのメルシーがおっとりと続ける。頼りにならない姉たちである。妹であるガザニカは黙々と水を汲み上げては彼女の元に持って来る。氷の肉体を持つ氷屋が心中で姉二人に罵声を浴びせているであろうことは疑う余地もない。
「ごちゃごちゃ言ってないで働く! ちょっとはガザニカを見習いなさい! あんまりすっトロいと配給食貰っちゃうわよ!」
 ……否、心中を通り越して声にまで出た。そう言いながらもバグラスの腕はまったく休むことがないのだから、如何に彼女がクソ真面目かが察せられようというものだ。誉められたらしいガザニカは無邪気に「えへへ」と照れながら蟹の両手で姉の元に水を運ぶ。
「や、相変わらずバグは真面目だな。そんなに慌てて作っても、持って行く足は四つしかないんだから焦るなよ」
「早く仕事済ませた方がいいに決まってんでしょ!」
「急いてはことを仕損じる、という言葉もあるようだよ」
「リネ姉はもう少し急ぎなさい!」
「はいはい……相変わらず固いねえ。氷だけに」
 などといいながらリネオクンはようやくやる気を出し出したらしく、水汲みというとても退屈で面倒な仕事に入り込んで行った。姉のメルシーはある程度水を操れるので、このやり取りに恐れをなして湖から水を浮かせては桶に詰めてバグラスの元に運ぶ、というのを繰り返している。一番上の姉は鋭い妹に弱いのである。
 ガザニカを除いた残りの自警団員四人は全速力で圧縮氷を運んでいた。多くの住居はこの氷屋にほど近い居住区にあるが、それより遠い所に住んでいるものもいる。湖から離れた七方位、北西以外の所には賢者であるレキカやラブラ、それからクスフィスや倉庫番のネムコの家などがある。湖という集落の中心地からそこまで氷を運ぶのは正しく鍛え上げられた自警団のものだからこそ出来る仕事である。何せ、持って行く圧縮氷の数は一人につき十四個である。これは大樽一杯の水の十四杯分に等しいので、体の弱いバグラスやリネオクン辺りにはとても出来かねる仕事であったのだ。
「マロカの家、どうする?」
 丁度クスフィスの家から戻って来たキスティが問う。文喰という特殊な種族であるマロカが水を欲するのは完全に気分次第であるので、毎度毎度判別しがたい。
「一応持ってこうかしら。でもアイツ要らないと難癖付けるし……どうしよ」
 あんまりマロカと気の合わない氷屋は思案の為に少し作業の手を緩めてしまった。母にして湖守の賢者たるスクラクを尊敬し、指名されたわけでもないのにその後継者を目指しているこの氷屋は、スクラクを初めとした賢者たちから寵愛の対象にされている本屋と反りが合わない。普段は会うこと自体がないのであるが、たまに何かのやり取りをすると毎回もめる。またバグラスもマロカも他人に対してつっけんどんな態度をとるタイプであるというのが不仲に拍車をかけている。いずれも知に優れる二人の少女は、あまりにも似ている為に喧嘩が絶えないのである。どちらかと言えばその原因はバグラスがマロカに対して持っている僻みなのであるが、マロカの方でも売り言葉に買い言葉で喧嘩を受ける為、この二人は直接間接を問わず何かのやり取りをする際には必ず第三者を挟む。そんな奴が相手であるので、バグラスはどうしようかと思ってなかなか作業に戻りかねたのだ。
すると、どこで聞いていたものか、スクラクが末妹の赤子ラムを連れて入って来た。
「マロカの分は最後でいいわ。持って行くのは私がやるから」
 そう言って母なる賢者はもう終盤に入る作業をようよう手伝い出した。娘の負担を軽減させるような言い方をしているが、スクラクの言うことは要するに口実をつけてマロカに会いに行きたい、という程度の意味である。バグラスも、更に言えば他のスクラクの娘たちもそれはよく分かっている。やっぱりマロカとは気が合わないな、と思いながら、バグラスも再び凄まじい速度で圧縮氷を造り出した。

八.砂精ザントレムの憂鬱

 賢者レキカの口からこの度の雨が七日間も続くと聞かされた時、最も暗澹とした気分になったのはこのザントレムに他ならない。多くの生物と異なり、乾燥を好むこの砂精は曇り空にも劣らぬどんよりとした気持ちで火置き匣を持って酋長フィトリアの居城に連なる列に並んでいた。一緒に並んでいたパムヴァイマはそれを見かねて何か慰めの言葉を言おうとしたが、しかしどう考えても砂精の体質は雨の七日間を過ごすのに不便過ぎる為、言葉を探しあぐねていた。為に、前後の雑踏の中でこの二人の所にだけは重たい沈黙が降りていたのである。
彼女やバグラス、倉庫番のネムコや郵便屋のルーヴァンは精霊種という特殊な種である。それぞれの名前に対応する自然物があればそれだけで生きて行ける。ザントレムの場合それは砂で、彼女は普段クリスタル製のリットルグラスに砂を山盛りにして何杯も掻き込んでいる。ザントレム本人に言わせると、それは極東の人々がそうするように、『主食を思い切り掻き込むことの痛快さ』があるのだということだ。しかし、どこでもとれるものを常食しているが故に砂の貯えなんかない。だからザントレムはこれから始まる雨の七日間を大好物である砂なしに過ごさなければならないのである。つまり、普段主食としている大好物が最低でも七日間は喰えないし、しかも雨の余韻が残ればその後もなお喰えないのだ。憂鬱の原因は大抵そこである。
 各自の火置き匣に酋長フィトリアは丁寧に火種石を置いてやった。八日間ももたせなければならないそれは常より大きく、小振りのメロンくらいの大きさであった。普段は林檎くらいだ。火置き匣に置かれたこれを薪用の金枝の上に置いて火箸でいじると火が起きる。これを上手く使ってこの集落の住民は火を得るのである。
 そうしてザントレムの番になった。火種石に関しては個人ではなく各世帯につき一つ、という取り決めがある為、ザントレムは自分と師とが使う一つを持ち帰ることになる。が、フィトリアはザントレムをみとめると「暫し待て」と言い置いて別室に引っ込んで行った。ザントレムの方は「かしこまりました」となるたけ憂鬱を出さない声音で答え、恐らくはレキカに関係する何かだろうと思って待っていた。レキカの方ではまったくザントレムに何も言っていなかったのだが、この推察は半分は当たっていた。師が気まぐれに雑用を任すことなど日常茶飯事なので、またぞろそういうものだろうと彼女は思ったのである……家を出る前にあったちょっとした問答のことなど、頭をよぎりもしなかった。
 やがて、フィトリアが幾つかの石を抱えて戻って来る。
「レキカが使う分と、貴様の食事を確保する分、加えて常の通りの火種石と光源石、都合四つだ。持てるか?」
 部屋から出て来たフィトリアが持っていたのは火種石の他、鍛冶に使う高火力をもたらす『錬鉄石』と土を乾燥させる『石花石』であった。
「これはこれは……ありがとうございます!」
このうち前者はレキカの考えなので何とも言えなかったが、石花石というものが貰えたことにザントレムは喜色満面にして偉大なる酋長に礼を言った。岩や土を乾いた砂に変えてくれるこれがあれば、七日間の間砂に困ることなどないのである。
「礼ならばレキカに言え。あやつの頼みだからな」
「レキカ様が……分かりました。それはそれとして、酋長、重ねてお礼申し上げます」
「何、構わぬ。妾もレキカには世話になっておるからな」
 あくまでもぶっきらぼうに言ったフィトリアの言葉に丁寧にお辞儀をして、ザントレムは喜び勇んで退出した。朝の問答が浮かんで来る。
「よかったですね」
 ザントレムの後からパムヴァイマが出て来て、一部始終を聞いていたのだろう、そう言って来た。
「ああ、実はね、少し思い当たる所があるんだよ」
レキカはちゃんとザントレムの憂鬱を晴らす為の措置を講じてくれていたのである。今朝、師である竹林の賢者と交わした会話を、ザントレムはパムヴァイマに教えてやった。貞淑なパムヴァイマはそれを頷きながら聞いていた。
「なんだかんだ言って、レキカ様はちゃんと私のことも考えてくれていたようだよ。本当に珍しいことだけど」
「でも、よかったですね。食事が確保出来て」
「ほんとにね」
「ザントレムさんは、意外に食いしん坊ですものね」
 珍しく悪戯っぽく言ったパムヴァイマに、ザントレムは頭をかいて答えた。頭部から砂がはらはら落ちた。
「そんなつもりはないんだけどなあ」
「あら、ご自覚されていないのですか? けれど、よく石花石を頂けましたね。常であれば用意もされていないようなものですのに」
「ああ、そこは多分、レキカ様が上手く口を聞いてくれたんだろうね」
恐らくその為の『錬鉄石』でもあるのだろうと、聡明な宝紬見習いは察していた。これは後でレキカ様にも重々お礼をしなければならないな……などと考えてみる。
「それじゃあパム、私はここでお暇だ。レキカ様の倉庫から宝物をとって来るようにさっき仰せつけられてね」
「はい。ご達者で。レキカ様にもよろしくお伝えください」
「うん、それじゃあ雨が上がったらまた」
「さようなら」
と、パムヴァイマと別れてザントレムは居住区に向かう人の輪を外れ、再度北の共同倉庫へと向かった。その心に先ほどの憂鬱は既になく、丁度『火種石』のように赤々とした赤心が、師匠に向かって燃えていた。

九.墓守ラブラの面倒

 賢者会議が終わって一番最初に酋長フィトリアの城を出たのは誰あろう墓守の賢者ラブラである。コブラの鱗を持つこのラミアは四人の賢者の中で一番の若年であり、一番の閑職であり、一番のものぐさであり、一番の淫乱であり、一番の享楽主義者であり、そして一番の力持ちである。そんな彼女がそそくさと蛇腹を蛇行させて住処であるチェルノボグの北東の墓地にある『墓碑銘殿』へと戻って行ったのは怠惰の為ではない。仕事の為である。
 植物が異様に旺盛で、住民の大半が木のウロに住んでいるこの集落において、雷雨が降るというのは大変危険なものである。下手をすると誰かの家に雷が落ちかねない。大賢者アドライアがこの度の雨で間違いなく雷が降ると予言した瞬間、ラブラは思わず「面倒な……」と口走った。
「何をぬかす。貴重な墓守の仕事時だろうに、怠けるのはいかんぞ、このものぐさものめが」
偏屈な年寄そのものであるレキカがそれに対して常から浮かべている渋面を更に歪ませて叱ったのは当たり前のことであった。驚くべきことに、この集落の住民の八割がすくむその険のある視線を、ラブラは真っ向から金色の虹彩で受け止め、全力で『いやだ』という念をレキカに送ったのである。為に賢者会議は少しこじれそうになったが、アドライアがとりなしてくれたお蔭で大事にはならなかった。
この集落を守るたった一つの避雷針を立てるのは墓守の仕事なのである。チェルノボグという土地で最も標高の高い『霊峰遺跡』のてっぺんに、何代も前から伝わる途轍もなく長い避雷針を倒れないように万全の注意を施しながら立てるというのは、基本的には賢者の中で一番肉体能力に優れるラミアの一族が請け負うのだ。そしてラブラほど仕事が嫌いなものはチェルノボグに他にいない。自身の娘であり墓守見習いでもある白蛇のラミアたるパムヴァイマに押し付けようかとも思った。娘をコキ使おうとする母親、それがラブラである。だが、パムヴァイマは雨対策の為に右往左往しており、とても頼めたものではない。それがさらにラブラの不興を呼んだ。
 一応この『避雷針は墓守が立てるもの』という習慣には理由がある。墓守の一族は普段から墓場に住んでいる為に、死者の力がその身に宿る。その彼女たちが避雷針を立てるというのは実際的な意味合いの他に、一種の魔法を籠めるという意味合いが存在する。多くの大地においてそうであるように、チェルノボグという大地でも死者の力というのは特別なものであった。地中に埋まった無数の死者たちは集落を加護する大いなる力の持ち主である。その力の元にラブラの仕事は成り立つ。それを分かっていながら面倒臭がるのがラブラという人物なのである。
 このとんでもなく非常識でものぐさな賢者を動かす為に他の三人の賢者たちは大いに手を焼かされた。
「まあそう言わないでラブラ。他に出来るものがないのだから。私の方から後で沢山お菓子をあげるわよ」
「そうそう、なんならうちの娘に言いつけて、氷菓子もつけるわよ。レキカも、ほら」
「ふん、仕事をせんものにやるもんなぞないわ」
「そこはほら前払い、ということでね? ラブラもレキカの宝物があればやる気も出るでしょう?」
「なら、前に競売で流れた『レーツェルの緋の瞳』を頂戴。あれがあればやれる気がするわ」
「何ぃ?」
「まあまあレキカ、呑んであげなさいな。他にこのバカを動かす方法なんてないんだから」
と、こういう塩梅で菓子と『レーツェルの緋の瞳』という宝物をそれぞれ貰って、それでもなおラブラは渋々と仕事に入ったのである「まあ仕事から直帰出来るからいいか……」などとほざいた彼女に偏屈な宝紬の賢者が「賢者としての自覚が足りん」と説教をかましたのは実に必然の成り行きであった。と言っても、ラブラに言わせれば唯一世襲制の賢者位である墓守の仕事なんてやりたくないのに無理に襲名させられている状態だし、説教するレキカだって仕事を終わらせたらすぐに引き籠ってしまうので、謂れのない批難であると言うことも、一応は出来そうである。
 そうして、避雷針というとんでもなく重たい物体を片手で持ち上げたラブラはそれを専用の台座に固定し、べしべしと八つ当たりするように叩いて安定しているのを確認すると、もうこれで自分の仕事はお終いとばかりにさっさとねぐらにしている遺跡である『墓碑銘殿』に引き籠ってしまった。
 こういう営みの中で、ラブラは自分の楽しみを忘れていたわけではない。享楽的なオアシスであるチェルノボグの中でも最大の享楽放蕩主義者であるラブラがそれを忘れることなどありえないのである。具体的に言えば、ラブラは賢者会議に出かける間際、パムヴァイマに一つ言いつけをした。それはもう一人の娘であり、パムヴァイマの異母姉に当たるモモドメを『墓碑銘殿』に連れて来るというものだった。モモドメの母たる大賢者アドライアとパムヴァイマの母たる褥守コイカこそ呼ばなかったが、ラミアとその亜種の母娘が『墓碑銘殿』に集うように仕向けたのである。これから雨の降る一週間を家族水入らずで過ごそう……などという気はラブラには微塵も存在しなかった。単純に蜜事を行うのに手頃な自分の娘らを自宅に置いておきたいという程度の意味しかないのである。性にだらしない集落ではあるが、近親相姦を楽しめる母娘などというものは流石にラブラ一家しか存在しない。
 どうせならコイカも呼べばよかったか……などと考えながら墓碑銘殿の自室に辿りついたラブラは、これから使う媚薬の残りを確認し、不足ないことを確かめると、娘たちを待ちながら浅い午睡に入って行った。

一〇.褥守コイカの午後

 さて、こういう塩梅で雨に備える一切のことは何事もなく、極めて無事に終了した。褥守という、ラブホテルの運営みたいな仕事をしている半蛾コイカにとってもそれは同様であった。食糧も、水も、火も、酒も、七日間の日数を安穏に暮らすのに何の不足もなく、寧ろ美食を楽しむ余裕すら持って配布された。大いに満足した住民たちは今、雨が降る前の恒例行事である呑み会に興じている。クジャの酒場の酒量と来たら素晴らしく、各世帯に配給分を配り切っても全然尽きることなく、大酒呑みたちに振りまいてなお余るのだから、これには誰もが舌を巻くしかない。
 この雨の前の呑み会は元々クジャが言い出したことである。曰く、『雨で暫く会わないうちに顔を忘れないように呑みましょう』とのことで、この呑み会はお祭りの時以外は無償で振る舞われることのないクジャの造った様々な酒を思う様呑める非常に気前のいいものだった。コイカも当然参加する。大好きなウィスキーである『ワイルド・ハント』を思う様呑める機会などそうはないのだ。そうでなくとも居住区より北に外れた所に住んでいるこの人懐っこい女衒は人恋しいのである。
「ガザニカー、お疲れちゃーん! なになにまだミルク飲んでんの? たまにはお酒呑みなさい!」
 愉快な半蛾は宴席の隅でひっそりと牛乳屋ミノルスが用意したミルクを呑んでいるガザニカに的を絞って絡み出した。
「そ、そう言われても……お酒の味は分かりませんし……」
 飲兵衛連中を相手にする時、ガザニカは毎度毎度こう繰り返すしかないのだが、そんなことは知るかと言った体でコイカは「ほれほれー」と手近にあった火炎酒を勧める。断るに断り切れない少女は仕方なく、リットルグラスに満ち満ちているそれをちまちまと呑むより他になかった。そうして火炎酒のあまりの熱度に「けほっけほっ」と可愛らしく噎ぶ。
「お、いいねえ。ナイス表情! ささっ、もう一杯! もう一杯!」
「い、いえ、私はもうこれで……」
「なーに言ってんの! チェルノボグの住民なら火炎酒くらい呑めないと! ほらもう一杯!」
「あ、あうう……」
嗜虐心をそそられたコイカは更に呑ませようとする。まったくもってタチの悪い女衒である。そうして哀れなガザニカが潰れてしまうと、今度はミガとカルジャッカが呑み比べをするというので、その賭けの親元に興じ出した。どうも先の肉のやり取りで不満が残ったらしい二人は手に手にリットルグラスを持って今やその時と構えていた。
「さっきはよくもぼったくってくれたな……!」
「それを言うんならお前がロクなもん持ってなさすぎんだよ! なんだよ肉のお代に蝸牛って!」
「何を言う! 珍味だぞ珍味!」
「ああん? 犬の舌は分かんねえなあ! バターでも舐めてろ!」
「なんだとドラ猫! それを言うならお前も魚でも喰ってろ!」
「やるか!?」
「やるぞ!!」
 なんてことを言い合っている二人のグラスにそれぞれクジャとスピックが火炎酒をつぐ。住民たちは残らず歓声を上げ、コイカの元には賭けの品が集まり出す。もっとも、賭けと言っても通貨なんてないので、賭けられるのはアドライアが各世帯に用意したカシューナッツみたいな形状をした栄養食である千色茱萸であったが。こういう微笑ましい喧嘩もまた、チェルノボグという土地で行われる宴会の醍醐味であったのである。
「はいはい切った張った! ミガっちとカルジャッくん! みんなどっちに賭ける!? もう決めた!? 賭けるもん賭けた!? レイズは済んだ!? そんじゃあこれで『ノーモアベット』! よ~い……スタートォ!」
 コイカの音頭に合わせ、ミガとカルジャッカが怖ろしい勢いでリットルグラスに並々と注がれた火炎酒をあおる。酒に弱いものがやろうものなら衝撃で心臓が止まりかねないほどに豪快なそれはそれだけで大きな反響を呼んだ。ギャンブル好きな住民たちはそれぞれが賭けた方へと声援を飛ばす。クジャとスピックはそれぞれ呑みくらをしている二人に怒涛の勢いで酒を注いで行く。そのうちに宴は段々と大盛り上がりの様相を呈して、最早どちらかの応援でもないコールが湧き上がって来た。コイカの方でもみんなと一緒になって野次を飛ばし出す。その中で、コイカはラクネアに後ろから小突かれた。
「ちょっとちょっと、何よーいきなり!」
「何よー、じゃないわ! お主またガザニカに酒呑ませよってからに! あの子ぁ下戸なんだからやめんか!」
 どうやら娘のガザニカが呑み潰れているのを見つけたらしい。ラクネアは顔面にある八つの目を思い切り全開にしてコイカに詰め寄って来たのである。
「えー、いいじゃんいいじゃん、お祭りの時くらい呑まないと!」
「そういう問題ではないわ! あの子に酒呑ませるなと何度も言っておろうがこの悪徳女衒が!」
「何をー! やろうっての!?」
「おうやったるわ!!」
 こういう次第でガザニカの片親たるラクネアとコイカが取っ組み合いの喧嘩を始めると、周りのものたちもやんややんやと盛り上がる。みんな『やれやれー!』と笑いながら見ている。中にはコイカの娘であるパムヴァイマが頭を抱えていたりもしたが。話の中心にいるガザニカはまだ潰れたままで、リネオクンに酔い冷ましを貰っている。そして呑み比べと喧嘩とで、宴は更なるクライマックスへと向かって行ったのである。
こうやって、悲喜こもごもの宴の中で、普段はあまり人里にいない褥守は束の間の快楽に溺れて行くのである。みんながそうするように、彼女もそうする。愉快な午後は、雷様が鳴るまで続く。

一一.本屋マロカの安眠

 こういう集落で起きている『雨対策』の一切に関わらずに本屋マロカは一日を過ごしていた。彼女は本に書いてある文章が主食であり、普通の食べ物はおろか水すら必要としない。図書館遺跡に住んでいる以上食べ物は何程でもある。だから彼女は安心してだらしない睡眠を貪っていられるのである。
そして、昼過ぎくらいに目を覚まして、カウンターの上にクスフィスが残した書き置きを見ると、樹と土に埋もれている図書館遺跡の二階(ここに玄関がある)に行って、雨戸を閉めて、さあ遅すぎる朝食は何にしようかと図書館遺跡の中を渉猟するのであった。今日はどちらかというと清冽な文章を食べたいらしく、手にとった本は何度も食べている『ロミオとジュリエット』だの『ハムレット』だの『天守物語』だの『荘子』だの、古今東西の神書であった。
それらを持ってカウンターに戻ると、鍵なんて卑怯なものをかけていない雨戸の外から湖の賢者スクラクが入って来て待っていた。
「雨だって言うのに相変わらずねえ。お土産を持って来たわ」
 怜悧な美貌の賢者はそう言って桶に入れられた『圧縮氷』とアドライアからのバナナを差し出した。
「ありがとうございます。さっきまで寝てたので……」
 マロカは素直に受け取った。仮に持って来たのがクスフィスやキスティ辺りであれば無下に突っ返すのだが、賢者に対してマロカは親愛しているのでその分険がない。別段貰っても彼女からすれば味もよく分からないものであるのだが、立場上上である賢者からの差し入れを断るバカは流石にいない。
「ふふっ、だらしない子」
 そう言ってスクラクはマロカに軽いデコピンをする。マロカはくすぐったそうにそれを受ける。
「えへへ……でも、雨だから」
「そうね。みんなもみんなで楽しんでいるけれど、マロカの楽しみはまた別だものね」
「そう……ですね。ちょっと、よくない、かな?」
「そんなことないわ。あなたはあなた、他は他、私は私。だから、いいのよ。無理なんてしなくても」
 マロカが、集落一の変人たる友人クスフィスとは別の意味合いで特殊なことを、湖守の賢者はよく知っている。だからこそ、無理にルーヴァンを使って呼び出すこともなく、末娘のラムをメルシーたちに任せて、こうして自ら出向いているのだ。大人が支えてやらねば倒れてしまう子ども、少なくともスクラクにとってマロカはそういう存在だった。
こういう具合で文喰の少女は、本人も知らないその過去にある何かの為に、四人の賢者たちの愛好の対象になっている。両親が酷く理不尽な形で死んだマロカにとって、家族のように接してくれる賢者たちは非常にありがたい存在だった。
「これからお昼? それとも朝食かしら?」
 にゅるにゅると脚の触手を動かしてカウンターの中に入って来ると、湖の賢者はマロカの傍に腰を下ろした。
「まあ、朝食かな……食べても?」
「どうぞ」
 この集落の中において人に遠慮なく無作法にものを喰うことを気にする程の知能の持ち主はそんなにいないのだが、そのそんなにいない方に属するマロカは遠慮がちに問い、スクラクは即答した。安心したマロカが頁をパラパラ繰ると、中に書いてあった文字が悉く空中に浮かびあがり、呼吸に合わせてその口の中に呑み込まれて行った。こうして食事を終えた後には、白紙の本だけが残る。
「美味しい?」
 いつ見ても不可思議なその食事にスクラクは思った通りのことを問うた。見守るような視線を投げながら。
「はい。今日は割合キレイ目なのを選んでみました」
 友人や集落の大人たちの前では無表情でぶっきらぼうなマロカであるが、賢者たちを相手にする際は少女らしい表情と素直な言葉を使う。彼女にとって賢者という存在は畏敬の対象であると同時に家族愛の対象でもあるのだ。
「そう。……ねえ、今夜は泊ってもいいかしら?」
 その愛らしい少女に、スクラクは更に問う。
「私は構いませんけど……湖の方は大丈夫なんですか?」
 賢者と言う仕事の重要さをよく知るマロカは訊き返す。
「一日くらい放っておいても大丈夫よ。『圧縮氷』も行き渡ったし、湖に用事のある子もいないでしょ。それに、たまにはマロカと一緒に寝るのも悪くない」
 こういう直接的な求愛にマロカは弱い。一も二もなく頷いて、不要とは分かりながらもスクラクを空いている、本を一冊も置いていない部屋へと案内する。年がら年中忙しく働いている賢者と一緒にいられるのが無条件に嬉しく、マロカに尻尾があったら今頃千切れんばかりに振られているだろう。
「こちらへ……なんだか、久しぶりですね、スクラク様と、のんびりするのって」
「そうねえ……なんだかんだ言って、賢者は賢者らしく、忙しいものね」
「せめて今日は、ゆっくりして行って下さい」
「ありがとう。マロカは、いい子ね。私の娘たちに爪の垢でも分けてくれないかしら?」
「いえ、いえ、私はそんなんじゃありません、よ……」
「そう?」
「そうです」
「ふふっ、かわいいわね……」
 そうして、どうでもいい話を沢山しながら雷鳴の轟く黄昏を過ぎて、雲に隠れて見えない月が空に昇る頃、一人の少女と一人の美女は一つの簡素なシングルベッドで眠りに就いた。眠る間際まで、幸せの履歴を呟き合いながら。
 チェルノボグは今日も平和である。
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