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「小説」
チェルノボグ

エピソード:大いなる酩酊

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水晶砂漠に、風が吹く。


 その日、酒場の亭主たる九尾の狐クジャはこの集落の住民総てが蜜事を行うのに使う褥、即ちキノコホテルの一室で目を覚ました。隣では肉屋を営む人虎ミガがぐーすか寝ている。昨晩、呑みに来たミガが珍しく人恋しいというので、美しい九尾の狐はそれを慰める為に一夜を共にしてやることにしたのである。獣性の強いミガとの交わりは、この酒場の九尾にとってなかなか刺激的で満たされるものであった。ことに『マンドラゴラの媚薬』を飲んで行われたそれは実に十一度の絶頂にまで届いたのである。
 そのクジャは寝起きにふっと思ったのである。
『マンドラゴラを加工してお酒にすればいいのじゃないかしら』
 酒場の九尾一族は代々酒造を仕事にしていて、新しい酒の開発に明け暮れている。クジャももう八百年近く新酒の開発を続けているのだが、どうも先代の酒場の店主が遺した『火炎酒』という名の一大銘酒ほどのものはなかなか生み出せずに苦悩していたのである。
 そんな時、不意にマンドラゴラを酒に使うというアイデアが浮かんで来たのだ。しかし、実の所マンドラゴラという主に精力剤として使われる霊薬草を使った酒というのは既にある。マンドラゴラを漬けこんだ一種の養命酒である。クジャもそれは当然分かっているのだが、それを作ったのは彼女の記憶に間違いがなければ先々代である。その頃に比べれば酒造りの技術も大分進歩している。何せ、酒場の九尾一族はかなり長命で、一人につき八百年から千年程度は生きるのである。チェルノボグの平均寿命は大凡三百代前半なので、これはかなりの数字である。そういう長生きな連中が酒造りをしている関係上、その技術はどんどん新しくなっていく。道具というものに事欠く社会であるので、その進歩は大分遅いものであったが、それでも最近は古道具屋クスフィスが酒造りに必要な古代の道具なんかを掘り起こしてくれたお蔭で先々代の頃とは比にならないほど多様な酒が造れるようになっている。
 だからクジャはマンドラゴラという材料を現代のチェルノボグの酒造技術で加工してみようと思ったのである。殊に、クジャの代になって開発された発泡酒というものの材料としてマンドラゴラを使えないか、と。何せ万能な効能を持つ素材であるので、それを酒にすればなかなかに素敵なことになるのではないか、というのが麗しき九尾の目測であった。
「ミガ、ミガ、起きて、朝よ」
 そして昨夜褥を共にした凄まじく年下の友人を起こしにかかる。クジャとミガに限らず、チェルノボグの住民は友人程度の関係であっても蜜事をする。その日その日の気分で寝たい相手と寝るそれは、完全なる艶遊びであった。
「ううん」
 ごろんと寝返りを打って、ミガは片腕で顔をこすり出した。まるで猫が顔を洗うようなそれは、人虎である彼女が眠気を覚ます為にする動作である。
「朝、か……」
 そしてゆっくり起き上がる。昨晩は随分頑張ったらしく、その声音は少しの疲弊を感じるものだった。一方でクジャはもうさっきの思い付きの為に眠気も疲労も消し飛んでしまっていた。
「ちょっと今日一日付き合って貰いたいことがあるのだけど」
 まだ眠そうに顔をこすっている肉屋は「なんだ?」と聞き返した。
「マンドラゴラを採りに行きたいのよ」
「マンドラゴラぁ?」
 伸びをしながら、人虎は素っ頓狂な声を上げた。彼女はしばしば遺跡から獣を獲って来る為、その構造には詳しいのだが、一方で植物を採るのは専門ではなかった。
「リネオクンでも連れてけよ」
 あまり気乗りしないらしい肉屋は薬草を採り慣れている薬屋を指名した。この集落でマンドラゴラを一番採取するのはそれを媚薬に加工して売りさばいているリネオクンに他ならない。
「勿論リネオクンも連れてくわよ。けどね、ちょっと今までにないお酒を思いついたのね。それの実験の為にちょっと多めに採りたいのよ。そうすると、『常緑遺跡』の地下くらいまでは行かなきゃいけないでしょう? あの辺は熊も出るし、リネオクンは自衛出来ないし、そうすると誰か一人、護衛役がいるのよね」
 クジャの言う通り、まだ歳若い知識人であるリネオクンは遺跡に住まう獣たち相手に何かをする手段など持っていない。クジャは自衛くらい簡単に出来るが、リネオクンという足手まといを連れて熊が徘徊する常緑遺跡の地下を歩き回るというのは結構勇気がいる所業であった。
「新酒か。いいな。ついでに熊も獲って来ていいかな? 最近でかい獣を喰ってないんだ」
 クジャの酒場の新酒と聞いて惹かれないチェルノボグの民なんていない。更に言えば、純然たる肉食系であるミガにとっては常緑遺跡という場所に住んでいる熊ですら狩りと食事の対象でしかない。為に、この仕事のボディガードとしてはかなり適している人物なのだ、ミガは。
「まあ、獲れるなら獲りなさいな。私はあくまでマンドラゴラを探すから」
「しかしクジャ、遺跡の地下まで行って獣に見つからないようにするってのは無理だぞ」
 ミガの言う通り、チェルノボグに密集している様々な遺跡には総て地下があり、そこは獰猛な獣たちの巣となっている。そこに乗り込んで行って獣に会わないようにするなんてことはそうそう出来るものではない。
「まあ、私だって自衛くらいは出来るし、リネオクンを護衛するだけの余裕があればいいのよ」
 言いながらクジャはこの集落では珍しい服というものを裸体に纏って行った。知識ばっかり多くて実際的な自衛手段を『逃げる』しか持っていないリネオクンを連れて行くには少しの不安があったが、それでもマンドラゴラの何本かと引き換えにすれば仕事はしてくれるだろうし、薬草の分布と特徴を一々ちゃんと知っているのは彼女か、精々がぼったくりで有名な古道具屋クスフィスくらいのものなのだ。
「リネオクンなあ。ま、あいつはいつも暇だろうから大丈夫だろうけど。しかし、マンドラゴラでどんな酒を造るんだ? 養命酒とは別なんだろ?」
「ええ、発泡酒にしてみようかと思って」
「マンドラゴラの麦酒ってことか。どんな味がするんだろうな」
「それは造ってみなければ分からないわね。だから酒造りは楽しいのよ」
 ラクネアの服屋で買ったお気に入りの浴衣を翻して振り返り、クジャはミガにそう言った。とてもチャーミングな笑顔と共に。
 そして二人は一緒にキノコホテルを出て居住区の北の外れにあるリネオクンの薬屋を目指したのである。彼女の家はこの集落の方位を計る最大の目安である湖の、東南の岸にある。もう少し南には住民の多くが住まう居住区があるのだが、リネオクンは水棲種である為に湖のすぐ近くに居を構えられるその場所を自宅に選んだのである。クジャとミガとは迷うことなくその家に辿り着いた。通常チェルノボグで店を営むものは岩屋を店舗にして樹のウロを自宅にする、という具合に家を使い分けているが、リネオクンに関しては逆である。二人がリネオクンの薬屋であるウロを訪ねても、まだ朝早いからであろう、彼女の姿は見えなかった。そこでその向かいにある岩屋の入り口に、ミガは落ちていた結構な大きさの石をガンガンぶつけだしたのである。これは要するにノックであるのだが、それにしても随分剛毅なノックであった。
 その音は確かに中で眠っていたリネオクンを呼び起こすのに成功したらしい。顔を縦に二分割しながらリネオクンが出て来た。クリオネの遺伝子を持つ彼女は頭の上に口があり、その口であくびを連発している為に頭が裂けては戻るような具合で蠢いているのである。
「クジャさんにミガさんじゃないですか。昨夜はお楽しみだったようで。何かご用ですか」
 あまり愛想のいい方ではない薬屋は眠りを覚まされた不快感を隠しもせずに二人に問うた。大方、夜遅くまで何かの実験をしていたのだろう。
「ああ。実はクジャがな」
「マンドラゴラを採りに行こうかと思って。一緒に来てくれないかしら?」
 二人の言にリネオクンは頭を閉じてそこから生える触角をぴくぴく動かして考えていたようだったが、やがて言う。
「要するに私にマンドラゴラ探しをしろということですね? それはいいんですが、お代はどうします?」
「採ったマンドラゴラの幾らか、でいかが?」
 リネオクンの頭部は白い頭巾を目深に被っているようになっていて、口元でしか感情を判別出来ないのであるが、この時薬屋は露骨に不服そうな表情を口元に湛えた。彼女としてはしょっちゅう採りに行くマンドラゴラなんぞ貰っても何の糧にもならないのである。
「マンドラゴラはいりません。それこそ幾らでも採ってこれますし蓄えも少しはありますし」
「あら、それならそのマンドラゴラと、私の所のお酒とを交換しない?」
 クジャの言に、リネオクンはにべもなくかむりを振った。
「いやですよ。マンドラゴラは私の貴重な収入源なんですから。それに、溜めている分のマンドラゴラでは大した酒にはなりませんよ。数が少なくて。だったら一緒に採りに行く代わりに何か別のお酒を奢って貰った方がよっぽどいい。手間は惜しみませんから、それでどうですか」
 この集落の頭脳労働者らしく万年金欠なリネオクンとしては、せっかくいい酒を貰えそうな機会に損をしたくないのである。媚薬はそこそこ売れるが、それでもこの健康に過ぎる集落において薬屋という商売は儲からないものなのだ。そうでなくともマンドラゴラは一等高い媚薬を精製出来る彼女の貴重な収入源であるし、マッドサイエンティストでもある彼女の実験的好奇心を満たす為にも備蓄にあるマンドラゴラを明け渡すことなど出来はしないのであった。それであれば敢えて慣れていない肉体労働をして、クジャから泡酒でも貰った方がよほど利になるのである。
「相変わらず貪欲ねえ。まあ分かるけど」
 クジャの方では、この貧しい薬屋を生まれた頃から知っているので、苦笑いしつつもその提案を呑むことにしたのである。
「お代は泡酒がいいかしら? それとも別のものがいい? 欲しいものであればどれでも差し上げるわよ」
 という気前のいいクジャの言葉は、薬屋にとっては少々意外であったらしい。泡酒というのはクジャの酒場にある酒の中でも屈指の高級酒である。ここまで気前よく酒をくれるということは、本当にかなりの銘酒を生み出すだけの確信があるのだろうと、若いながら聡明なリネオクンは察した。
「泡酒もいいのですけど、『蒼穹』はまだありますかね」
 蒼穹というのはリネオクンが一時期はまっていた酒であり、作り置きされるカクテルの一種である。爽やかな甘みが通り抜ける素敵な水色をした酒である。
「確か少しは残ってたわね。それじゃあ、それでいいかしら。と言っても量がそんなになさそうだったから、足りなければ別のものもあげるわ」
 そのやり取りを聞いていたミガはふと思い立って言う。
「おいクジャ、私の分はどうすんだ? まさか熊でも獲って来いとは言わないよな?」
 ミガの心配ももっともである。クジャの提案した通りの役割配分であれば、最も危ない所を担当するのはミガに他ならないのである。そうなるとそれなりの見返りがないとどうにもやり切れない。
「ミガは……そうね、『紫貴腐葡萄酒』が出来たから、それでいかが?」
「おお、いいな。だったらなおさら熊一頭獲って来ないとな」
 紫貴腐葡萄酒というのは名前の通り紫葡萄を貴腐ワインの製法で酒にしたものである。かなり癖が強いが、ミガに言わせると肉食獣の堅肉によく合うらしい。そんなことを言うものはミガしかいないのだが。
「報酬は大凡決まったわね。それから、マンドラゴラの新酒が出来たら真っ先に呑ませても差し上げるわね」
 そう言って気前のいい酒場の女将さんはウインクして見せた。
「この間の『ネバネバ』みたいなことにならないことを祈りますよ……」
「あれはある意味革命的だったな」
 ネバネバとはクジャがつい最近『光粘菌』というもので作った酒である。名前の通りねばねばしていて、他のどんな酒とも違う変な苦みがある。リネオクンはその成分が肌にいいものだということを知っているが、味で言えば薬用酒の中でもかなり不味い。
「挑戦と失敗を繰り返してこそ、価値あるものは生まれるのよ」
 自らの失敗を掘り返されたクジャは誤魔化すように恰好つけた。実際あれはあまり人に勧められるものではなかったのだ。
「どうだか。それじゃ、ひとまずはそれぞれ火と氷を貰って来て、私の家でまた集合するか。常緑遺跡に行くならそっちのが近いしな」
「そうね。スピックちゃんにも言いつけておかないといけないし」
「弁当はどうしますかね」
「私の方で用意してやるよ。昨日の薬のお代だ」
「じゃ、各々やることが済んだらミガの肉屋に集合ね」
 と、いう塩梅で三人はひとまず別れることにした。火と氷をそれぞれ酋長の城と氷屋バグラスの元から貰って来ることはこの集落の住民にとっては欠かすことの出来ない朝の日課である。三人のうちリネオクンは湖に繋がる岩屋に住んでいる為、氷は貰わずに湖の北岸にある酋長の城に『火種石』を貰いに行くだけでよかった。一方クジャとミガはバグラスの所で氷を貰わないと一日分の水が手に入らない。加えてミガは弁当の準備、クジャは自分の酒場でバイトをしているスピックという鳥種の少女に不在中の酒場の雑用を命じる為に、別れて行ったのである。
 そしてそれらの日課と朝食を真っ先に終えてミガの肉屋に来たのはリネオクンであった。湖の畔に生活している水棲種は生活するのにかなり便利な環境と種族特性を備えているのである。
「もう来たのか。早いな」
「氷をとらなくていいですからね。クジャさんはスピックを起こしに行っていたみたいですし、ゆっくり行きましょう」
「そうだな。昼飯は何がいい?」
「野槌の蒲焼きがあれば」
「おう、任せとけ」
 こういうやり取りをしながらリネオクンは地べたに座って準備として持って来た麻袋の中身を検め、ミガは言われた通り野槌と、クジャからのリクエストである兎の照り焼きを用意していた。するうちに、クジャがやって来た。作業用の実用性の高い服に着替え、やはり採集用の麻袋を抱えている。
「お待たせしちゃったかしら?」
「いえいえ、私が早く来すぎただけです」
「もうちょい待ってくれ。後は包めば終わりだから」
 そう言うミガの言葉にリネオクンもすっくと立ち上がる。
「もう少し何か、遺跡探索用のものを持ってくればよかったかしらね」
 遺跡に行くことが稀な九尾は割合よく薬草を採りに行く薬屋に尋ねた。
「マンドラゴラしか採らないのであれば、別に必要なものはそんなにありませんよ。第一、マンドラゴラ採集の為にいる道具なんて私とクスフィスしか持ってません」
「道具?」
「ええ」
「待たせたな!」
 リネオクンとクジャが会話しているうちに、ミガが幾つかの葉っぱ包みともっこ橇を持って岩屋から出て来た。そして、それぞれ注文された品を二人に手渡したのである。それを受け取りつつ、リネオクンは言う。
「マンドラゴラが呪いの絶叫を上げる、というのはご存知だと思いますが」
 そうして、麻袋の中から小指の先端くらいの何かを取り出す。
「この耳栓はそれを防ぐ為のものです。まあチェルノボグ民であれば呪いの絶叫も大して効かないことが常ですが……結構多く採るのでしょう? だったら呪いが蓄積されるのを防ぐ意味でも、持っていた方がいいでしょう」
 リネオクンの持って来た耳栓はかなり特殊なもので、マンドラゴラの絶叫に代表される『魔法的な音』だけを遮るものであった。つまり、普通の会話や獣の声なんかは耳栓をつけていても普通に聞こえるのだ。それを二人に手渡すと、更に袋の中から小さな壺を取り出して言う。
「これはもしもマンドラゴラの絶叫毒に中てられた時の為の薬です。絶叫は聞こえてもある程度距離をとっていれば害はないので、三人のうちの誰かは離れた所で待っているのがいいでしょう。それからこのロープ。それほど長いのは用意出来ませんでしたが、これくらいの長さでも間近で絶叫を聞くのに比べれば随分マシです。私とクジャさんがそれぞれマンドラゴラを採取するので、ミガさんは薬を持って離れた所で獣が来ないかの見張りをすると、そういう手筈でどうでしょう」
 流石に薬草採取のプロだけあって、リネオクンは実に分かりやすく手順を説明してくれた。専門外のミガは勿論、遺跡に行くことなどこの数百年で随分少なくなってしまっていたクジャも、その方法には頷きあったのである。
「じゃあ行くか。案内は任せろ」
 手筈を確認し切ると、ミガはもっこ橇を持って三人の先頭に立って西を目指して歩き出した。狩猟した大型動物を運ぶためのもっこ橇を持って行くということは、この肉屋の主人は完全に熊を狩る気でいるらしい。クジャとリネオクンもその後に続く。
 三人が目指す常緑遺跡は集落の北西にある常夏の遺跡である。チェルノボグに群集する遺跡は場所によって全然気候が違うという奇妙な特徴を持つ。その影響か、極めて狭い集落の中にあるというのに遺跡に住んでいる動物は遺跡によって種々様々に異なる。常緑遺跡であれば浅い所に鹿や猪、少し地下に入ると熊や牛、変わった所では何故か河馬なんかがいる。これだけの野獣が生息しているが、例えば北方の『六花遺跡』や東方の『石林遺跡』みたいに気候も地形も特殊な所に比べれば普通の森に近い常緑遺跡は大分危険度が低い。ただし、チェルノボグの遺跡というものは基本的に総て地下に長く続いている。これがどういうことかと言うと、普段から住民が出入りする地上部分であれば獣もそれほどいないのだが、下層に行くにつれて野生の密度は濃くなり、危険度が飛躍的に増して行くということだ。南方にある『火山遺跡』などは浅い所ですら人死にが出るほど危険なので禁制の地となっているが、それ以外の遺跡であっても深い所まで行くのは推奨されていない。今、三人がマンドラゴラを求めて入って行こうとしているのは常緑遺跡の地下二階部分である。こういう言い方が可能なのは、『遺跡』の名前に相応しくそれぞれの遺跡には文明の痕跡、つまりは土と樹木に埋もれた何かしらの建物が存在するからだ。
「そう言えばさあ」
 そこを目指しながら、ミガが思い出したように言う。
「リネオクンもクスフィスもだけど、よくロクに自衛手段もないくせに遺跡に入って無事に済むな」
 薬屋のリネオクンと古道具屋のクスフィスは実の所、この集落の住民の中でもかなり頻繁に遺跡に行く方である。リネオクンが薬草を求めて様々な遺跡に行くことは言うまでもないが、古道具屋のクスフィスは自分の商売で稼げないので遺跡まで様々なものを採りに行くのである。
「そりゃ私やクスフィスは地図を持ってますし、逃げ足も速いですからね。何より、体が小さい分樹林の間を上手く通れるんですよ」
 リネオクンの言うように、遺跡を埋め尽くしている樹林は元々あった壁と一体になって、地下に迷宮を生み出している。そこに僅かに存在する抜け道をよく把握しているからこそ、リネオクンやクスフィスみたいな非力なものも上手いこと遺跡の中で物品採集が出来るのである。
「遺跡の状況も大分変わったわねえ」
 クジャはリネオクンやミガが生まれる前からこの集落に住んでいるだけあって、懐かしそうに昔を回想した。
「何百年か前になんて地図もほとんどなくて、勘だけを頼りにしてみんな歩いていたのに。クスフィスの博物館遺跡なんてのも新しく発掘されたし、他の遺跡もまだ開けて行くのかしらねえ」
 クジャの言う『新しく発掘された』という博物館遺跡はその作業に二百年ほどを要した。それでもクジャにとっては最近のことだというのだから、まったく酒場の九尾一族の時間感覚は怖ろしい。
「今の住民の総数を考えれば、遺跡を開拓していくというのは相当気の長い作業になるでしょうね」
「だろうなあ。別に浅い所だけ使うので普通は間に合うしな」
「しかし、特に常緑遺跡に関してはちょっと気になることがあるんですよ」
「うん?」
「何かあるのかしら?」
 リネオクンの言に、二人は思わずクエスチョンマークを浮かべた。この集落にある遺跡はほとんどが数千年前から存在していたもので、そこに新たな発見がどれだけ眠っているのかなんて、頭脳労働なんてものをしない普通の住民は考えないのだ。
「南東にクスフィスの博物館遺跡、南西にマロカの図書館遺跡、そしてそれに対応するように北東にラブラ様の墓碑銘殿……別称公民館遺跡。湖を中心にしたこれらの三つは、丁度湖から同程度の距離に存在しています。すると、方位の中で『北西』が足りない。そう思ったことはありませんか?」
 リネオクンの疑問に、頭を使うことに慣れていない可哀想なミガは「ん? んん?」と唸ることしか出来なかった。一方でそれなりに頭のいいクジャはその言わんとする所を察した。
「つまり、南東・南西・北東の遺跡に対応する北西の遺跡があるんじゃないかと、そういうことね?」
「ええ。クスフィスの奴とたまに話すんですが、どうも常緑遺跡と湖の間に不自然なスペースがあるじゃないですか。異様に密度の高い森が。そこに、博物館遺跡他と並ぶような文化的遺跡が眠っているのではないかと、そういう仮説です」
 集落の若い知識人たちが最近になって噂しているその仮説をリネオクンは熱弁したわけだが、どこに何が眠っていようが今ある場所だけで充分事足りると思っている大人たちの賛同は得られなかった。二人にとっては未知の遺跡への浪漫など問題でなく、これから行く常緑遺跡の道の方がよほど深刻な問題なのである。
「まあでも、あると言っても他の三つの遺跡を考えたら、あまり私たちみたいな人種の為になるものはないんじゃないかしら」
「だよなあ。博物館遺跡も図書館遺跡も私みたいなのは全然使わないし」
 二人の言うように、古道具屋クスフィスの住まう博物館遺跡、本屋マロカの住まう図書館遺跡、そして墓守の賢者ラブラの住まう元公民館遺跡、現墓碑銘殿はさほど為になる場所ではなかった。頭を使うということに対して怠惰なここの住民はそういう文明の痕跡に極めて無関心なのである。
 などと言うことをあれやこれやと言い合いながら歩いて行くと、常緑遺跡の南側の入り口である。抜かりなく地図を持って来たリネオクンはミガにもっこ橇を小さくまとめるように言って、目的の地下二階までの最短の道のりを歩み出した。もっとも、獣に会った時に先頭にいると悲惨なことになるので、前に立てたミガに指示を出すような形であったが。
「相変わらず几帳面だな。それはそうとクジャ、どれくらいの数を採るんだ?」
「そうねえ……前に光粘菌をリネオクンとモモドメちゃんに探しに行ってもらった時は随分無茶な要求をしちゃったし……どれくらい採れるものなのかしら?」
 圧倒的最年長である割に遺跡に疎いクジャはリネオクンに訊いてみた。前に光粘菌を採って貰った時は一日かかるようなとんでもない作業を押し付けてしまったのである。
「どれくらい、というか地下二階であれば私とクジャさんの麻袋が一杯になるくらいは簡単に獲れますよ。熊がいる所為で危険ですが、あそこは相当な穴場ですからね」
「それなら、採れるだけ採ってみましょうか。お酒造りも成功するかどうか分からないしね」
 遺跡という名の共有区画にあるものは基本的にどれだけとってもいいということになっている。乱獲は推奨されていないが、それほどの規模にならない程度であっても随分沢山のマンドラゴラが採れるのだということをリネオクンはクジャに説明してやった。そうこうするうちに大きな石の階段が現れ、三人でそれを降りて行く。地下一階に降り立った瞬間にリネオクンが「こっちです」と壁の隙間を示し、そこを通ってみるとどうだ、もう目の前に地下二階への階段があるではないか。
「思った以上に詳しいな」
「薬草採りは仕事のうちですからね。それよりミガさん、そろそろ構えていて下さいよ。この先は『熊のねぐら』ですからね」
「ま、何とかなるでしょう。この三人なら」
「クジャもなんだかんだで強いしな!」
 などと言い合いながら階段を降りた三人のうち、真っ先にその場の危険性の高さを知ったのは嗅覚に優れたミガであった。
「こりゃ相当いるな。どのくらい時間かかる? あまり長くいると何匹か寄って来かねないぞ」
 普段はあまり地下に入らないこの肉屋はここの熊の臭いの数にびっくりしたのである。彼女の人虎としての力をもってすれば熊の二頭や三頭はものの数ではないが、ミガの嗅覚は少なくとも六匹の獣の臭いを嗅ぎ取った。
「まずは階段に近い所から初めて、熊の巣の近くを通らない道で奥の方に少しずつ進みましょう」
 リネオクンもそれは分かっているので、比較的安全な道を地図を見ながら確認していた。
「マンドラゴラの簡単な見つけ方、というのはあるのかしら?」
 そこにクジャが問う。たまにマンドラゴラを養命酒に使ったりはするが、自生しているそれを採るのは初めてであった。
「説明するよりも見たほうが早いですね。少し寄り道になりますが、こっちに行ってみましょう」
 そうしてリネオクンは北側の小道を指した。やはりミガを先頭にして、次にリネオクン、もっこ橇を引きずったクジャと続く。そして、その途中にそれはあった。葉っぱの形にクジャもミガも確かに見覚えがある。それは酋長フィトリアが持っているような龍の逆鱗の形であったのだ。
「分かりやすいでしょう。そして、これにロープをこうしてですね……」
 言いながらリネオクンはマンドラゴラの葉っぱの根元にロープを巻き付け、耳栓をつけるように指示し、そして三人して道を戻って行った。勿論リネオクンの手にはロープの端が握られている。そして伸び切ったロープを思い切り引くと、森に響き渡るような大音声で『ボナペティイィィィィィッィ!!!!!!』という声が巻き起こった。もっとも、特殊な耳栓をした三人には聞こえなかったが。
「と、まあこんな具合で採って行けばいいわけですよ」
 ロープを自分の手元に手繰り寄せながらリネオクンは言う。その先っぽには確かに人型をしたマンドラゴラの根っこがくっついていたのである。しかも、それは手足に見える所を僅かにくねらせていた。この状態のマンドラゴラを見るのが初めてなクジャとミガは大いに引いた。
「ロープは二本持って来ましたから、私とクジャさんとで採りましょう」
 そう言ってリネオクンは最初の収穫を麻袋にしまいこんだ。その上でもまだマンドラゴラは手足をくねらせながら『ボ、ボ、ボナッペティ!!!』と叫んでいたらしかった。
「しかし、結構な声が起きるみたいだけど、熊が寄って来たりはしないかな」
 見張り役になったミガは不安そうに言う。実際、耳栓をしていなかったらその大絶叫に思わず心臓が飛び出てしまいそうな、それほど凄まじい音量だった。
「大丈夫ですよ。マンドラゴラの絶叫毒は獣も知っていますから、聞こえたならかえって逃げるでしょう。それじゃあクジャさん……」
「ええ。始めましょう、マンドラゴラ狩りを!」
 リネオクンからロープを受け取って、その採り方を把握したクジャは高らかに言う。こうして、三人のマンドラゴラ狩りが始まったのである。
 リネオクンの言う通り、マンドラゴラは何ほどでも採れた。最初に入った小道をぐんぐん先に進む途中で四本も採れ、更にその最奥では三本ものマンドラゴラが群生していた。これを見たリネオクンは三つの根元にまとめてロープをくくりつけ、例の方法で引き抜いたのである。これだけの収穫が麻袋の中で暫くの間くねくねと蠢くのだからその荷物の騒がしさと来たらとんでもなかった。リネオクンによればマンドラゴラの絶叫毒は引き抜いた瞬間に最大の量で放出される為、引き抜いた後のその声は安全だということだったが、『ボボボボッボボナペッティ!!』と口々に叫ぶそれの声を聞こうという気にはなれなかったので、三人とも耳栓は外さなかった。そして通って来た一本道を引き返して階段の近くまで来ると、リネオクンは「今度はこっちから行きましょう」と言ってまた抜け道を案内してくれた。そちらの方でも、実によくマンドラゴラが採れた。南側の抜け道を通った先にあった小道を西進して行く過程で実に十四本ものマンドラゴラが採れたのだから、確かにこの熊のねぐらはマンドラゴラ採集の穴場に違いなかった。
「リネオクンは他に欲しいものはないのかしら?」
 また一つ見つけたそれを引き抜き、手繰りよせながらクジャはリネオクンに問うた。常であればこの熱心な薬屋は薬の原材料になる薬草もついでに採取するのである。
「この辺りには随分慣れてますけど、あんまりいい薬草は生えてないんですよ。一部を除いて。この道もそろそろ危険ラインかな……戻りましょう」
 そう言ってリネオクンは最後尾にいたミガを案内しながらまた来た道を戻り出した。ぐいぐい進んでしまってものいいのであるが、この辺りはそこら中に熊が住んでいるのだ。それに見つかっては大変なのである。
「さっきの抜け道の所から少し行った所に泉があります。丁度いいですから、そこで休憩しましょう」
 薬屋の提案に酒屋と肉屋は一も二もなく頷いた。三人とも結構な範囲を歩いたために腹は存分に減っていたのである。そしてリネオクンは実の所その泉で副収入を得ようと目論んでいた。先に言った「一部」がその泉のある一画なのである。そこでは睡眠薬の原料になる『マズルカ草』と言うものが群生していて、リネオクンはそれを採り尽してやろうと思っていた。
「や、しかしどうだ、熊は獲れそうにないな」
 泉に到着すると、真っ先にミガがその近くに座って言った。
「熊がいない道を選んで歩いてますからねえ」
 荒事はごめんなリネオクンは荷物から野槌の蒲焼きの串を取り出して喰いながら、泉の近くに生えているマズルカ草を集め出した。それを見ながらクジャも兎の照り焼きを喰い、戦利品の数を数えていた。
「もう二十五を数えた、か。ほんとによく採れるのねえ」
 マンドラゴラという、特性だけが知られていて実際の生態をよく知られていない植物を採取するには、もっと時間がかかるのではないかとこの酒場のおねーさんは思っていたのである。しかし、リネオクンの案内と手腕と来たら素晴らしく、その想像の遥か上を行く鮮やかさで大量のマンドラゴラをもたらしてくれた。まったくこの豊饒は酒場の九尾にとっては嬉しい誤算であったのだ。
「普段リネオクンはどれくらい採るのかしら?」
「私であればそんなには採りませんよ。大体一本のマンドラゴラを媚薬と毒薬に使えば、毎晩飲むとしても十何日分かは精製できます。ですから、精々が三、四本ですね」
「毒性があるとは聞いたことがあるが……やっぱラブラ様に捧げるのか?」
 さらっととんでもないことを言った薬屋にミガが問う。この集落の住民は毒に対して凄まじく強い耐性を持っているが、進んで毒薬を飲むものなんぞ仕事の関係で普段から毒を常飲する必要のある墓場のラミア一族くらいだ。後は精々、毒物が好物という変な食性を持つ汚穢屋のはぐれ一族か。
「そうですねえ、やはりラブラ様は媚薬も毒薬も買って下さる上客ですよ。買いに来るのは大抵パムヴァイマですが」
 リネオクンはマズルカ草を摘みながら答えた。墓守の賢者ラブラは蜜事が大好きな人物であり、とんでもない悪食故に毒すら美食として求める、リネオクンにとってはまさに最上の客なのである。
「所でリネオクン、マンドラゴラの毒性ってどうすれば抜けるのかしら? マンドラゴラの養命酒は何も考えずにお酒に漬けるだけだけど……」
 様々な酒の製法、即ちレシピを持っている九尾の狐であったが、マンドラゴラというものに関してはあまり知識がない。先々代が作ったマンドラゴラ養命酒の作り方は極めて簡単なのだが、それ以外の製法であればちゃんと毒抜きをせねばならないのではないかと、そう思ったのである。
「マンドラゴラの毒性というのは、基本的に獣の血を吸収して毒に変えたものです。なので水に漬けておけば、血の毒性は段々抜けて行きます。その過程で毒とは別に薬効になる部分も抽出出来るのですが……まあその辺の細かいことは帰ったらお教えしますよ」
「今あるマンドラゴラ酒って採れたのをそのままお酒に浸してるだけなんだけど、それって大丈夫なのかしら……」
「アルコールであればさほど毒は染み出さないようです。多少の毒ならチェルノボグの住民である以上大丈夫ですし……なんなら簡単なアルコール漬けにして薬効を取り出す方法を出しましょうか?」
「そうねえ、わざわざ毒になる部分を使ってお酒作ろうとは思わないわ」
「でしたらやはり、アルコールを使うのがいいでしょう。丁度毒性と薬効を両立させて、一種の精力剤にする方法が……」
「しっ!」
「え?」
 二人の会話を黙って聞いていたミガが急に人差し指を鼻に当てて二人を制した。何かを聞きつけたらしい。
「聞こえないか?」
 声を潜めてクジャに問う。クジャが耳を澄ませば、それは確かに聞こえたのである。
「……普通の熊、ではないみたいね」
 そう、明らかに野獣の遠吠えが、獣種の二人の耳には確かに聞こえたのである。
「恐らくは赤羆だな。普通はもっと深い所にいるもんだが……どういうわけか上がって来たらしい」
「しかも凄い速度で近づいてるじゃない。私たち、何かした?」
 何かした所ではなく森から散々にマンドラゴラを採っていたのだが、一行にとってこの急な来訪者は予想外のものであった。
「恐らく」
 触角を研ぎ澄ましながらリネオクンも言う。
「この階層に絶叫毒が満ちたのを察して赤羆が出て来たんでしょう。あれだけ大量のマンドラゴラの絶叫をまともに聞いたら、賢い野獣です、外敵が来たのだと察したのではないかと」
「……どうする?」
「逃げる余裕は……」
「なさそうね。腹をくくりなさい、リネオクン」
 言う間に吠え声は泉のある広場の西の壁の向こうまで迫って来ていた。確かに逃げる余裕はない。赤羆がその剛腕を振るえば、三人と熊の間にある樹木の壁はいともたやすく崩壊するだろう。そして、悪いことには、赤羆に従って二匹の羆が迫っているらしかった。
「やるか! 望む所だな!」
「獣退治は久しぶりねえ……リネオクンは向こうの方でおとなしくしてなさい」
 猛獣の相手であれば十全に出来るミガとクジャはそれぞれ赤羆と対峙する準備を整えてしまった。つまり、ミガは両手両足を完全に虎のそれに変じさせ、クジャは九尾に溜め込んでいる魔力を発散させ始めたのである。この状況では隠れていることしか出来ないリネオクンは三人分の麻袋を抱えて二人の後ろの方に引っこんで行った。
「腕は鈍ってないんだろうな?」
 ミガが問う。
「大丈夫よ。毎日お酒を飲んでるからね♪」
 クジャが答う。
 その瞬間、バリバリと樹林の裂ける音が聞こえ、二人は巨大な赤羆と対峙した。
『轟!!!!!』
 咆哮が泉の一画に轟く。まともに聞けばそれだけで脳が麻痺してしまうような怖ろしい絶叫に、ミガが真っ先に応える。
『暴!!!! 憎!!!! 念!!!!』
 人虎が呪いの怒号を発すると、二つの大音声はぶつかり合って消滅した。ミガは猛り狂いながら赤羆に吶喊したが、二匹の羆がそれを阻んだ――否、阻もうとした。
「磁雷」
 クジャが短く唱え、両腕を羆の方に向けると、どうだ、その手の先から魔力が溢れ出し、それは二匹の羆をその場に釘付けにしてしまったではないか。
「そのまま止めてろ!」
 そう言ってミガは虎の右手の先からサーベルにも似た爪を伸ばし、赤羆の喉元めがけてそれを思い切り振り払う。しかし、赤羆という種はとんでもない密度の筋肉を持っていた。人虎の壮絶な腕力を以ってしてもそれを易々と打ち破ることはならず、爪を止められたミガは大きく口を開けて迫る赤羆の顎に背転蹴りを喰らわせて着地した。狩りに慣れている彼女にしても、この獣との交戦は戦慄を呼ぶ類のものであった。
 赤羆の方でも外敵の脅威は存分に分かったらしい。両腕を大きく広げ、力を溜めるように息を吸い込む。酸素が行き届いた全身の筋肉は膨張し、赤羆を一回りも大きくしてしまったのである。
「喰らえ!!!」
 その挙動が危険なことを知っているミガは何かをさせる暇も与えずに右腕を突き出し、肉体を一つの螺旋のように回転させながら再度吶喊した。通常の獣がこれを喰らえば剣のような爪に皮膚と肉と骨を抉られ、胴体を貫通するような狩人の技であったのだが、殊に赤羆という獲物はそう容易くはない。ミガの全身全霊を込めた回転吶喊を胸の筋肉で簡単に受け止め、衝撃を吸収し切ってしまったのである――だが、ミガの狙いは別にあった。爪を瞬時に引き抜くと、それをそのまま無防備な赤羆の顔面に突っ込む。狙いなんぞつけてもいなかったが、ミガの五本の爪のうち二本は見事にその左目に突き刺り、赤羆を怯ませることに成功したのである。鉄錆の臭いが、勇猛なる人虎の鼻頭を打つ。
「クジャ!」
 言ってミガは大きく空中に飛び、天井に爪を刺して滞空する。
「行くわよ!」
 聞き届けたクジャは両手で弄んでいた羆をそのまま左右から赤羆の元へと叩きつけた。この奇襲に羆どもは面食らったらしく、親分株の赤羆は怒号を上げながら筋肉を委縮させてしまったのである。その隙を見逃すミガではない。天井を地面に変えて、回転吶喊を今度は赤羆の脳天めがけて放った。先ほどよりも勢いのあるそれは強靭な赤羆の頭蓋骨を打ち抜いて、その脳漿をぶちまけさせるに至った。溢れだす脳漿の香りはミガのみならず、クジャにまで感じられた。
『よし』と狩人は次の獲物、即ちまだ息がある二頭の羆を討つべく体勢を立て直そうとしたが――ここに、誤算があった。脳髄を打ち砕かれて即死したかと思われた赤羆が、最後の力で腕を大きく薙いだのである。油断していたミガはこれをまともに喰らい、劇的な勢いで数メートルも先の地面に投げ出されてしまった。羆二匹の方ではこれを好機とミガに向けて殺到した。
 ――その瞬間、『ボナペティィィィィィィィ!!!!!』という絶叫が上がり、その毒に中てられた二匹の羆はその場で動きを止めてしまった。リネオクンが奥で見つけたマンドラゴラを、薬を飲んだ上で自分の腕で引っこ抜き、その絶叫毒が羆の動きを止めたのである。
「天雷!」
 その隙をついてクジャが叫ぶ。彼女が指で空中に円を描くと、それが雷光の盤となって羆たちの頭上に飛び、そこから無数の雷霆が降り注いだのである。轟々と唸るそれをまともに浴びた二匹の羆はものの見事に感電し、焼け焦げた臭いを発しながらぎゅうと絶息してしまった。
「終わったわね。……リネオクン、薬を頂戴。二人分ね」
 クジャの方でも、またミガの方でも唐突なマンドラゴラの絶叫に少し中ったらしい。それでも羆二匹を殺すだけの雷霆魔術を行使出来る辺り流石はチェルノボグ第三位の古老たる九尾の狐と言った所か。ミガの方では多少の擦り傷も負っていたが、さほど大事はないらしい。すぐに起き上がってリネオクンから薬を貰った。
「いやあ、驚いた。確実に殺したと思ったんだがなあ」
 なんてことをけろりと言うのだから、まったくこの獣種のバイタリティと来たら怖ろしい。
「一応傷薬もありますから、どうぞ」
「おう、ありがとな。しかし、いい具合に知恵を使ったじゃないか」
「まあ、結構びっくりしたけどね……」
「いやあ、相当な賭けでしたよ。クジャさんが動いてくれなかったら、二人を置いてとんずらしようかと……」
「おいコラ」
 そんなやり取りをしながらも、三人の聴覚はこの階層にいる他の熊の動向を探っていた。しかし、天雷の魔法に驚いたらしく、動く気配はなかった。ミガの凄まじい身体能力、リネオクンの機転、クジャの魔術とが合わさった結果、見事に三人は三頭の羆を手に入れることが出来たのである。
「しかしこれ、運べるかしらね」
 明らかにもっこ橇に乗り切らないほどの大きさのそれを見ながら、クジャは言う。確かに運ぶには面倒なほどの量である。
「抜け道は使えないんじゃないか? でも普通に開けた道を通れば何とかなるだろ。もっこ橇には二頭なんとか乗せて、後の一頭は私がかつぐさ。熊も多分さっきの雷で怯えてるだろうし」
 細かいことなど思いもよらない天晴な脳髄の持ち主であるミガは非常に気楽にそう言う。
「まあ持って帰るのであれば抜け道は使えませんね……獣が出ると怖いので、クジャさんを先頭にしましょうか。まだ魔法使えますよね?」
「全然余裕よ。任せなさい」
「よし、そんじゃ今夜は熊鍋で一杯やろう! 他のみんなも呼ぶようにルーヴァンに頼まないとな」
「私たちだけじゃとても食べきれないものねえ」
「思わぬ副収入ですね。私はそんなに好きでもないんですが」
 などと口々に言いながら、来た時と同じようにリネオクンの案内で地上を目指す。途中何度か熊のねぐらになっている場所があったので、三人はその目の前を通らないように迂回する必要があった。相当に疲れる道程であったが、戦利品を大量に抱えた三人は思う様満足していた。
「せっかくなんだし今晩にマンドラゴラの新酒……ってのは無理か?」
「うーん……あっ、クスフィスから前に買った発泡酒を作る装置があるんだわ。あれを使えばすぐ出来るわね」
「装置? どのようなもので?」
「要するに麦酒造りの工程を超短時間で出来るような器具なんだけどね……」
 知的好奇心に溢れたリネオクンの言葉にクジャはそれの概要を説明しようとした。
「よく分からんが、とにかく新酒が呑めるんだな?」
 のだが、細かいことなどどうでもいいミガがそれを遮った。
「ミガ……貴女……まあそうね」
 この脳みそまで筋肉が詰まってそうな友人に少し侘び寂びを感じながらクジャは言う。古道具屋のクスフィスが住処である博物館遺跡から発掘して、相当な高値でクジャに売りつけたそれは、通常何カ月もかかるような作業を僅か数時間で出来るという旧時代の遺物であった。それも、旧時代の末期、即ち水晶砂漠が出来る直前ほどのものであったのだ。
「よければ後で見せて下さいよ。マンドラゴラの扱いもついでに教えますから」
「ええ、構わないわ」
「リネオクンは物好きだなあ」
 などと言い合いながら歩いているうちに出口である。大量のマンドラゴラと三頭の羆を戦利品に、三人は居住区を目指して南進して行った。今夜は宴会である。クジャは新酒が出来る度に郵便屋のルーヴァンに頼んで集落中の住民を集めて貰い、その品評会を兼ねた宴会をするのだ。それも今日は三頭の羆という滅多にない料理も、ミガの方で出してくれるのだからその盛況は間違いない。
 帰り道の途中、湖の西岸には大賢者アドライアの居城である『白亞の森』がある。そこに都合よくルーヴァンが遊んでいたので、機嫌のいい酒場のおねーさんは話しかけた。
「ルーヴァン、ちょっとお願いがあるのだけど、いいかしら?」
 ルーヴァンは振り返って首を傾げた。
「なになに、宴会でもするの?」
 この集落でクジャが郵便屋という名の伝言係に頼むことなど宴会の告知くらいしかないのである。
「ええ。新酒をこれから作って、それのお披露目ね。羆の肉が、ほら、こんなに獲れたのよ。それを肴にして呑みましょうと、みんなに伝えて来てくれる? 好きなお酒をご馳走するわよ」
「お、いいじゃんいいじゃん! そんじゃ檸檬リキュールのカクテルを一杯頂戴ね!」
 言うや否や風精ルーヴァンはその全身を風に変えて飛んで行った。集落中を回ってこの吉報を伝えるのである。
「そんじゃ、私はひとまず熊を捌くとするかな。人数にもよるけど、他にも何かあった方がいいよな?」
「そうねえ、在庫はどれくらいあるかしら?」
「倉庫に行けば喰い切れないほどあるから心配すんな」
「じゃ、それもお願いね。紫貴腐葡萄酒は樽一杯分あげるわ」
 と、酒場の店主と肉屋の店主の話を聞いていたリネオクンはふと思い出すことがあった。
「そう言えばミガさん、赤羆の爪を頂きたいんですが、いいですかね」
「うん? 別に料理には使わないし構わないけど……何に使うんだあんなもん」
「あれは霊薬の材料になるんですよ。そうそう獲れるものでもないのでまだ研究段階ですが……」
「そうか。じゃあ後で取り除いたのをやるよ」
「どうもありがとうございます」
「どういたしまして」
 こういうユーモアに富んだ会話をしているうちに三人は居住区まで辿り着いた。ここで肉屋は自分の店に戻るのでお別れである。
「じゃ、また後で。クジャは新酒の味見してうっかり死ぬなよ」
「大丈夫よ。まだ子どもだっていないんだから、おちおち死んでられないわ」
 と、軽口を叩き合って肉屋は自分の店舗に入って行った。
「さ、行きましょう。これから新たなお酒が、新たな浪漫が生まれるのよ!」
「私としては発泡酒を作る装置にこそ浪漫を感じるのですが……」
「なら二人ともロマンチストじゃない。素敵なことだわ。それに、マンドラゴラの扱いも教えて貰わないといけないしね」
「装置がどういうものなのかにもよりますね。お酒造りの道具なんて私は知りませんし……発泡酒にするんであればどこで加工すればいいんでしょうね」
「そりゃあ最初よ。麦芽の代わりにマンドラゴラを使うんだから」
「難儀だなあ……」
 と、そんなことを言いながら二人はクジャが普段から酒造に使っている、店舗とは別の岩屋に入って行った。
「これよこれ」
 酒造蔵の一番奥に、金属質の大樽と何かに使う装置とが置いてあった。樽の下は熱源を入れる為の炉のようになっており、上部には様々なものを注入出来るように様々な管と漏斗が入り組んでいる。これが変人クスフィスが発掘した『麦酒醸造器』である。
「そう言えば酒造りなんてロクに知りませんね。どの段階でアルコールを加えるんですか?」
 それを検めながらリネオクンは問うた。
「麦酒であればアルコールが発生するのは醸造の最終段階よ。麦芽粉砕、糖化、煮沸、冷却、発酵……そのうち発酵の段階でアルコールが出るのね。今回は麦芽じゃないけど」
 そうして酒場の九尾は知的好奇心旺盛な薬屋に麦酒造りの工程を一々教えてやった。それらの作業は本来相当な時間がかかるものであるのだが、この醸造器を使えば僅か数時間で常の麦酒と変わらないものが出来るのだという。それを聞いたリネオクンは温水を使う糖化の段階でマンドラゴラの毒素と薬効を分けることを提案し、クジャと一緒にその手段をあれこれ考え出した。結果、途中で毒になる部分を取り除いて工程を進め、発酵の前段階で再び毒素を入れることで化学反応が起きて薬効が更に強まるような方法を探り当てたのである。
「薬効と毒素を混ぜて、体に悪いってことはないの?」
「薬と毒は紙一重ですからねえ……けど、まあ問題ないですよ。かなり強い精力剤になりますが」
「それは素敵。今夜は褥が騒がしくなりそうね」
「成功すればですけどね」
「何言ってんの。成功するかどうかじゃなくて、させるのよ」
「相変わらずの気合いですねえ」
 などとやりながら二人は早速マンドラゴラをいじり出した。リネオクンの方ではマンドラゴラが麦芽の代わりになるのかと思っていたが、意外といけてしまったのである。それはもう、この酒がもたらす効能がこの薬屋の脳髄を以ってしても分からなくなってしまうほどに鮮やかに、作業は進んで行ったのだ。
「しかし、これだけの装置が何の動力源もなしに動かせるっていうのも凄いですね」
 完全に手動で行われるそれらの作業を手伝いつつ、リネオクンはふと漏らした。
「は? 動力?」
 が、科学的な知識なんてロクにないチェルノボグの住民にそんな話をして分かってもらえるわけがない。それは八百年を生きた九尾の狐が相手でも例外ではなかった。
「こういう装置を動かす為の素材ですよ。普通これくらいの装置であれば何かしらそういうものを用意するものですが……」
「そうなの? クスフィスが言うには、なんでも古代人が違法にお酒を造るのに使ってたものらしいわよ?」
「個人の密造酒用か。なるほど」
「お酒造るのが違法ってのもよく分からないけどね」
「悪法も法なり、ってことでしょう」
 そんな与太話をしながらも、作業は驚異的な速度で進んで行った。古代末期の文明の所産は大抵の場合において何かしら魔法的な処置が施されているが、この麦酒醸造器もその類であるらしいことをリネオクンは簡単に見破った。煮沸や冷却はまだしも、発酵という過程をほんの一時間そこらで出来る技術など、彼女の学識の上から言えば魔法遺産以外にありえないのである。これの場合であれば金属質の樽と、それに付随しているハンドルのようなものに何かしらの働きがあるらしかった。あとでクスフィスに訊いてみようと思いつつ、クリオネお化けは着々と自分の仕事であるマンドラゴラの毒性と薬効の観察を続けていた。異常は特に見当たらず、酵素と毒素を混ぜられた新酒は、順風満帆に発酵を始めているようだった。
「どうしようかしらね」
 作業が最終段階に入って手持無沙汰になった九尾が言う。
「何がです?」
 薬屋の方では装置をあちこちの角度から観察しながら問い返す。
「いえ、常温で呑んでもいいんだけど、せっかくの麦酒だからバグラスから氷を貰って来て、冷やした方がいいんじゃないかと思って。この装置の冷却機能じゃそんなに低い温度にならないみたいなのね」
「なんなら呼んできましょうか? 氷を普通に酒樽に入れたら発泡分がなくなるでしょう」
「あら、お願い出来る?」
「ええ」
 薬屋のリネオクンと氷屋のバグラスは湖守の賢者スクラクを片母とする異母姉妹である。為にリネオクンは居住区の湖前広場に氷屋の店舗を構えている妹を呼びに行くことにしたのだ。
 一方でクジャは装置が狂いなく動いていることを定期的に確認しつつ、この新酒の名前は何がいいかと考えていた。マンドラゴラという剛毅な植物を使って造ったのだから、それにふさわしい剛毅な名前にしてやろうと思っているのだが、どうにも決めかねた。それもそうで、まだ酒の味を知らぬうちから名前を決めようとしても手がかりがほとんどないのである。
 そうこうするうちに発酵の段階が終了した。そしてどうやらリネオクンがバグラスを連れて戻って来たような気配を感じて迎えに出た酒場の店主は吃驚仰天する羽目になった。そこにはリネオクンとバグラス、そして何故か大賢者アドライアがいたのである。
「あら、アド様。どうなさったのですか?」
 この急な来訪者に面食らいながら、酒場の九尾は尋ねる。
「さっき常緑遺跡でマンドラゴラを採っていたでしょう? それでその後にルーヴァンが新酒のお披露目だーって飛び回っていたから、どんな塩梅か見に来たのよ」
 この集落の総ての植物を司る大賢者アドライアの目と来たら素晴らしく、居城から離れた遺跡の中で起きたことすらいながらにして分かってしまうのである。しかし、一方でこの大賢者が自分から誰かの所に来るということは結構珍しいことであった。
「どうかしら、まだ出来たてみたいだけど、少しだけ呑ませてくれない?」
「珍しいですわねえ、アド様がそう言うなんて」
「ええ、マンドラゴラをどうさばいたのか、それを確かめてみたくてね。これを使っているということは発泡酒なんでしょうけど、あの植物は私も好きなのよ」
 そう言われては長生きこそしていれどただの庶民に過ぎないクジャに断ることなど出来よう筈もなかった。リネオクンと一緒に金属樽から通常の樽に中身を移し替えて、バグラスに頼んでそれを冷やして貰うという最後の工程に入った。
「じゃ、バグ、頼むよ」
「はいはい……あっついわねえこれ……」
 姉に指図されるのは嫌いなバグラスであったが、大賢者が見ている前で仕事に手を抜くバカは流石にいない。クジャのリクエスト通りその酒樽に両腕を回してこの氷精がその力を放つと、常温より少し熱いくらいの温度だった樽は瞬く間に冷やかになっていった。
「これでいいかしら、クジャさん?」
 言われてクジャは樽から柄杓一杯の酒をすくって、自分の口で確かめてみた。その瞬間、脳髄の奥の方で『バチッバチッ』という音が聞こえた。まるで彼女が操る雷の音のように素晴らしい電撃が脳髄に走ったのである。それは確かに、この九尾の狐が八百数十余年の人生の中で一度も味わったことのない味であり、為に九尾の狐は母親がそうだったようにうっかり死んでしまいそうになったのである。
「これは……久しぶりの大成功じゃないかしら。アド様も、リネオクンにバグラスも、ちょっと呑んでみて!」
 即死せんばかりの感激を何とか抑えたクジャは他の三人にそれを勧めた。最初にアドライアが、次にリネオクンが、最後にバグラスが呑んだ。その誰もが、脳髄に電流が走る感覚を感じ、更に言えば胎内で何か新しい『熱』が生まれるのを感じたのである。それは大凡、マンドラゴラの薬効と毒性が混じりあい、化学反応を起こしスパーク……その結果であった。ちなみに言えば、この酒の味は古代の人間たちが好んで飲んでいた『コーラ』というものに更に強烈な炭酸と熱量の高いアルコールを混ぜ込んだような、相当に強烈なものであった。
「どうでしょう、アド様。何かこのお酒の名前に相応しい言葉はありますか?」
 自身の興奮を隠そうともせずに九尾の狐ははしゃいだ様子で大賢者に問う。偉大なるドリアードは暫く考えていたが、やがて言葉が見つかったらしく、言った。
「『マダ』というのはどうかしら」
「まだ? 何がまだなんですの?」
 大賢者の言葉に、クジャも、後の二人も、謎かけをされたような不思議な気分になっていた。
「そのまだじゃなくて、天竺ね、伝説くらいは聞いたことがあるでしょうけど……そこの太古の神話の中に『マダ』っていう獰猛な神様が出てくるのよ。このマンドラゴラの麦酒はとってもアグレッシブで獰猛なお酒だから、その猛々しい神様から名前を貰っても、いいんじゃないかしら。チェルノボグの神様は拗ねてしまうかも知れないけどね」
 そう言って、アドライアはポカンとする三人にウインクをして見せた。謂れは謎に包まれていたが、ここの住人に大賢者の提案を断る度胸はない。こういう塩梅でクジャの酒場にはマンドラゴラを使った新酒の麦酒『マダ』が生まれたのである。
「これは他の賢者も、フィトリア様もお呼びしないといけないわね。量は間に合うでしょうけど、おつまみは……みんな持って来るか、それじゃあ私も手伝うから、四人……と、スピックちゃんとで宴会の準備を始めましょう!」
 マダの効能であるらしく、急激に陽気になった大賢者はそう提案した。この提案には立場の上下など関係なく、薬屋も氷屋も酒場のおねーさんも、手に手を取り合って頷き合ったのである。どうやらマダという酒は、呑んだものに大いなる酩酊をもたらすものであるらしかった。
「さ、それじゃあ酒場の方に行きましょう。いい匂いがする。ミガも、多分もう来たみたいね」
 クジャの言う通り、ミガの方では熊を捌ききって、クジャの酒場にある調理器具を勝手に使って料理を初めていたらしかった。四人は大樽を抱えたクジャを先頭にしてそちらへ向かう。四人は四人とも、大いなる酩酊を胎内に孕んでいた。そして、この酩酊が集落中のものたちに伝播することを確信していたのである。羆を煮込むいい匂いが近づく。宴と聞きつけた集落中のものたちがあちこちから集まって来る。時は折りしも黄昏時、これから宴の夜が始まるのだ。
 ――マダのもたらす大いなる酩酊に倒錯する夜が――。
 チェルノボグは今日も平和である。
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