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「小説」
チェルノボグ

エピソード:クスフィスの墓参り

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水晶砂漠に、風が吹く。


 その日、墓守見習いのパムヴァイマはある約束の為に、自分の今日一日の仕事を、生活に必要なものにまで減らして貰うよう母にして墓守の賢者たるラブラに懇願した。
「パムがそう言うなんて珍しいわね。何か、誰かと約束でもあるのかしら?」
 天晴な頭を持つ墓守の賢者はねぐらの中で下半身の蛇体をくねらせながら言った。墓守の賢者というのは一応、大賢者・湖守・宝紬という他の賢者位と同等の地位を持っている。だが、仕事の内容で言えば一番暇である。墓場を荒らすものなどたまに現れる獣しかいないし、それ以外の墓守の仕事である『死』にまつわる一切は滅多に起きないのである。
「はい。クスフィスが墓参りに来るということでしたので、久しぶりにお話しをしたいのです」
 この集落では珍しく礼儀正しいパムヴァイマは慇懃に答えた。普段から墓守見習いとして雑用をし、墓守に必要な様々な技能と知識をラブラから学んでいる勤勉な白蛇のラミアはあまり集落の住民と関わる機会がない。クスフィスが今日墓場に来るということだって、まったく藪から棒に知ったのだ。
「クスフィスがねえ……結構久しぶりじゃないかしら」
 多くの場合、チェルノボグという陽気な集落の住民は墓参りなんて陰気な真似はしない。それは変わりもののクスフィスだってそうである。だが、彼女は年に一度か二度、自分の両親の墓を拝みに来ることがある。前回は既に今年ではなかった。暦なんて面倒なものはこのチェルノボグにはないので、年を計る目安は季節である。極光の季節という極寒の冬を過ぎれば一年が幕を開けたと、そのくらいの認識である。
「そうですね。……その、クスフィスとゆっくり話す機会はそうないので……」
 パムヴァイマは控え目に言う。彼女の言っていることはつまり、立ち会いが必要なこの集落の特殊な墓参りに自分が立ち会って、そのままクスフィスと昔話でもしたいということである。墓守見習いのラミアと変わり者の古道具屋は縁が深いのだ。
「まあ、いいんじゃないの。幼馴染同士、ゆっくり語らいなさいな。私の仕事も減るし、構わないわ」
 ラブラはそう言ってごろんと寝返りをうち、パムヴァイマに背を向ける形で舟をこぎだした。昨日は昨日で褥で誰かと寝ていた彼女は朝に弱いのである。ついでに言えば、墓守の仕事のうちで最も重要な『死を売り、葬儀を行う』ことだけは一応自分でやるが、仕事への意欲にムラがあるのもラブラである。害獣駆除なんかはかなり楽しんでやるくせ『死』にまつわる一大事をこのものぐさな賢者はかなり渋々行う。
「ありがとうございます」
 母親の眠気を遮らない程度の声でそう言って、パムヴァイマは食事の準備を始めた。この集落の誰もが行う日課である『火』と『水』の確保はとっくに済ませてある。ラブラは朝飯をとらないことが常なので、その娘は一人で食卓につくのである。
 二人が住まう遺跡は現在『墓碑銘殿』という名前で呼ばれている。謂れとしては、この集落の死者たちの墓碑銘を一々記録している場所であるから、という程度のものである。元々は『チェルノボグ公民館』という名前であったのだと、パムヴァイマはいつだかラブラに聞いたことがある。公民館という得体の知れない文明の痕跡は現在、死者の記録と集落の歴史を貯蔵する為の場所と化していて、通常公民館と言って分かるようなことは全然しない。
 チェルノボグでは貴重な料理器具がある程度そろっている墓碑銘殿の中で、パムヴァイマは自分の朝食と母の昼飯の準備を始めた。パムヴァイマはこの集落のものとしては普通くらいなのだが、ラブラの方はかなり大量にものを喰う。為にパムヴァイマは肉屋のミガから貰った猪一頭を丸焼きにして、大賢者アドライアが差し入れにくれた大葛籠一杯のじゃがいもを悉く蒸し、ついでに自分で採った大量の茸を残らず牛乳屋のミノルスから貰ったバターで焼いてしまった。この食事の四分の一程度がパムヴァイマの朝飯となったのだが、昼にこの厨房を訪れる頃には恐らく残りの料理すべてがラブラの胃に収まっていることだろう。
 そしてパムヴァイマは久しぶりにクスフィスとゆったりした話が出来そうな今日という日にときめきながら、墓参りにいるものの準備をし出した。最も大事なのは『死者の書』である。これは死にに来たものがその一生を口述し、それを墓守が筆記した羊皮紙の巻物である。普段は石櫃に収められているそれを、傷まぬように取り出して布に包む。墓参りに来るものがちゃんと死者を思い出せるように、墓守のラミア一族は『チェルノボグ公用語』で記されたそれを墓に来たものに読み上げてやるのである。そして『線香木』を用意する。極東の人々がそうするように、この地には墓に線香を供える文化が幽かに残っている。そして墓に浴びせる『清め酒』を瓢箪に入れる。万人が酒を好むこの集落では水を供える代わりに酒で墓を清めるのだ。その酒は墓標が汚れないようにしっかり清められた特殊なものである。花は基本的に墓に参るものが持って来る。クスフィスは今回どんな花をその両親の墓に供えるだろう……などと考えながらパムヴァイマは死者の書と線香木と清め酒を持って墓碑銘殿の南東口に出た。ここで墓守は墓参りに来るものに入場許可を出すのである。
 先にラブラが言った通り、パムヴァイマとクスフィスは幼馴染である。二人の年齢差はパムヴァイマが二つ上の四十八歳であったが、人口が少なく、住民が何百年も生きるこの集落でそのくらいの歳の差はほとんど同い年として扱われる。加えて、パムヴァイマもクスフィスも、幼い頃は大賢者アドライアの居城である『白亞の森』で過ごしていた。パムヴァイマは墓守の賢者にしては問題がありすぎる母親から離れて、賢者になる為の基本的な知識を学ぶ為に、クスフィスは忙し過ぎてほとんど家にいない両親に預けられ、またその両親の悲願を叶える為に、アドライアの元で様々な学識を一緒に学んでいたのである。
 そういう幼年期は互いに学ぶことを学びきって、パムヴァイマの方では墓守の賢者ラブラの元に帰ることで、クスフィスの方ではとある事情でアドライアから明け渡された博物館遺跡に居を構えることで、終わりを告げた。爾来、二人の縁は大分細くなってしまった。クスフィスはいつの間にか商売人根性を逞しく育てて日々様々なぼったくりの計画を考えている。パムヴァイマの方ではまだまだ遠い墓守の賢者位を世襲する為の下準備に毎日追われている。だからこそ、惹かれるのだ。
 チェルノボグという土地では時間の概念が極めて曖昧に扱われる。時計なんていう怖ろしいものは存在しない。ここの住人が時刻を計る尺度は太陽の位置だけである。中天に至る前には来る、とクスフィスは言っていたが、要するにそれは午前中のどこか、ということなので、パムヴァイマは暇を持て余しながら四十年来の友人を待っていた。普段は墓の掃除や狩りの訓練、そして歴史と哲学の勉強に明け暮れていて暇のない彼女はこういう退屈に弱いのである。
 今か今かと思う間に『今日は何を話そう』ということを考える時間は、退屈ではあったが幸福でもあった。奇矯な友人が何を言い出すかはまったくもって最近のパムヴァイマには読めないのだが、それも含めて彼女はクスフィスを好き、恋うている。毎日決まりきった生活をしていて、常に(ラブラ以外の)賢者たちから『いつ賢者になっても恥ずかしくないようにふるまいなさい』と言われている彼女はクスフィスみたいな突飛な考えを思いつく類の人種ではないのであった。
 果たして最近のクスフィスは幼い頃に交わした約束を覚えているのかしら……と、思っていると足音と声が聞こえた。
「やあやあパム、昨日ぶりだね。待たせちゃったかな?」
 そう言うクスフィスの両腕には、大賢者アドライアの営む花園で貰って来たのだろう、ハイビスカスの花が一杯に抱えられている。顔にはいつも通り眠たそうな表情を湛えていた。
「いえ、お気になさらず。今日はご両親のどちらにも、ということでよろしいですね?」
 実の所少しうきうきしていた墓守見習いはあくまで謙遜しながらそう言った。チェルノボグの墓参りというのは少々特殊で、墓に入るにはあらかじめ墓守、ないしその見習いの許可と立ち会いがいる。そして、自分に縁のある死者の墓にしか参ってはいけないという決まり事がある。この謂れは賢者たちなら正確に説明出来るのであるが、『何故そうであるのか』ということを見習い連中は知らされない。秘密なのである。クスフィスの方でもそれは分かっているので、理由を聞いたりなんかしない。
「うむうむ、やはり母さまが二人とも死ぬと、どうしても二人分参らないといけないからね。案内をよろしく頼むよ、パム」
 花束を抱えながらクスフィスはそう言い、「ええ」と答えたパムヴァイマを先にして墓場の中を歩いて行く。チェルノボグの墓場は非常に複雑に入り組んでいる。その上同じような墓標がずらっと並ぶ光景が続く所為で、どこがどこなのか全然分からない。為に、普段からここの掃除をしているパムヴァイマみたいなものでなければ正確に誰それの墓、という所には辿り着けないのである。
「やあやあ、去年ぶりに来たけど、相変わらずここは分かりにくいね。しっかし、こんな所の掃除なんてしてるんだからほんとパムはよくやってるよ」
 自由な仕事をしている古道具屋は心から墓守見習いに敬意を払っている。
「仕事なので……それに、墓を綺麗にしておかなければ、死者に失礼だとアドライア様がいつか、私たちに仰ったでしょう?」
 その彼女は恭しくも謙遜する。淑女なのである。
「うむうむうむ、そういう話もあったねえ。いやあ懐かしい。あの頃は、随分二人で遊んでもいたよね」
 と、言ってクスフィスは足元に転がっていた石ころを取り上げた。
「子どもの頃はさ、こういう石ころ一つでも色々遊べていたよね。今では全然、つまらないものにしか見えないのに」
「そうですね。もうじき私たちも半世紀記ですし、それなりに大人らしくしませんと……」
 言いながらもパムヴァイマはクスフィスと遊んでいた幼い頃を思い出していた。石ころ一つをサイコロのように振って、どの面が上になるか当てあう遊戯なんかをしていたのだ。それは幼いものだけが分かる特権的な面白さであった。半世紀記という、五十歳になったことと一人前の仕事人になったことを祝う祝祭の年を数年後に控えた今の二人には、そんなもので楽しめるだけの童心は失われてしまった。それはパムヴァイマにも、クスフィスにも、少しの寂しさをもたらす事実であった。
「ボクも随分母さまたちを忘れないように墓参りをしているつもりだけど」
 その石ころを足先で蹴飛ばしながらクスフィスは言う。
「それでも時間というのは酷いものだね。どんどん忘れて行ってしまう。チェルノボグに時計がなくて本当によかったと思うよ。忘却の履歴を数えるだなんて、あんまり侘し過ぎる。果たして、今チェルノボグに生きている人のどのくらいが、自分の親とか、友達とか、番いのことを覚えているんだろうね」
 別離の時間を儚むクスフィスの言に、パムヴァイマは墓守見習いらしい言葉で答える。
「ミガさんなどは、番いの方と、それからお子さまたちのことまで覚えているでしょう。クジャさんのお母さまなど忘れたくても忘れられないでしょうし。それにキスティさんもまだ心の整理はついていないかも知れませんが……」
「いや、キスティはもう区切りをつけたよ」
「と言うと?」
「パムは『亡骸の涙』を知ってるかい?」
「直接見たことはありませんが、いつかお母さまから聞いたことがありますね」
「なんだ、ラブラ様も知ってたのか」
 そう言ってクスフィスは蹴飛ばしていた石ころを拾い上げた。
「これくらいの大きさでね、平面で、特定の人が触れると濡れる……」
「真珠に変わる石」
「そう」
 言葉を拾ったパムヴァイマに、クスフィスは頷いてみせる。
「それをね、この間キスティが手に入れたんだ。あの子のお母さんからの『贈り物』として。それは、知らないかな?」
 パムヴァイマは少し顎に手を当て、空を仰ぐように考えていたが、やがてポツリと言った。
「知りません。恥ずかしながら」
 普段からあまり墓場の外に出ない彼女は噂話に疎いのである。
「まあボクはその時丁度一緒にいてね。一緒にその石がなんなのかを調べて回ったんだ。真っ先にアドライア様の所に言ったんだけど教えてくれなくて、他の賢者様に聞くのもダメと言われてね……」
 と、クスフィスは自身の両親が眠る墓場に至る道中、ついこの間自警団員のキスティが発見し、自身も関わった『亡骸の涙』を巡る一連の出来事を世間に疎い友人に長々と話してやったのである。普段の彼女の長口上は商売の為のものなので、そこには誇張やどうでもいいことが大いに挟まるのであるが、今はそうでない。あったこと、思ったこと、そういうことを率直に語ったのである。二人の間にある友情がそうさせたのだろう。
 ちょっとした事件の話をしながら、二人はクスフィスの両親が眠る、二つ並んだ墓に辿り着いた。チェルノボグの墓標というのは小さなピラミッドである。正確に一辺が一メートル五十センチに固定された四角錐が墓標であり、納骨場所である。その一々には眠っている死者の名前がチェルノボグ公用語で記されている。この墓場で墓守の案内が必要な理由の一つはその墓碑銘にある。クスフィスくらいの知識人であれば公用語くらい普通に読めるが、ほとんどの住民はそれを読めない。というか、自分たちが普段話している言葉を『文字にする』ということに対して何か大いなる不思議を前にした時のような感覚を抱くのである。為に墓守は死者の書に記されている墓標の位置まで参り人を案内し、その墓碑銘に間違いがないことを確かめて、拝ませるのである。
 クスフィスは真っ先に小型ピラミッドの前にある献花台にハイビスカスの花を供えた。次いで、パムヴァイマの手から清め酒を受け取り、ピラミッドの天辺からそれを注いだ。最後に線香木である。これもパムヴァイマが持って来た『発火石』という、こすり合わせると極々小さい火が生まれる石をこすって火をつけ、それぞれの焼香台に置く。そしてクスフィスは膝立ちになって両手を祈りの形に合わせ、黙祷を捧げる。これがチェルノボグにおける正式な黙祷の仕方である。それを見たパムヴァイマは死者の書を取り出して、その内容を読み上げる。
『遺跡探索者たる半猫ケシト、狩人バランと鉱物採掘者ラググの元に生まれ幼い頃より遺跡に親しみ……』
 こういう、チェルノボグで使われる言語としてはかなり厳めしい表現で綴られている死者の書を淡々と読み上げて行く。クスフィスの片方の母であるケットシーのケシトは二百九十三歳まで生きた。その生命の履歴を最初から最後まで述べるのだからこの作業はとんでもなく長い。この辺の冗長さもまた、チェルノボグの住人があまり墓参りをしない原因の一つである。そしてその中には娘のクスフィスですら知らないようなことも書いてあった。今になってはそれもよく知っていることに変じてしまったが。
『遺跡探索者たる半兎ビバータ、先の酋長ルドバーンと先の墓守の賢者アナタハンの元に庶子として生まれ幼い頃より武芸を嗜み……』
 片母が終わると次はもう一人の母である。半兎であるクスフィスの母ビバータは先代の酋長と先代の墓守の賢者との間に生まれた、非常なエリートに当たる人物である。それが庶民と何ら変わりないケシトと意気投合し、二人はアドライアの元で遺跡発掘の作業を一緒に任された。その成果が現在クスフィスの住んでいる博物館遺跡である。三百六十四歳まで生きた彼女は集落屈指の武人であった。
 こういう二人の母親はどちらともなくいつの間にか番いとなって、クスフィスという一子をもうけた。チェルノボグという集落は住民の寿命の長さと性へのだらしなさ故、結構な頻度で異母姉妹が生まれる。だが、クスフィスに限っては姉妹関係に当たるものがない。ビバータの方の血筋は現酋長たるフィトリアと、ラブラとその娘パムヴァイマに受け継がれているが、ケシトの方の血筋はもうクスフィスにしか残っていない。変わり者の古道具屋は酋長や墓守の賢者の遠い親戚にあたるのである。
 そして死者の書はその最後、親が子に残す遺言の所まで差しかかった。
『……この博物館遺跡の発見をビバータとケシトの娘たる半猫クスフィスに譲渡し、願わくば遺跡内部に存す貴重なる資料をチェルノボグの住民の生活に供し、また賢者たちの仕事に用立てるようしかるべき学識を得、我らが発掘せし遺跡をチェルノボグの文化上重要なる場所へと変じさせることを切に……』
 と、クスフィスが今現在博物館遺跡に住まい、そこに眠っている、主に民俗学的な意味合いの『博物』を売る古道具屋をしているのにはこういう経緯があったのである。不真面目なクスフィスも流石に親の遺言を聞くと『しっかり仕事をしないとなあ』という気になって来る。そうしてなおも続いた遺言の部分が終わる頃に、クスフィスは帰ったら未整理の古道具をもう少し片付けようと決めたのである。
『……ビバータ、語る。墓守の賢者ラブラ、これを記す』
 最後の一文をパムヴァイマが読み上げると、クスフィスは深くうなだれるように最後の黙祷を捧げ、そして立ち上がった。
「はあー、終わった終わった。ご苦労だったね、パム」
「いいえ。仕事ですので。クスフィスも……」
「固いなあ。仕事も終わったんだし、昔みたいに『クスィ』でいいよ」
 いつの間にか仕事の為に随分怜悧になってしまった友人に、クスフィスは提案した。昔は互いを愛称で呼び合っていたのである。パムヴァイマは、その習わしを昔日のどこかに置き去りにしてしまっていたことに気がついた。侘しい気持ちになる。
「では……クスィも、今日はまた生を歩むにいい道標が出来たでしょう。よろしければ、暫し墓碑銘殿で語らいませんか。食事もお出ししますよ」
 怜悧ではあれど清廉でもあるパムヴァイマは少し躊躇いがちに、四十年来の想い人を誘った。『誘う』という行為自体に恥じらいを覚えるくらいに、パムヴァイマは純粋なのだ。
「おや、いいのかい?」
「ええ。今日はお母さまに頼んで、時間を作って頂いたので」
「やあやあ、助かるねえ。でも、ラブラ様もご一緒かな?」
 クスフィスの発言には『ラブラ様と一緒は厭だ』という含意が存在する。それが分からぬパムヴァイマでもない。寧ろ予測していたくらいである。
「何なれば、私の部屋でも」
「ふむふむ、その方がいいかな」
「ではそうしましょう。最近、ザントレムさんから茶器を頂いたのですよ」
「おや、それはいい」
 なんてことを言い合いながら二人は墓碑銘殿に戻る道を歩いて行った。太陽は既に中天を過ぎている。パムヴァイマの方では、喜悦を覚えながらこの風変わりな友人に振る舞う料理の献立を考えていた。一方でクスフィスは、墓参りの度にそうなのだが、両親が死んだその日のことを追想していた。切ない感傷主義的なそれらの思惟を彼女は一切パムヴァイマに見せない。どうでもいい話ばっかりしている。それはパムヴァイマならば言わずとも分かるだろうということと、心中を見破られていることに対する少しの恥ずかしさから来るものであった。
 クスフィスの両親は二人一緒に墓場に入った。やることがなくなったら死ぬというのがこの集落の死生観である。外国では心中というその死にざまはつまり、二人が二人とも自分たちのやりたかったことをやり遂げたということの証明であった。ケシトもビバータも、アドライアの元で博物館遺跡の発掘作業を行っていた。その作業には実に二百年もかかったのだというのだから、二人の熱心さと来たらとんでもないものだ。その博物館遺跡発掘はかなり細かい所まで行き届いており、地下何十階というとんでもない広さを誇るその遺跡の最奥まで二人は至ったのである。人の手入れのされていない遺跡の常として、博物館遺跡も当初は随分獣と植物に浸蝕されていたらしい。らしい、というのは、クスフィスが物心ついた頃に発掘作業はほぼ完了しており、中には害獣も邪魔な植物も何もなく、今彼女が住んでいる通りの状態にまでなっていたからである。クスフィスは自宅の昔の姿を知らないのだ。
 そして、博物館遺跡発掘という一大事業を成した二人は当代の酋長フィトリアから勲章を貰った。この輝かしい成果は当時の人々からも祝福されたが、一方でケシトもビバータも、自分たちに出来る仕事はここまでだ、ということも悟っていた。彼女たちもチェルノボグの住民の例に漏れず、文字というものを読むことは出来なかったし、遺跡を発掘するのに必要な技術はあっても、遺跡の中にあるものがなんなのかを把握する為の知識は持っていなかったのだ。だから、愛娘であるクスフィスにその遺跡をそのまま譲って、後はこの一粒種が博物館遺跡を集落の為に使ってくれるだろうと期待を籠めていたのである。大賢者アドライアはその願いを聞き届け、生きている間中ずっと忙しくて放っておかれたクスフィスへ、賢者の卵たちにするように、様々な知識を教えてくれた。そして両親は、クスフィスが二十になって元服を迎え、博物館遺跡に住まうに十全の知識を備えたことを確認すると、手に手を取り合って墓場に入って逝った。まだ歳若い当時のクスフィスは『連れて行って』と駄々をこねたものだ。しかし二人は頑として譲らなかった。『あなたにしか出来ない仕事があるのだから、前を向いて生きて行きなさい……Memento_mori』と言い残して、二人は最後の旅路に踏み出したのである。クスフィスは大賢者から生死の理をしっかり教わっていて、寂しさも未練もあったが、自分がいつか死ねばまた両親に会えるとも知っていたので、耐えたのである。
その孤独を支えてくれたのが、パムヴァイマであったのだ。
 当時既に元服を終えて二年がたち、ラブラの元で実際的な墓守位の勉強をしていたパムヴァイマは、クスフィスが何度も墓参りに来る度に話し相手になってくれた。元服の時点でクスフィスの友達というのはパムヴァイマか、精々が薬屋を志願していたリネオクン、宝紬見習いを始めていたザントレムくらいのものだった。そのうち、両親が死んだ悲しみを慰めてくれるのは専らパムヴァイマであったのだ。するうち、二人は一つの約束を交わすことになった。色事に興味のないクスフィスと、貞淑なパムヴァイマだからこそ出来る一つの気の長い約束。パムヴァイマの方ではクスフィスがそれを覚えているか不安がっているが、クスフィスの方ではしっかり覚えている。わざとらしく、約束の優しさに浸るのが嫌だから口にしないと、そういう理由である。
 そういう思いを心の内に秘め、しかし口からはどうでもいい話ばかりしているうちに墓碑銘殿である。
「どうぞこちらへ」
「やあやあ、お邪魔するよ」
 パムヴァイマはまっすぐにクスフィスを自室に通した。実の所、クスフィスに限らず、母ラブラはあまり集落の住民に好まれていないので、パムヴァイマはラブラとクスフィスを会わせないように細心の注意を払っていた。
「少し待っていてください。お茶を淹れてみます」
「あいあい」
 そしてパムヴァイマは厨房に去っていった。クスフィスの方では久しぶりに入る親友の部屋に懐かしみを覚え、また同時に両親が死んだ時のことも思い返していた。どうも墓碑銘殿という場所は人に死臭漂う思惟をさせる場所であるらしい。それは、この建築物の総ての壁が夜色に塗り固められている所為でもあるだろう。
「お待たせしました。今、食事の方を準備しますから、もう少しお待ちを。……待たせてばかりで、すみません……」
 沈鬱な表情になっている親友に申し訳なく思ったらしいパムヴァイマは気遣うように付け加えた。
「いやいや、構わないよ。ご馳走して貰えるわけだしね。パムの美味しい料理も久しぶりだし、涎垂らして待つことにするよ」
 それを察したクスフィスは少しお道化て見せた。パムヴァイマは微笑して、去った。普段から母を満足させる為に料理の腕を磨いているパムヴァイマであったが、この特別な友人にその料理を振る舞うことはなかなかにわくわくすることであった。見送ったクスフィスはパムヴァイマが淹れてくれた茶に口をつけてみた。茶を淹れる文化というものがほとんどない地のことである。パムヴァイマはどうもまだちゃんとお茶を淹れるということが出来ていないようだ。キューカンバーティーらしいそれは随分苦かった。
『ボクにしか出来ないこと、ねえ』
 一人で不味い茶を飲みながらクスフィスは思いついた。実際、大賢者アドライアという例外を除けば、博物学と民俗学をちゃんと究めた住民などクスフィスしかいない。大賢者はいつもこの古道具屋に『もっとものを大切にしなさい』と言って聞かせるわけだが、クスフィスの方でもそれはそうだと思っている。しかし、アドライアの言いつけをちゃんと守ることはしていない。博物館遺跡というとんでもなく所蔵品の多い場所にあるものを一々手入れなんかしていたら、それだけで一生が終わってしまうのである。そういうものの中で、自分が興味のあるものを蒐集し、使えそうなものは誰かに売る。そういう営みこそが自分の仕事だと、聡明な古道具屋は決め込んでいるのだ。確かに、そんな真似が出来るほどの学識と、好奇心と、弁舌と、商魂を持っているのはクスフィスに他ならないのである。
『ま、楽しい仕事な分は、パムなんかよりよっぽど楽かな』
 普段から広範な仕事をしている友人を思えば、クスフィスみたいな専門職は随分気楽である。何せ、自分の興味のあることをそのまま仕事にしているのだから。そして、この古道具屋は実の所自分の興味が満たされるのであればそれ以上のものはあまり望んでいない。商取引の結果として『宝物』を求めるのだって結局は好奇心だ。
 そんなことをつらつら思いながら待っていると、ずるずると地面を蛇行する音と、いい匂いとが扉の隙間から差し込んで来た。
「お待たせしました、クスィ。好きでしたよね? 鳥ハム」
 そう言ってパムヴァイマはクスフィスの前のテーブルに様々に味付けをした鳥ハム料理と、ついでに料理したらしいキノコソテーを大量に置いてくれた。クスフィスも自炊はするのだが、それでもパムヴァイマほど美味しい料理は作れない。だからクスフィスの顔には自然と笑みが浮かぶのだ。或いはそれは、二人の特別な関係から来る美味しさであったかも知れない。
「うむうむ、いい匂いだね。丁度お腹も空いたことだし、いただきますか」
 そう言ってクスフィスは肉片に刺さっていたナイフとフォークを引き抜いて、食事を始めた。パムヴァイマも席につき、こちらは素手でそれらに手を伸ばす。チェルノボグの食事というものはあまり食器を使わないのである。
「しかし、何とも変てこな茶器だねえ」
 自分もティーセットを持っているクスフィスは宝紬見習いのザントレムが作ったのだというその茶器を見る。何故か取っ手が四つもついていて、七つの色が縞模様になっている。何とも見たことのない、形状も実用性も意味不明な茶器であった。
「まあ、ザントレムさんは結構趣味が悪いので……」
 珍しく毒を吐いたパムヴァイマは懐から小さな壺を取り出した。毒である。墓守のラミア一族はその仕事の為に毒を常飲する。自分の分を取り分けてしまうと、その上に毒の雫を垂らす。基本的にチェルノボグの住民は毒に対する耐性が強いが、それでもここまで猛毒を進んで食べるものは他にいない。
「相変わらずスリリングな食事をしてるねえ。昔を思い出すよ」
「昔? ああ、クスィが私の林檎を盗み食いして、お腹を壊したことですか」
「そうそう。いや、あれは随分こたえたね」
「それは盗み食いした罰でしょうに」
 昔、二人がまだ白亞の森に住んでいた頃、クスフィスは毒液をかけられたパムヴァイマのおやつを盗み食いしたことがある。毒がブルーベリーシロップに見えたのである。結果は本人の言う通りで、当時薬屋をしていた現褥守のコイカと大賢者アドライアが一緒になって治療した。これ以来、クスフィスは他人の皿には決して手を出すまいと固く誓った。
「懐かしいなあ。さっきも思い出してたんだけど、昔、独立した頃は随分パムにもお世話になったよね。ほら、僕の母さまたちが死んだ時に、ボクが『連れてって』って泣いたじゃないか。あの時なんか、多分涙病にでもかかっていたんだろうね」
「ありましたね、そういうことも。でも、気にしなくていいですよ、クスィ。墓場に行く人を見送ることは、つらいことです。それが初めてのことならばなおのこと。そのケアまで含めて、墓守の仕事ですから」
 真剣な表情でそういうパムヴァイマに、クスフィスは苦笑いを返す。
「ボクが言っても、かも知れないけどさ、パムも昔に比べれば大分仕事人気質になって来たよね。昔なら、今みたいな時にはもっと普通の言い方をしたもんじゃないか」
「そう……でしょうか」
 クスフィスにそう言われても、物心ついた頃から『墓守の賢者の跡継ぎ』であったパムヴァイマにはピンと来ない。彼女にとっては、賢者位を継ぐ為に必要な態度を学ぶことも仕事なのである。
「暫く合わないうちに、話すのが苦手になったんじゃない?」
 からかいを含めて、クスフィスは言う。
「そんなことは……ない、とは言い切れませんけど……」
 母親以外とはさほど交流のないパムヴァイマは歯切れ悪く言う。久しぶりに好いている友人と話が出来るというのに、この言葉の少なさはまったく不自由であった。
「まあ、でも、ボクがお喋りなだけかな? 古道具なんて売ってるとほんと口が回らないとやっていけないからね。こないだなんかね、うちで見つけた入れ子人形っていうものを売るのにさあ……」
 そうしてクスフィスは博物館遺跡で見つけたマトリョシカなる遺物を自警団員のガザニカに売りつけるまでにあったことを、非常に饒舌にパムヴァイマに聞かせてやった。クスフィスにとってのパムヴァイマというのも、特別な好意を向ける友人である。集落の外れに住んでいる古道具屋はなんだかんだ言って友達が多い。パッと思いつくだけでも歳の近い薬屋のリネオクンに情報を扱う本屋のマロカ、夢虫という好物を分けてくれる幼い自警団員ガザニカ、同じく自警団員で、ついこの間一緒に不思議な石の正体を求めてちょっとした冒険をしたキスティと、かなり社交的である。その中でもパムヴァイマは何か特別な親愛を覚える相手であったのだ。
「で、ガザニカはあの蟹鋏で大葉俵を丁寧に作ってて、その中にあった夢虫を全部くれたわけだよ。今でもたまに夢虫と引き換えに人形なんかを売ったりするね。パムはお酒はどうだっけね」
「少しなら」
 パムヴァイマはこの集落の住人としてはあまり酒を呑まない方である。酩酊は彼女の淑女主義にそぐわないのだ。
「いいね。それなら今夜はクジャさんの所で呑まないかい?」
 そんな美学を知らない古道具屋は気軽に提案した。
「ううん……どうしましょう。お母さまが許して下されば、ですけれど」
 案外マザコンの気がある墓守見習いは不安そうに言う。内心ではクスフィスと一緒に楽しい時間を送りたいと思っているのに。
「相変わらず仲いいねえ。あ、そうそう、蟹鋏で思い出したんだけどさ、昔は『遺伝子当てゲーム』をよくやってたよね」
「ありましたね、そういうものも。今では一目見れば分かってしまうようになってしまいましたけど」
「でも、そうなるまでにあのゲームは結構有意義だったよね。クジャさんの尻尾がどういう遺伝子なのかを突き止めた時なんて相当盛り上がったし」
 二人が話題にしている『遺伝子当てゲーム』というのはその名の通り、チェルノボグの住民がそれぞれどういう生物の遺伝的特徴を持っているのかを仔細に分析して当てるゲームである。謎かけをするのは当時二人の世話をしていたアドライアで、二人はあちこちを探検しながら住民の遺伝子に流れている獣を渉猟したものだ。これの為に、特にクスフィスは遺跡を歩くことに慣れるようになった。殊にクジャの九尾の狐の遺伝子というのは、チェルノボグの住人の中では彼女の一族しか持っていない特殊なものである。生まれた時には一本の狐の尻尾であるのが、百年を生きるごとに一本ずつ増えて行き、八百年を生きて九尾を作るに至ってようやく止まる。その不可思議な遺伝子構造を教えてくれたのは白亞の森の地下に住まう白い九尾の狐であった。二人が一緒にそれを見つけた時は、あまりの神々しさに、危険な生物の前だというのに驚嘆して足を止め、言葉を失くしてしまったものだ。
「あの白狐は、実に見事なものでしたね。今でも白亞の森にいるのでしょうか」
 パムヴァイマの方でもそれを思い出して、しみじみと言う。
「地下部分にはいるんじゃないかな? アドライア様は生態系の管理には結構うるさいし。いやあ、しかし、どうだろうね」
 昔を懐かしむような古道具屋の言の意味が、墓守見習いには理解しかねた。ここ二十余年で随分クスフィスとの距離が遠くなったように感じてしまう。
「どう、とは?」
 その怖れを出さぬように努めて、想い人に鸚鵡を返す。
「ほら、あの頃は子どもだったからさ、新しいものを見るたんびに感動してたけど、もうボクらも一人前の歳じゃないか。まだ、ああいう感動を生み出すだけの感情は、ボクらの中に残っているんだろうかね」
 クスフィスはどうも童心を惜しんでいるらしい。パムヴァイマの方でも、昔日への郷愁が湧いて来る。
「どう、でしょうね」
 二人して幼い頃の記憶の花の香りを嗅いでいると、大人になって行くことの侘しさがつくづくと実感されてくる。感動はどんどん鈍磨して行き、二人の距離も遠くなっていくような倒錯が起こる。
「ボクら自身の遺伝子を突き止めた時なんて随分びっくりしたけど、今となってはそれも当たり前の理屈だって分かっちゃうしなあ。あの頃は何にでも熱心だったからねえ」
「そうですね。クスィの場合、お母さまたちとあまり似てもいませんでしたからね」
 懐かしみながら言うパムヴァイマの言葉通り、クスフィスは両親とあんまり似ていない。彼女の両親は半人半獣であるが、常の獣種と違って顔まで猫と兎の意匠が残っていた『獣人』である。獣の顔に人間の顔をミックスしたような塩梅のそれは、例えば顔全体が毛で覆われているというような差異として把握される。クスフィスの顔は常の人間のそれと変わらない。現在チェルノボグに住まうほとんどの獣種も同様である。今のチェルノボグで獣人のフォルムの持ち主は自警団長のカルジャッカしかいない。
 そこで幼い頃から好奇心旺盛な子どもだったクスフィスはこの地に存在する遺伝子改竄技術の仕組みを突き止めたのである。その結果に照らし合わせて自分の遺伝を考えると、頭に生えている猫の耳はケシトのもので、全体に色白かつ髪の毛も白いのはビバータの方の遺伝子であったのだ。これを発見した時、幼い半猫は随分驚愕したものだ。何せ自分には両親のような獣人の痕跡が、頭の耳と掌の肉球にしかなかったのだから。
「あれは確かにびっくりしたなあ。ほら、マロカのお母さんは亜人種だったじゃないか。だからボクはてっきりあの人の血が混ざってるもんだと思ってたんだよね」
「クスィは純粋種に近いですものね。でも、一応獣種だとアドライア様は仰いますけど、亜人種でも構わないのではないかというのは、今でもたまに思いませんか」
「そうだね。種の分類法は割合便宜的なものだってのもあるみたいだけど、確かにボクは獣種よりは亜人種だよなあ……とは思うね。生物学にもっと詳しくなればその辺も上手く分けられるんだろうけど、どうだろうな、あんまり興味が湧かない分野かも知れない」
「何か縁があれば、クスィのことだから興味が湧いて来るのではないですか。いつまでも子どもっぽく色々なことを知りたがるクスィのそういう所、私は好きですよ」
 言って、自分の言葉に少し照れ臭さを感じたラミアは視線を逸らして赤くなってしまった。単なる友人というには過分なくらいには、彼女はクスフィスを愛しているのである。そして、奥手なパムヴァイマは『好き』の一言に特別な意味合いを感じずにはおれない。それに気づかないクスフィスでもないので、少し困ったように耳裏を掻いた。
「でもね、パム。何かを知るというのはとってもいいことだとボクは信じてるけどさ、一方でこうも思うんだ。つまり『知り尽くすことは残酷なことだ』ってね」
 そう言ってクスフィスが不味い茶を啜ると、少しの沈黙が降りた。クスフィスが無尽の好奇心だけで生きているのはこの集落のものたちにとって周知のことである。パムヴァイマもそう思っている。だから、そのクスフィスがこんなことを言うことが怖ろしいのだ。在りし日に繋がっていた糸が千切れてしまいそうな、そんな恐怖がパムヴァイマを包んでいた。
「知り尽くすっていうことは、例えばアドライア様くらい、と言うのは言い過ぎとしても、レキカ様くらいまで長生きしてみればあり得ることなんだろうけど、そうなった時にどういう楽しみを見つけるか、っていうことが問題なんだろうね。大人になって行くことの」
 幼馴染を相手にそう語るクスフィスの声音は、常ならず暗かった。それは大凡、好奇心だけで生きている彼女が大人になって行くにつれて『興味』に対して鈍感になっていってしまうのではないかと考えた結果だ。そして、好奇心が尽きた自分は死んでしまうのではないか、なんてこともクスフィスは思うのだ。こういう深刻な悩みは、彼女が知識人としての一生を始めた時から自然に存在していたことである。パムヴァイマの方でも、それは充分分かっている。だから、自分も、想い人も、怖れを振り払えるような慰撫の言葉を探すのだ。
「お母さまの受け売りですが」
 我ながら不味いお茶だと思いながら、白蛇は言う。
「万象への知識を満たしたのであれば、その中には必ずその『既知』を『楽しみ』に変える方法が含まれているのだそうですよ。だから、そんなに悲観することはないのではないですか」
 クスフィスと違って、パムヴァイマはあらゆる知識を欲したりはしない。自分が何事もなく墓守の賢者の位に就き、何事もなくその仕事を終える、その過程で必要な知識だけがあればいいと思っている。もっとも、殊に哲学という途轍もなく遠大な学問に答えを見つける、それは随分難儀なことであったが。もしもパムヴァイマにとってそれ以上の知識が欲しくなるということがあるのならば、それは確実にこの古道具屋を営む親友の為に他ならない。
「或いは、知ることの出来る総てのことを知って、それでもなお何かの楽しみを求めることが、大人の娯楽ってものなのかなあ。ボクにはまだまだ理解出来ない世界だけど」
 好奇心の鈍磨を怖れるクスフィスは、二歳年上の友人に対して弱気に言う。そんなことを悩めるほど頭のいいバカなんぞこの集落ではクスフィスしかいない。だからパムヴァイマはよき解答を示してやることにした。
「好奇心、というものを満たす一番の対象は、『人』ですよ」
 それだけで、聡い古道具屋はその言わんとする所を察した。
「うむうむうむ、どれだけ探っても、旧時代の遺物でも、結局人の心というものは分からないものだからね。誰にだって人への好奇心くらいあると思うけど、や、言い表す言葉が違うだけで同じ興味はみんな持ってるんだよ。だからきっと人は恋をするのだろうね」
 そう、好奇心を物で満たすことが出来なくなれば、者で満たせばいいのである。パムヴァイマは随分長いことそういうことをして悪評を立てている母ラブラをよく知っているから、そういう解答を出せたのだ。そして、あらん限りの勇気を振り絞って、言う。
「クスィ、私はいつでも貴女の道連れになりますよ。昔、約束したでしょう? いつか貴女が寂しさに耐えきれなくなったなら、この私が貴女と番うと。……まだ、本当の番いになるのには早いでしょうけど、それでも、それでも……その……」
 そう、二人の間にはそういう約束が、二十数年前から存在していた。クスフィスだってずっとそれを胸に秘めていた。そして、淫乱なる賢者ラブラの娘にしては奇跡的に純朴で貞淑なパムヴァイマが今、約束のことを言う意味は、変わり者の古道具屋にはすぐ察せられた。
「うん。覚えてるよ。忘れられるわけがない。確かに、ボクらの歳じゃまだ番うのには早いけどね。でも、やっぱり、ボクにとってのパムは大切な人だから、仮初でも、玉響でも、それはいいよ」
 そうして、まっすぐにパムヴァイマの緋の目を見る。
「覚えていて下さったのですね」
 心の底から安堵したように、パムヴァイマが言う。
「勿論だよ。パムは、ボクにとって誰より特別な人だからさ。なんなら今夜にでも、その、なんだろ、手ほどき、かな? をしてくれると嬉しいな。なんだか、今日は久しぶりに墓参りに来たお蔭で、感傷病になってしまったようだよ」
 クスフィスの方ではあまり夜の世界を知らない。だからこの告白には随分な勇気が要った。一方でパムヴァイマの方は母親や異母姉とのまぐわりあいで蜜事を知っている。その点でだけは、パムヴァイマは年上らしい所を見せられた。微笑みを柔らかくして、言う。
「それでしたら、早速お母さまにお暇を窺いに行かなければなりませんね。もう少し、待っていて下さいね」
 安らかに微笑みながら、白蛇のラミアは立ち上がった。
「うむうむ、待ってるよ……いつだって、いつまでも」
 墓守親子の関係がどれほど面倒なものかをよく知っているクスフィスはそう請け合った。そして、パムヴァイマが三度自室を去ると、残された彼女は四十年来の友から向けられた愛情が嬉しくて、少しだけ、泣いた。
 チェルノボグは今日も平和である
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