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「小説」
チェルノボグ

エピソード:濡れる石がくれたもの

 ←エピソード:奔馬 →エピソード:クスフィスの墓参り
水晶砂漠に、風が吹く。


 その日自警団員キスティは仕事であるオアシス周囲の見回りをいつも通りにこなしていた。平和に過ぎるチェルノボグで自警団が行う自警団らしい活動など精々がこの見回りに過ぎず、しかし見回りをしても異常が起きていることなど全然ないので、結局の所彼女らの見回りというのは長い散歩に過ぎない。
 チェルノボグというオアシスはさほど広くない。従って、その円周をぐるりと回るこの仕事も大したものではない。移動技術なぞ徒歩しかない土地であるのだが、それでも人間よりも頑強な脚を持つ彼女らが四時間歩き続ければ一周出来る。自警団の見回りはその範囲を二周する。これは一応自警団の発起人である酋長フィトリアの命なのだが、必要性と言う観点から見れば、まったく無益なことであった。実の所、チェルノボグという大地で『広さ』がある部分というのは大抵が遺跡であり、遺跡は平面的な広さはさほどなく、代わりに地下に続いていて、三次元的な広さを持っている。更に言えば、猛獣が住んでいるそれらの遺跡のほうがオアシスの外側より遥かに危険度が高い。が、それらの獣は遺跡に踏み入らない限り特段害にはならないので、自警団員は専ら『外』を警戒して三交代制で見回りをしているのである。
 そんな退屈な作業の中、早朝からモモドメと交代してようよう仕事を終える頃に、キスティはあるものを見つけた。
 それは一つの石であった。
 しかし、キスティはそれを石だと認識するのに少し躊躇った。普通の石とは少々違うのだ。形は純粋種の人間に近い。頭になる部分があり、胴に繋がり、胴からにゅいっと四本の手足に見える部分が飛び出ている。こういう形の平面的な石は全体にまるで磨き上げたような丸さと光沢を持っていた。そして、驚くべきことに、濡れている。砂漠のことである。水の気配など微塵もないし、近頃雨が降ったということもない。その石が落ちていた部分には少しの湿り気があったが、一番濡れているのはその石であったのだ。
 仔細に吟味しながら、太陽に透かして見た。雫が落ちた。冷たさこそないが、まるで氷のような、変な石だった。キスティの三十数年の人生の中でこれはまったく未知のものであった。『これは何なんだろう』と思いながら、取り敢えず拾得物を入れる為の麻袋に入れて、残りの道程を歩き出した。拾得物と言ってもオアシスの外に落し物をする住人なんていないしそもそも自警団員以外は砂漠まで出ない。従って、その麻袋は砂漠で見つかる小さな味覚を拾って自分のものにする為のものでしかなかった。
『誰かに見せた方がいいかな……』などと考えながらキスティがオアシスの南端にある火山遺跡の前まで戻って来ると、交代要員のリサリンが待っていた。
「おかえり、キスティ。何か収穫はあった?」
 腕を組みながらリサリンは問うた。一応の確認である。
「異常は特に。あと、これを拾った」
 答えながらキスティはリサリンにさっきの石を見せる。
「何この石ころ」
「知らない。……知らない?」
 リサリンという半蠍の女性は昔遺跡探索を仕事にしていた。賢者たちの依頼で様々なものを採集していたのである。だからキスティはリサリンになら分かるのではないかと訊いたのだ。
「うーん……『凍石』……にしてはおかしいし……ちょっと濡れてるのは、何? 水にでもつけてみたの?」
 リサリンはそれを握ってあちこちの角度から見ながら問うた。
「最初から濡れてた。特にいじってはない」
 ぶっきらぼうにキスティは答えた。険のある視線であったが、キスティの表情は常に険しいのを分かっているリサリンは気にも留めなかった。
「どうだろうなー。少なくとも私は知らないわ。アドライア様とかレキカ様に訊いてみたら?」
 この集落で『未知』を『既知』に変える最も手っ取り早い方法と言ったら当然大賢者アドライアを筆頭にした四人の賢者にそれを尋ねることである。
「……そうする」
 短くそう言って、常の通りに交代の確認をすると、キスティはリサリンと別れて居住区へと歩き出した。丁度、真昼の時間帯であった。『火山遺跡』という厭な思い出のある超危険地帯を東側に迂回して、一先ず自宅を目指すと、途中にある博物館遺跡からクスフィスが何かの用事で出て来る所であった。
「やあやあキスティ。お疲れ様」
 そう言って片手を上げて挨拶をする。
「うん。……出かけるの?」
 キスティも同じ動作を返してついでに問う。
「うむうむ、お茶の葉を切らしていてね、アドライア様に貰いに行こうと思ってね」
 お茶の葉とは言うが、チェルノボグでお茶を淹れる習慣があるのはクスフィスとアドライア、それから竹林の賢者レキカ、精々がその程度である。そもそも茶器だって持ってるものは片手で数えられる程度なのである。
「変なの」
 それを分かっているキスティは率直に言う。
「キスティにはあんまり言われたくないな」
 自警団の中では割合変な奴に入るキスティにそう言われるのはこの古道具屋にとっても少々不満なことであった。とは言え腹を立てるようなことでもないので、クスフィスはキスティと一緒に北を目指して歩いて行った。
「今日は何か珍しいものでも取れたかい?」
 てくてくとのろい脚を動かしながらクスフィスは問うた。
「うん。こんなのがあった」
 それに歩幅を合わせながらキスティは麻袋から例の石を取り出してクスフィスに渡した。
「これ、何か知らない?」
 集落では知識人の部類に入るクスフィスにキスティは思い出したように問うた。
「ふむふむふむ……『凍石』とはまた違うし……なんだろうな。どこかで見たフォルムな気はするけど……いや、でもそれも多分こういう石ではなかったかな。ふむ、どうもいまいち思い当たるものがないなあ」
 帰って来た答えはリサリンのそれとあまり変わらなかった。
「そう……」
 少しだけ落胆して、しかし別に責めることも出来ないので、キスティは短く言った。
「アドライア様か、レキカ様に訊いてみたら?」
 付け加えられた言葉もリサリンと同じであった。
「リサリンにも言われた……これから、アドライア様の所に行く」
「ふむふむ。そんじゃあ一緒に行こっか」
「うん」
 こういう次第で寡黙な自警団員と眠たそうな顔をしている古道具屋は一緒に大賢者アドライアの居城たる『白亞の森』を目指すことになったのである。
「しかし珍しいね」
 道中、クスフィスは言う。
「何が?」
 キスティは平板な声で聞き返す。
「キスティが何かに興味を持つのが」
 クスフィスの言う通り、キスティはあまり好奇心が強いタイプではない。毎日の営みを粛々とこなすことに夢中になっていて、たまに行く褥に関わること以外で自分の興味を発揮するということが極端に少ない人物なのである。
「うん。ちょっと、気になったから」
 少し迷って、キスティは答えた。普段から淡々とした日々を送っている所為で、こういうちょっとした発見なんてものにどういう姿勢で臨めばいいのかが、若いキスティには分からなったのである。何か、この石がなんであるのかを突き止めることは、どうしてもやらねばならぬもののような気がしていた。
 そして四方山話をしながら白亞の森に辿り着くと、アドライアの元でメイドをやっているメデインという半人半馬の女性が出迎えてくれた。
「あら、クスフィスさんにキスティさん。何か御用ですか?」
 おしとやかな女性は自分より年下の二人にも敬語を崩さない。そういう風にアドライアに教育されて彼女は育ったのである。
「ボクはお茶の葉を貰いに。キスティは、どうしようね、アドライア様に直接会った方がいいんじゃないかな」
「まあ、何かあったのですか?」
「あったっちゃあったけど、まあなんか変なものを見つけたから、アドライア様なら知ってるんじゃないかなーって。そのくらいの用事だよ、ね?」
 口下手なキスティの代わりに説明してくれたクスフィスの最後の問いに彼女は小さく頷いて答える。
「左様ですか。今、お茶の葉を持って来ますので、一緒にアドライア様がお時間をとられるかどうか聞いて参ります。そちらにかけてお待ちください」
 あくまでも慇懃に、メイドはそう告げて、お茶を入れて去って行った。
「やあやあ、しかし、リサリンさんでも分からないものってことは、相当に貴重なものなんじゃないかい? あの人もここらでとれるものに関しては目が肥えてるし」
 特に遠慮もせずに出されたグリーンティーを飲みながら、業突く張りの古道具屋はどうやら儲け話の臭いを嗅ぎつけたらしい。キスティに送った目配せは『もう一度見せて』という含意が存在する。キスティは麻袋から三度石を取り出してクスフィスの手に渡した。
「なんだか湿気っぽいな。水か何かにでも漬けたのかい?」
 そういうクスフィスにキスティは不思議そうな顔をした。
「水、出ない?」
「へ?」
 いきなり変なことを言われたクスフィスは変な声を上げた。石ころをいじっている最中に水が出ないとはどういうことか。キスティはクスフィスの手から石をとって自分のたなごころで撫でてみる。するとどうだ、その人型石はほんの少し、一滴二滴くらいの水を生んだではないか。
「ふむふむふむふむ……どうやらただの石ころじゃないみたいだね。もしかすると『死者の贈り物』かな。パッと見た感じじゃ全然宝石に見えないけど」
 クスフィスの言う『死者の贈り物』というのはこの地における鉱物資源の別名である。鉱脈なんてものが遥か昔に絶滅したにも関わらずチェルノボグでは宝石の原石が結構な頻度でとれる。それは死者が生者に贈り物をくれたのだと、そういう風に考えられているのである。そして、今二人の間を行き来している濡れる石も、その一つなのではないかというのがクスフィスの推察であった。
「でも、オアシスの外に、贈り物ってあるの……?」
 キスティの疑問ももっともであった。普段から自警団以外の住民は繰り出さないオアシスの外、即ち水晶砂漠にわざわざ贈り物を置く素っ頓狂な死者は果たしているだろうか。水晶砂漠でも何かしら利になるものは稀ではあるがとれる。だが、その中に死者の贈り物は普通含まれない。
「どうなんだろうねえ。それも含めてアドライア様に聞いてみよう」
「お呼びかしら?」
「おひゅう!」
 クスフィスの提案に呼応するように、奥から大賢者アドライアが降りて来た。降りて来た、といっても木精たる彼女は自分の人間型の肉体を樹木と同化させて、クスフィスとキスティのいる所ににょきっと生えて来たのである。為に哀れな古道具屋はお茶を自慢の衣服に零してしまった。
「脅かさないで下さいよ、もう……」
 この集落で誰も使わないハンカチなんていうものを取り出して、クスフィスはお茶をこぼした所をぽんぽんと拭きながら不満を言った。大賢者は立場と歳の割にお茶目で子供っぽい所があるのである。
「ごめんなさいね。ほら、『沁み取り草』を上げるから。これを当てておきなさいな」
 と、言って差し出された、何も乗っていない大賢者の掌に、瞬く間に一枚の葉っぱが生まれ、それをもう片手で千切ってクスフィスに手渡す。木精の生態というのはこういうものである。クスフィスもありがたくいただいて、粘着性のあるそれを服に貼りつけた。
「で、キスティちゃんの見つけた石ね。話は上から聞いていたけど……一応見せてくれる?」
「はい」
 アドライアの場合『白亞の塔』と呼ばれる天を突かんばかりの大樹が彼女の本体であり、そこから根分かれしている森林さえも自身の肉体の一部である。為に、樹木のある所で聞こえる音を総て把握するのは、この偉大なるドリアードにとっては造作もない。
そして、大賢者に促されたキスティは例の石をアドライアの手に渡す。アドライアは真剣な表情でそれを見ていたのだが、少し考えてから、言った。
「これがなんであるのかは分かるのだけど」
 石をキスティに返しながら、アドライアは言う。
「私や、他の賢者が教えてしまうのは、よくないものなのね」
「よくないとは?」
 第三者的立ち位置のクスフィスが食いついた。いつもの好奇心が鎌首をもたげた結果、この変わり者の古道具屋は身を乗り出してアドライアに問うたのである。
「この石がなんであるのか、なんの為のものなのか、どういう風に使うべきものであるのか、そういうことの一切を私は知っています。賢者のうちではレキカもスクラクも。ラブラはちょっと怪しいわね。けど、そういう直接的な教授なしで、あなたたちでこの石の正体を探る……そうするのが、一番いいのよ。この石を考えてみる時にはね」
 言ってウインクまでしてみせたのだが、少なくとも普段から頭を使わずに生きているキスティには今一つ伝わらなかった。一方クスフィスの方ではなんとはなしにその言わんとする所を諒解した。
「ふむふむふむ、つまり、賢者様に頼らずにボクらでこの石の正体を突き止めて、そこで初めてこの石の価値が生まれると、そういうわけですか?」
 クスフィスはどうやらお茶の葉のことよりもこの石のことの方に興味がシフトしてしまったらしい。流石は好奇心だけで生きていると自負する好事家である。
「そうね。その価値がどれほどのものであるのかも、あなたたちの頑張りによって決まるんじゃないかしら。だから、このチェルノボグの色々な人にその石のことを聞いてみなさいな。時間はかかるでしょうけど、きっとうまく行くから。そして、ルーヴァンをお使いに出しておくから、それの正体を突き止めたと思ったらレキカの所に行って答え合わせをして貰いなさい。きっととってもチャーミングなことになるから」
 言ってアドライアが指をパチンと鳴らすと、どこで聞いていたものか、メデインがお茶の葉と、甘い香りが漂う葉っぱ包みを持って出てきた。
「丁度今苺が採れたのよ。みんなへのお土産に持って行きなさいな」
 アドライアの言葉に合わせて、メデインは葉っぱ包みをテーブルの上に置き、クスフィスの前にはいつも彼女が愛飲しているミントティーの茶葉を置いてくれた。
「それじゃあ、濡れる石の正体探し、頑張ってちょうだいね。ちなみに、スクラクとレキカには口止めしておくから、カンニングは無駄よ♪」
 と、大賢者は歳に似合わぬチャーミングな声で告げる。
「カンニ……カンニング?」
 と、キスティは聞きなれぬ言葉に鸚鵡を返す。
「答えを不正に見ることだよ。ボクもなんだか興味が湧いて来た。キスティ、一緒に調べてみよう。こういう頭を使う遊戯は久しぶりだな」
 知的好奇心の塊らしく、クスフィスはさっそく立ち上がって茶葉を持って来たリュックにしまうと、キスティを促した。
「それじゃあ、いってきます」
「いってきます」
 二人はそう言い置いて、アドライアに「頑張ってね」と見送られて、白亞の森を去って行った。
 さて、こういう塩梅で濡れる石の正体探しが始まったわけだが、キスティの方には結構な不安があった。というのも、彼女の交友関係は夜のそれを別とすればさほど広くなく、この石のことを聞けそうな、かつ答えを知っていそうなものとの交渉はさほど出来そうになかったのである。
 一方でクスフィスは早速キスティの前に立って白亞の森の南方を目指していた。湖から南西に暫く行ったそこには本屋マロカの住まう図書館遺跡がある。まずはそこで調査をしようという、そういう考えだ。もっとも、マロカ自身ですら全貌を把握し切れていない図書の中から、これについて書かれたものを探し出すのが至難の業だということも、この古道具屋はちゃんと知っていた。マロカでダメなら薬屋のリネオクン、リネオクンがダメなら酒場のクジャ、それがダメなら……と、この古道具屋はかなり遠慮なくずけずけと人と関わっていくタイプなので、顔も広いしなんだかんだ言って色んな住人から好まれている。
 だから、人見知りの気があるキスティはそれを羨むと同時に、クスフィスが一緒でよかったとも思ったのである。
クスフィスから色々な話を聞かされながら、キスティは実に久しぶりに図書館遺跡に訪れた。確か前に来たのはここでマロカが本屋を初めて間もないころなので、もう六、七年も前になる。その間、マロカと会わないではなかったが、他の多くの住民同様文字なんて読めないキスティにとって図書館遺跡は人間が魔法について考える時の、あの不可思議な感覚を抱かせる場所であったのだ。どのような本であっても確実に読めてしまうマロカはさながら魔法使いと言った所か。
「キスティはここほとんど来ないよね?」
 二階にある入り口をくぐりながら、クスフィスは確認した。
「うん。マロカが本屋始めてから一度も来てない」
 キスティは正直に答えた。
「ふむ……じゃあ探し物は難しいね。図式の乗ってる本なら文字読めなくても平気っちゃ平気だけど、図式だけの本ってのもないしな……」
 まったくもってクスフィスの言う通りである。この集落で文字なんて面倒くさいだけのものを使う文化は賢者たちとクスフィス・マロカ・リネオクンという知識人層、後はそれより大分識字能力が落ちる賢者の元の見習い連中、それくらいしかいないのである。そんな状態であるから様々な情報の宝庫である図書館遺跡の蔵書はロクロク整理もされずに放っておかれているのだ。ただ一つ、本が朽ちない為の魔法だけをかけられながら。
「じゃあ、私は何すれば……?」
 自分に出来ることが、少なくともこの図書館遺跡では全然ないと分かっているキスティは問う。
「一応ボクと、動かせたらマロカとで本を持って来るから、その中の絵からその石に似てるものを探せばいいよ」
 クスフィスは実に簡単に決定した。言う間にもうマロカが普段から寝ているレファレンスカウンターである。しかし、マロカの姿はそこにはない。
「マロカー! いるー?」
 大きな声でクスフィスが声をかけた。すると地下にある閉架書庫の方から階段を上がって来る音が聞こえた。どうやらものぐさな本屋は何かの探し物をしていたらしい。
「何よクスフィ……ってキスティじゃない。どうしたのこんな所に」
 上がって来たマロカは常の通りに友人クスフィスにキツい言葉を放とうとして、一緒に並んでいるキスティを見て訝しんだ。それはそうだろう。何せキスティが図書館遺跡に来ることなんて先の通りだし、それ以外でも集落一の頭脳労働者であるマロカと集落の肉体労働者である自警団員のキスティはほとんど接点がないのだ。
「私は、その、クスフィスと一緒に……」
「ちょっと調べものがあってね。キスティが珍しい石を見つけたんだよ。それで、アドライア様に聞いたら自分たちで調べなさいって話だったからさ。詳しく聞きたい?」
 口下手なキスティの代わりにクスフィスが言う。好奇心というエンジンのかかったクスフィスはこういう作業をする上でこの上もなく有能である。
「いや、それより石とかそういうのだったらレキカ様に聞くのがいいんじゃないの?」
 マロカの言葉は実に賢明な判断であった。こと石や鉱物というものについて竹林に住まう宝紬の賢者レキカほど豊富な知識を持つものは他にいない。が、それはダメだとアドライアが言っていた。と、クスフィスは一部始終をマロカに教えてやった。
「水が出る石ねえ」
 マロカはキスティから受け取った石を光に透かして見てみたりしている。しかし、先ほどクスフィスが触った時通り水は出なかった。湿気はあって、為に少し滑らかさを感じたが、それ以上のことはない石である。しかし、マロカに石を返されたキスティがそれを撫でると、確かに石から水が滴るのである。
「ふうん……風変わりな贈り物ね……。あ、床汚すのはいいけど、本には水落とさないでよね。大事な食糧な……」
 と、いいかけたマロカの腹から『ぐぅ』という音がなって、珍しく隙を見せた可愛い文喰は赤面してしまった。
「ごはん、まだなの……?」
「はっはーん、さてはボクらが来るちょい前まで寝てたね? それで朝食用の本をとって来たと」
 キスティは少し心配そうに、クスフィスは完全に茶化すように言う。キスティの方では先ほど大賢者から貰った苺菓子を上げようとしたが、マロカは文喰、つまり本に印字された文字を食べて生きる種族であるので、申し訳なさそうに突っ返された。
「いいでしょ別に。昨日遅くまで極東の神書読んでたのよ」
 言って、マロカは食事を開始した。彼女が頁をペラペラめくると、中にあった文字たちが悉く宙に浮いて、それがマロカの深呼吸に合わせて口の中に入って行ってしまった。そして後には白紙になった幾冊かの本だけが残った。これが文喰の食事方法である。
「ふむふむ、相変わらず便利な体をしてるねえ。で、食事を終えたばかりで申し訳ないんだけど、本題に入っていいかにゃっ」
 珍しく慌てた、バツの悪そうなマロカの表情に嗜虐性を感じたクスフィスは思い切り下卑た顔でマロカの方に詰め寄り、閉じられた白紙の本で殴られて奇声を発した。
「はいはい。その石ころが載ってる本がいるんでしょ。先に言っとくけど、私の記憶の中にそれと同じ石はないからね」
 鬱憤晴らしを終えたマロカは先に予防線を張った上で、更に言う。
「少なくとも開架にある本には載ってないから、閉架の方ね。地下六階東棟にそういう科学的な本が置いてあるから、行きましょう」
 そうして、マロカの案内で三人は地下へと続く真っ暗な階段を、『光源石』を入れたランタンを一人一つずつ持って降りて行った。
 クスフィスとキスティが案内されたそこは凄まじく本が多く、慣れていないキスティはそれだけでもう『ここから情報を得るなんて無理なんじゃないかな』と思い出した。何せ十メートルくらいある天井に届くほどに巨大な本棚が並び、その総ての段に本がぎっしり詰められていたのである。これだけ巨大な本棚を使う以上当たり前のこととして、移動式の梯子がそれぞれの本棚に二つずつついていた。
「それじゃあボクが上の方、マロカが下の方を探すから、キスティは梯子を動かしてくれないかな。出した本は後でまとめて読もう」
 というクスフィスの提案に、図書館なんてものを使ったことのないキスティは頷くしかなかった。そして、二人の指図通りに梯子を動かす。二人の知識人は怖ろしい速さで本の背表紙を確認し、疑わしい本を見つければ中身を開いてランタンの明かりの元でそれをペラペラめくり、次々に本棚を渉猟し切ったのである。この作業は、特にこの遺跡に親しんでいるマロカとクスフィスの手によるものであったので、本来一日二日もかかる所を僅か一時間半というとんでもない速度で終了した。
 そして三人であれこれいいながらかき集めた本を地べたに座って確認し始めた。図説の多い本は文字が読めないキスティの担当として、他の文字の多い本は知識人二人が凄まじい速度で索引を検索し、頁をめくって該当するものがないかを調べて行った。途中何度か気の短いマロカが我慢出来なくなって幾冊かの本をさっきと同じように食べてしまったが、それでもこの作業は一時間を要した。そして、その一時間で収穫らしい収穫はまったくなかったのである。
「やあやあ、やっぱり図書館の調べものはキツいね。しかも骨折り損のくたびれ儲けと来たもんだ」
 と、言い出した張本人であるクスフィスが真っ先に愚痴った。
「それは図書館の限界よ。ここにないってことは、もっと地下の、もっと古い本じゃないと探せないけど……どうする?」
 マロカはたらふく文章を喰った腹を撫でながら、二人に問う。満腹したのでいつものつんけんとした態度は少々和らいでいた。
「私は……どうしよ。二人に任せるよ」
 キスティはこの空間で出来ることなどないというのをよくよく思い知らされた為、随分気弱に言う。
「これより古いとなると、ボクくらいじゃ読めなくなるしなあ……一先ず、文献調査はこれくらいにして、次行ってみようか」
「次?」
「次?」
 マロカとキスティがハミングして問う。
「うむうむ、リネオクンの所に行ってこの石がどういう性質をしているのかを調べて貰おうと思ってね」
 このクスフィスの言に、マロカはなるほどと頷いた。化学を嗜む薬屋は確かにそういうことを調べるのに適切な技術と設備を持っている。その技術の元はマロカの図書館遺跡の本であり、設備はクスフィスの博物館遺跡から買ったものだが。しかし、どちらかというと文系に属すこの二人のガラクタ屋と違って、リネオクンは理学の研究者である。そういう意味でも、また何かを知っているらしい湖守の賢者スクラクの娘であるという点で言っても、彼女はこの仕事に適任である。
「いいかな? キスティ」
 一応持ち主の意向を遵守する為に、クスフィスは尋ねたのだが、『知識』というものを生活的なものしか持っていないキスティは黙って頷くしかない。
「じゃあそうしよう。マロカはどうする?」
「うーん……ちょっとお昼食べ過ぎたわ……食休みしたいから、私はここまでかな。一応それが何なのかは知りたいから、分かったら後で教えてよ」
 と、言うや否やこの不精な文喰と来たらその場でぱたりと横になって寝る準備をし出した。彼女の生活は基本的にこんな塩梅で、実に自由に回っている。それをよく知っているクスフィスは眠そうな顔に苦笑いを浮かべつつ、キスティを促す。
「行こうか」
「うん」
 そうして今度は二人でリネオクンの薬屋を目指した。道中、キスティは珍しくさっき読んでいた本がどういうもので、どういうことが書いてあったのかということをクスフィスに聞いて来た。彼女としては、自分のあまりの無知さに吃驚仰天してしまったのである。だからそんな、普段であれば気づきもしないことを訊いたのだ。変わり者のクスフィスは知識に関心を持つことはいいことだなんて、この集落で誰も考えていない教育学的見地に立って、分かりやすくキスティにそれを教えてやったのだから、まったくこの変わり者はお節介焼きである。
 そういうやり取りをしながら二人が向かっているリネオクンの家はマロカの図書館遺跡から北に戻って湖の南岸沿いに東に進み、南東の岸にある居住区を抜けて暫く進んだ、東岸にあるキノコホテルにほど近い、湖に隣接した場所にある。これにはちゃんと理由があって、リネオクンが主に売る薬というものが媚薬である為、それを使う場所である褥、即ちキノコホテルの傍に店があったほうがいいということである。また、リネオクン自身がクリオネの遺伝子を持つ水棲種なので、住まいとしては水辺の方が楽なのだ。居住区からは少し外れる為、二人は途中で色々の店屋が集結しているそこを雑談しながら通り抜けた。一応リネオクンの所で話を聞いたら今度はこの居住区で聞き込みをしようとは、二人とも考えている。居住区はクスフィスやキスティなんかの、まだ半世紀も生きていないものが生まれるより遥か以前から店屋が集結する場所として存在していたし、そこで店を営んでいるものたちはクスフィスたち若者から見れば結構な『大人』である。一応キスティやその後輩のガザニカみたいな子どもも住んではいるが、やはり居住区は大人たちの安定した住まいである。
 その大人の世界に行く前に、二人はまだ子どもの側に属している同類のリネオクンを訪ねようとした。それは彼女たちの間に漫然と横たわる友情がそうさせたのである。
 そして、常の店屋と違って樹のウロを店舗にしているリネオクンの家に遠慮仮借なく声もかけずに入って行くと、リネオクンは丁度クスフィスから買い取った何に使うのか分からない、硝子で出来た何かの管を掃除している所であった。
「おや、珍しい組み合わせだね。怪我でもしたかい、クスフィスよ」
 四十年来の友人はどこからどう見ても怪我なんてしてないのだが、からかいの意味でリネオクンはそう言うのである。この二人は歳が近い上に、どっちもどっちで売れない商売をしていて、その上それが頭脳労働であるという点でも一致しているので、かなり仲がよい。加えて言えばリネオクンはクスフィスから実験道具を、クスフィスはここの住民の割に体が弱いのでリネオクンが無暗に作っている薬を、それぞれ買い合うという意味でも交友が深い。もっとも、どちらかと言うと『悪友』という言葉の方が適切ではあるが。
「やあやあ悪いね健康で! それはともかく、ちょいと調べて貰いたいことがあってね。お礼はキスティが出すからさ」
 リネオクンの性格をよく分かっているクスフィスは適当にあしらって事の一部始終を話し出した。マロカの時もそうであるが、リネオクンも相当に知的好奇心が旺盛な人種であるので、この不思議な石と、そして大賢者アドライアがくれた苺菓子まで使えば確実に話に乗ってくれるだろうという確信があった。
「ほほう……石が濡れるのは、キスティが触った時だけなのだね?」
 話を聞いたリネオクンは確かめるように言う。
「うん。ちょっと確かめてみて。壊さないようにね」
 と、言ってキスティは濡れる石を渡す。壊さないようにというのは、リネオクンが何かのものを調べる時に熱したり変な薬に漬けたりするのを用心してのことである。リネオクンは暫くそれを眺め、臭いや質感、色合いを確かめてみたりした。水は流れない。
「ふむ……これは難しいぞ。ちょっと色々試してみよう。壊れないようには気をつけるさ」
 そう言うとリネオクンは返事も聞かずに置いてある実験用の道具に手を出し始めた。こうなったリネオクンが何を言っても聞き入れてくれないことを充分に知っているキスティは「壊さないでね……」と力なくもう一度同じことを付け加えるしかなかった。
 リネオクンの方では頷きながら思い出したように古道具屋で買った黒板を取り出してクスフィスに渡し、「記録を頼む」「あいあい」というやりとりをしてから様々な道具を取り出して分析にかかった。
まず色。濃い青に白を混ぜて中和したような暗い、しかし柔和な色をしている。次に光沢。布でそれを拭って『光源石』に照らしてみると、かなり艶やかな光沢を持っていることが分かった。同時に透明度も計ったが、これはかなり不透明な状態であった。そして重さ。リネオクンも他の二人も手に取った時点で分かっていたが、相当に軽い。クスフィスの所から買った秤のセットは結構小さいものでも量れたが、その一番小さい重石よりもなお軽かった。硬度も石としては低いらしい。磁性はない。可塑性も弾性もない。リネオクンは割れ方や塩酸反応まで調べようとしたが、クスフィスが「それやったら壊れる!」と止めたのでこれは不明だった。
「ふうむ。どうも変な石だ。というか本当に石なんだろうかねこれ。石にしてはあんまり変な特徴ばっかりあるような気がするんだが」
 一通りやることを終えたリネオクンは白い清潔そうな腕を組んで、黒板に記されたメモを見ながら考え出した。鉱物学は別段専門でもなかったが、この集落の『宝物』文化、つまり鉱物資源を元にした宝紬の造る装飾品の文化の中で生きていれば必然的にそういう知識は身について行く。その知識の上から見ても、この濡れる石というのは非常に非常識なものであった。
「成分を調べたいな。と行っても砕くのはいやか。ということでキスティ、ちょっとその石を撫でて、これの上に水を垂らしてみてくれないかな?」
 そう言ってリネオクンが差し出したのはプレパラートである。濡れるということは石の成分が溶け出しているのではないか、というのがこの若い科学者の仮説であった。キスティは言われるがままに石を撫でて、雫を落とす。
「これくらい?」
「うん、大丈夫」
 そうして薬屋は古道具屋から十五年分の薬と引き換えに買った『構造解析鏡』なるものを覗いたのである。貧乏なくせにこういうものにお代を惜しまない彼女は正しく研究者の鑑である。
「ふむふむ……どうだい?」
「これは……ちょっと待てよ?」
 そう言ってリネオクンはなお注意を高めて装置をいじり、プレパラードに乗せた雫を分析し出した。そして信じられないものを発見したような表情になった。
「ほうほう、何か掴めたね?」
「ああ、この石……カルシウムと有機質が混じっている。あと青系の色素と不純物。まあ不純物は砂漠でついたんだろうけど」
「え、じゃあそれって……」
「普通の鉱物じゃあないね」
 などと言われても鉱物に明るくないキスティにはよく分からないのであるが、二人はそれで一つの納得する、しかしそれでもなお不可解な結論に達したらしい。
「いいかいキスティ」
 代表してリネオクンが言う。
「これはどうやら真珠と同じ成分を持っているようだよ」
 そう、リネオクンがこれまで調べて来た所の特徴のうち、『キスティが撫でると水が滴る』という意味不明な一点を除けば、この人型の石は真珠の性質を備えているのである。
「え、でも、真珠じゃないよね……?」
 チェルノボグでも湖で真珠はとれる。とれるが、多くの場合それは真白い小さな球体、つまり我々が想像する通りの形であって、こんな人型をした大きいものではない。故に常識人のキスティはこれが真珠だと言われても全然、信じられずにいた。
「真珠そのものではないかも知れない」
 もっともそれは発見したリネオクンですら半信半疑であった。特に例の『濡れる』という性質を持っている鉱物などリネオクンも覚えがない。ましてやこの真珠石はキスティが撫でた時だけ濡れるのだ。この特徴だけは、マッドサイエンティストがどれほど知恵を絞っても解答を出しかねた。
「うむうむ。構成物質が真珠に近いというだけだと濡れることに説明がつかないからね。はてさて、どうしたもんかね」
 いつの間にかアドライアから貰った苺菓子を一つ喰いながら暢気そうにクスフィスは言う。リネオクンの理詰めの思考回路は哀れにも完全に混迷の淵に落ち込んでしまったらしく、クスフィスが差し出した苺菓子を力なく受け取って、それを自分の前に投げ出してしまった。
「ダメだ。どれだけ考えても『濡れる』に説明がつかない。これはもしかするとよっぽど魔法的な力のある贈り物なのかも知れない」
 匙を投げるように足を投げ出してリネオクンは自身の知性の敗北宣言を掲げた。実際、魔法とでも考えなければ説明がつかない性質なのだ。
「構成物質っていうのは……真珠と同じもので出来てるってことかな?」
 無邪気なキスティは問うたが、拗ねてしまった薬屋は僅かに頷いただけだった。
「真珠で出来た、濡れる、石……」
 改めてキスティが口にしてみると、まったく謎ばかりが深まったような塩梅だった。そのやり取りを見ながら苺菓子を食べ終えたクスフィスはどうやら、これ以上リネオクンの調査に頼っても成果は出るまいと悟ったらしい。放っておいたリュックを持ち上げて二人に言う。
「まあまあ、構成物質が分かっただけでも充分だよ。説明はしやすいし。というわけでキスティ、居住区に行って誰か知ってる人はいないか聞いて回ろう。リネオクンはどうする?」
 クスフィスのこの言葉にリネオクンはクリオネの頭部みたいになってる所為で表情が窺いづらい顔の満面に渋面を作って、いやいやと手を振った。
「そもそも今日は休みの予定だったんだ。だから新薬の実験を終えて片づけてたんだが……思わぬことで頭を使った所為で疲れた。今日はゆっくり休みたい。またそれが何か分かったら教えてくれよ」
 と言ってクリオネお化けは苺菓子を掌に持ってごろんと寝ころんだ。
「分かった。分かったらまた来るね」
「うむうむうむ、それじゃあご達者で」
 そうして二人はリネオクンの家を出て、再び居住区の方へと引き返して行った。
「しかし奇妙だね。真珠と同じ性質を持っている濡れる石なんて。しかも濡れるのはキスティが触れた時だけ……」
 そこまで言って、クスフィスはふと何かを思いついたらしく、キスティに提案した。
「どうだい、一つ、聞いて回るついでに他の誰かがこれを持った時に濡れるかどうか、試してみないかい?」
 クスフィスの提案に、キスティは少しだけ考えた。
「うーん……まあ、いいかな……」
 何とも曖昧な答えである。しかし、そうした方がみんな何か思い出してくれるだろうと思って、頷く。そうして二人は居住区に入っていったのである。
 真っ先に向かったのは酒場のクジャの所であった。クジャと言えば大賢者アドライア、宝紬の賢者レキカに次いでチェルノボグで長く生きている古老である。老いた外見は一切持たないが。そこで二人は、下手をすると(賢者としては)若輩の墓守の賢者ラブラ以上にものを知っている、この集落唯一の酒場のおねーさんなら分かるのではないかと思ったのである。
 二人が酒場に入ると、クジャは午後ということもあって、今夜の店の為に酒と肴の準備をしていた。ここでバイトみたいな仕事をしている鳥種スピックも一緒にいた。
「あら、クスフィスにキスティちゃん。珍しいわね、こんな時間に」
「やあやあ、こんにちは。実はかくかくしかじかで……」
 そう言ってクスフィスはキスティの発見から先ほどのリネオクンの発見まで含めた総ての事情を話した。スピックも働きながら興味深そうに聞いている。
「……と、いうわけなんですよ。クジャさんなら知ってるかなと。ちなみにその石は……」
「……これ」
 クスフィスに促されたキスティは石を取り出してクジャに渡す。二人はよくそれを観察していたが、どうも石は新たに水を発しはしなかったらしい。
「真珠で出来た濡れる石、ねえ……それ石って言うのかしら」
 などと言いながらクジャがそれを光に透かして見ていると、後ろからスピックが近づいて来て言った。
「キスティー、これ、私も触っていい?」
「いいよ」
「やった! どれどれー……なんか、触ったことないなこれ……」
 少なくともスピックには未知のものであるらしかった。と言ってもスピックは若年のキスティより更に若い二十代なので、この反応はキスティにもクスフィスにも特に何ももたらさなかった。
「クジャさんは、知ってる……?」
 改めて、キスティが問う。
「そうねえ……真珠の石……私はちょっと直接に手に取ったのは今が初めてなんだけど、何か、こういう不思議な石があるっていうのは、まあ酒場の噂話程度だけどね、聞いたことがあるわ」
 この言葉には持ち込んだ二人のみならずスピックまでもが湧いた。流石に集落の情報が一度に集う呑み屋を八百年以上も経営しているだけのことはある。
「これと同じかどうかは分からないけど、触ると濡れて行く石っていうのは何百年か一度に出て来るらしいのよ。ママにも聞いたことがあるわね、そう言えば。で、それは実は濡れてるんじゃなくて蕩けてるんだって言う人もいたし、単に濡れているんだという人もいた。ここ最近では全然見ないわね。あ、最近ってクスフィスが生まれたくらいの頃からこっちね。確か今の住民の中でも誰だかが見つけたって話はみんなが生まれる何十年も前にあったんだけど、誰なのか分からないのよ。多分見つけたその人が隠そうとして黙ってたのね。その人が誰かは分からないけど、鬼籍に入ってはいないみたいだから、居住区を虱潰しに聞いて回ったらいいんじゃないかしら? もう隠す時期でもないでしょうしね」
 この、まるでクスフィスが商売をする時の口上みたいに長い言葉を、若い三人は熱心に聞いていた。どうやら地道に聞き込みを続ければ分かりそうな塩梅だ。そして、クジャの話ぶりから察するに、前の発見者は確実に一世紀記を迎えているもの、即ち百年以上を生きているものに限られるらしい。
「こんな情報で大丈夫かしらね。あくまで噂話程度の話だから、見つからなくても怒らないでね」
「いえいえ、充分ですよ。少なくとも聞くべき相手は大分絞られました。それでも結構いますが」
「これ、お礼……」
 クスフィスとキスティはそう言ってクジャに苺菓子を献上した。
「これから聞きに行くの? 私も行きたい!」
 と、スピックは言ったが、彼女は要するにクジャの舎弟であるので、それは酒場の主が許してくれなかった。なだめる意味も籠めて、キスティはスピックにも苺菓子をやった。すると気ままな自由人はそれで満足してしまって、すぐさま酒場の仕事に戻って行った。
「ふむふむ、さて、それじゃあ聞き込み開始しますかね。居住区だと……ミガさん、フモトトさん、ドリメアさん、カルジャッカさんにモモドメさん、ケプリカさんとミノルスさん、あとモヨコさん、か。結構いるなあ……」
「まあ、急ぎの調べものでもないし……」
 そう言い合いながら、二人は小腹が空いたのもあって、いい匂いを店先から漂わせてるミガの肉屋に行くことにした。すぐそこである。
「ミガさーん」
「おう、クスフィスか。うん? キスティもか」
「はい」
「ちょいと小腹が空いたのでゴート揚げでも貰おうかと。キスティ、お代出して貰っていいかな?」
「いいよ」
 そう言って例の苺菓子を渡し、ついでにミガに先ほどクジャから聞いた話と例の石との話をして、見て貰う。
「なんかこれ、この形、クスフィスの家にこんな感じの像がなかったか? ど……なんとかって言う奴」
「ああ、土偶ですね。それとは多分何も関係ありませんけど」
 ミガに指摘されて、クスフィスはようやくどこかで見たそれの形を思い出して、喉につっかえていた小骨がとれたような思いがした。石の形は確かに土偶のシルエットを平面にしたようなものであったのだ。
「しかし、どうもこれそのものの記憶はないなあ。噂になったのも何十年も前なんだろ? 流石に覚えてないぞそんな昔のことは」
 どっちかと言えば頭はあまりおよろしくない人虎はにべもなくそう告げた。そして「すまんな、役に立てなくて」と言って、苺菓子と引き換えのゴート揚げを一個ずつ多く二人にくれたのである。
「こういう感じで、聞いて行けばいいかな……?」
「うむうむ。いいんじゃないかな? いやあ、やっぱり揚げたては美味いね」
 間食を食みながら、二人は次にどこに行こうかちょっと迷って、とりあえずミガと年齢の近いものから当たって行こうということになった。最低でも百年くらいは生きているものでないと噂話そのものを覚えていないだろうという推測に加え、先ほどのミガの言葉とクジャの言葉で微妙にすれ違いがあるように、愛すべき変人クスフィスには思えたのだ。
「なんかね、『いつ噂になったのか?』があんまり明瞭じゃない気がするんだよ」
「と言うと?」
「もしかすると、クジャさんの覚えてる噂の流れてた時期って言うのは、言ってたよりずっと前、もう一世代か二世代前なんじゃないかって言う気がする。幾らミガさんが噂に無関心でも、あまりにもあっさりし過ぎてる気がする。だから、とりあえずミガさんと同世代の人にその噂を知ってるかどうか聞いて回ろう」
 そう言う間に自警団の詰所の前である。ここでは団長のカルジャッカが団員のモモドメ相手に稽古をしていた。まったくもって自警団と来たら暇な連中である。で、それぞれ百二十四歳と百四十八歳のこの二人に、クジャから聞いた噂話のことを尋ねてみると、果たしてどうだ、二人とも知らないという。カルジャッカもモモドメも集落内の噂話は仕事の関係上結構詳しい筈なのだが、記憶にないらしい。そうなるといよいよクジャの言っていた噂話の時期が怪しくなって来た。一応例の真珠石を触らせても見せてもみたが、二人とも驚くばかりで何も知らなかった。特にモモドメは昔遺跡探索の仕事をしていただけにこういうオアシスでとれるものに、同僚のリサリン以上に詳しいのだが、やはり尾はつかめなかった。
 この二人から聞けるだけの情報を聞いた二人は、今度はミノルスの牛乳屋に向かった。彼女とミガたちでは五十年くらいの開きがあるが、近い年齢は彼女と布団屋を営むスピックの母ドリメアくらいしかいない。しかし、牛乳屋で聞けた話はミガたち三人と大同小異であって、新しい情報は手に入らなかった。ミノルスは役に立てなかったからと、苺菓子と交換でこの地の人間が好むチーズ団子を二人に三つずつくれた。
「うむうむ。さてどうしようかね。居住区だとあと知ってそうなのはドリメアさんとフモトトさんとケプリカさんか……ラクネアさんは世代じゃないしなあ」
「そうだね。取り合えずドリメアさんに……あ」
「うむ?」
 道端で会議していた二人が発見したのは、汚穢屋のはぐれモヨコであった。
「はぐれさーん、ちょっといいですか?」
 クスフィスが幾つもの『用足し匣』の替えをもっこ橇に乗せて運んでいる水銀のスライムに声をかける。不愛想極まりない汚穢屋は酷く物憂げな表情で二人を見た。仕事の関係上、毎日顔を合わせる相手ではあるのだが、しかしモヨコは世間話というものをまったくしない。事務的な会話だけである。それですら必要最小限にしかしないこの相手から何かを引き出せるとは、少なくともキスティはまったく思いもよらなかった。しかし、活動的な古道具屋はキスティの蟷螂の遺伝子が現れている腕を引っ張ってモヨコの方に近寄って行ったのである。で、「実はかくかくしかじかで……」ということを話した。するとどうだ、モヨコは珍しく明るめな表情になって、「それ知ってる」と答えたではないか!
「本当に!?」
 と、クスフィスとキスティはハモった。
「直接は知らないけど、噂は聞いたことある。私がまだあなたたちくらいの頃だから、もう二百年くらい前のことだけど、濡れる石を持ってる大人がいるって、半世紀記前の子どもの間で噂になったことがあって、私も聞いた。フモトトなら、もっと詳しく知ってる筈」
 と、モヨコに指名されたフモトトは丁度彼女と同じ世代である魚屋で、ドリメアの番いである。はぐれモヨコという人物は基本的に集落の娯楽と関わらずに生きているので、彼女からこれだけの手がかりを引き出せたのは大きな収穫と言ってよかった。二人は礼を言って苺菓子を渡し、ついでにせっかくだから触りたいというモヨコにそれを触らせてやって別れた。
 そしてフモトトの魚屋の前に行くと、番いであるドリメアと、もう一人、夕食を買いに来たのであろう雑貨屋のケプリカがいた。
「やあやあみなさんお揃いで」
「こんばんは」
「お、クスフィスにキスティか。珍しい組み合わせじゃないか」
「ええ、実は色々ありまして……お三方にちょっと聞きたいことが……」
 そうしてクスフィスはまた例の話を繰り返したわけだが、流石に我らが愛すべき変人クスフィスも今日一日で散々同じ話をした為か、その弁舌には若干の疲れが見え始めた。
「……と、言うわけなんですよ。……キスティ」
 クスフィスが目配せすると、すぐさまキスティが例の石を出す。フモトトは「あったなあそんな噂」とドリメアに語りかけている。ドリメアの方ではそんなもの知らないので、可哀想なものを見る目を番いに向けた。で、そこに石を差し出したこのカマキリの遺伝子を持つ自警団員は、今日一日散々頑張ってくれた古道具屋の友人に対して、少し申し訳ない気持ちになって来ていた。人と話す時にクスフィスに頼り過ぎているような気がしたのである。
石を見た時に真っ先に「ほう」と反応したのはフモトトでもドリメアでもなく、三百二十三歳に及ぶ雑貨屋であった。
「ケプリカさん、何かご存じで?」
「そう言えばケプリカくらいの世代だよなあ。濡れる石の噂があったのって」
 フモトトは暢気にそう言った。すると石を受け取ったケプリカはそれをしみじみと眺めながら、何か昔を懐かしむような視線へと変じた。そして嘆息一つ漏らして、言う。
「うむ。もう隠し立てする必要もあらんから話しちゃろう。フモトトの言っとる噂で『濡れる石』というのを持っとったのは誰あろうわっちじゃ」
 キスティは意外そうに、クスフィスは納得したような顔で、その告白を聞いていた。今までの話を総合してみた時、濡れる石を持っていた世代のものというのは、この集落の中では実の所、ケプリカしかいないのである。集落の人間の年齢を一々覚えている計算好きの好事家はそれをしっかり予測していたのだ。
「これはちゃんとした名前を『亡骸の涙』と言うてな。まあ真珠の変種なのは突き止めたようじゃが……これは死者の贈り物の中でもとりわけ珍しいもんじゃ。特定の死者が特定の生者に『贈る』もんでな、わっちの場合は母上なんじゃと、レキカ様が言っておった。多分キスティもそうじゃろな。他に思い浮かばん。で、この石……と呼ぶのか真珠と呼ぶのか、どっちがいいかは分からんが……それを真摯に受け止めて、愛してやれば石は蕩けて不純物のない一級の真珠に変じるんじゃよ。わっちのそれは黒真珠じゃったが、これは青真珠じゃろう」
 この宝物が大好きな雑貨屋が死者の贈り物に詳しいのは誰でも知っている。だが、この告白はかなり意外なものであった。というのも、ケプリカは基本的にけち臭い為、自分の持っているものの中でも最も高級なものはあまり人に自慢しないのである。今現在、彼女はトード・エメラルドと題された巨大な蟇蛙像を持っているが、それを手に入れるまでの過程で色々と考えさせられた結果、これだけ宝物に対して謙虚になったのだということは、この場にいる誰もが知らない。
「石を、愛する」
 キスティは真剣な顔でケプリカが返して来た石ころを見詰めた。石を愛せば見返りがある。なかなかにメールヒェンチックなお話だった。
「その石は、わっちには確かなことは言えんが、キスティに縁の深い死者からの贈り物じゃよ。じゃから、お前さんがそれを愛するのは、その死者を愛するに等しいんじゃ。そして、思い出して貰えた死者は決して忘れられることがないように証をくれる。それがその石の変じた真珠じゃ……詳しいことは、レキカ様の所に行って訊いてみたらどうじゃ。アドライア様は謎かけをしたようじゃが、もう充分謎は解けたじゃろう」
 そう言われて、キスティはクスフィスと顔を見合わせた。なるほど確かに答えに辿り着いたらしい。濡れる原理は不明だが、ものとして何なのか、どれだけの価値があるのか、それは充分に理解出来たのである。
「しっかし、これが真珠になるのかあ……いや、リネオクンが間違ってなければ確かにこれは青真珠なんですけどね」
「まあ見ただけじゃ分からんじゃろうな」
 キスティの手にある石を見ながら、クスフィスとケプリカは言う。キスティはと言えば、早くこれが『誰の』贈り物なのかを確かめたくって、今にも走り出しそうになっていた。実の所、自身の親からではないかというケプリカの推測はそのままキスティの推測とイコールであった。というのも、まだ歳若く、死者との別れなど自分の親でしか経験したことのないキスティにとって、心当たりになるものはそれしかなかったのである。
「それじゃ、行こうか、キスティ。ケプリカさんも、フモトトさんも、ありがとうございました」
「ありがとう……あの、これ、お代です」
 クスフィスの挨拶に続いて礼を言って、苺菓子を三人に手渡す。ほぼ何にもしていないドリメアは「貰っちゃっていいのかしら」と躊躇っていたが、いつも無口なキスティが「どうぞ」と勧めたので、謙虚にも貰うことにした。
 そして二人は、真っ赤な夕焼けに背を向けて、東の竹林に住まう宝紬の賢者レキカの岩屋を目指して歩み出したのである。
 陰気な笹の葉隧道を通り抜けると、賢者レキカとその弟子のザントレムとが住まう岩屋がある。クスフィスとキスティは今日一日散々に集落のあちこちを歩き回った結果として、くたくたになりながらその陰気な道を通り抜けて、チェルノボグでただ一つだけ本来の目的で使われる呼び鈴を鳴らした。レキカはこれを鳴らしても自分から出て来るなんて親切な真似はしない。応対するのは専らザントレムである。
「やあ、どうしたねクスフィス。またぞろ商売の話かい?」
 と、実に爽やかな笑顔で砂精ザントレムは嫌味をかます。この宝紬見習いと古道具屋のやり取りは基本こんなのである。
「いや。今日はキスティの用事に付き合ってるだけだよ。ね?」
 そう言われて視線を向けられると、成り行きでここまで協力して貰うことになったキスティは「うん……」と控え目に言うことしか出来なかった。
「キスティがレキカ様に?」
 貧乏な自警団員が高級な宝物を扱うレキカに用事、というのは滅多にあるシチュエーションではない。為にザントレムは訝しんだのである。
「まあまあ、あんまり細かいことを伝えるのはもう疲れたよ……とりあえずレキカ様にキスティが『亡骸の涙』を見つけたっていうのと、アドライア様から出されたお題の解答が出ましたよ、と伝えて」
 それだけ言うと貧弱なクスフィスはとうとう今日一日の労苦がクライマックスに達したらしく、岩屋の前にある東屋の椅子に座らず、へなへなと横になった。いつも眠たそうな表情を湛えている顔は本物の眠気を湛えて目を細めている。キスティは小さく「ごめんね」と言ってその隣に座る。クスフィスは「ううん」と小さく首を横に振ってくれた。この古道具屋にとって自分の好奇心を満たすことは三度の飯より大事なことなのである。だからその結果疲労が残ったとして、それは彼女にとっては別段謝られることではないのであった。
 少しすると、人数分の笹茶を持ったザントレムを連れて賢者レキカが煙管を吸いながら現れた。
「何人のものに訊いて回った?」
 東屋の、キスティたちの向かいに座った賢者は開口一番そう言った。キスティの方ではこの問いの真意が分からず、一瞬戸惑ってしまった。代わりにまだ頭が回っているクスフィスが答えを出すべく起き上がった。
「ふむ。えーと、アドライア様は数に入れていいのか分かりませんけど……後はマロカ、リネオクン、クジャさん、ミガさん、カルジャッカさん、モモドメさん、ミノルスさん、はぐれさん、フモトトさんにドリメアさんに、決定的だったのがケプリカさん。後一応スピックも、かな?」
 そして確認するようにキスティへ視線を転じる。
「あ、あと、クスフィスに会う前にリサリンにも聞きました」
 それを聞いた賢者は笹茶を啜り、煙管を吹かして言った。
「アドライアは抜いて、クスフィスも含めて十四人か。上々だ」
「うん? 上々とは?」
 名前を出されたクスフィスは思わず問うた。キスティも、更に言えばザントレムも、同じことを思ったらしい。興味深げな視線が三つ、レキカの小さい顔に集まる。
「この亡骸の涙はな」
 そうして宝紬の賢者は言葉を選びながら話し出した。
「キスティよ。貴様の母御からのものだ」
 それはキスティも、クスフィスも想像していたことであったが、改めて言われるとドキッとすることであった。
「お母さんから……」
 キスティは、幼い頃に不可解な形で死亡した母親を思い返した。このチェルノボグの大地での『死者』というのは基本的に自殺者である。やりたいことをやりきって生者の世界に未練がなくなったものから進んで墓場に行く。しかし、キスティの母はそうではなかった。彼女は危険性の故に禁制の地とされている火山遺跡に何かを探す為に入り、一週間も帰らないまま、酋長フィトリアが募った探索隊によって惨死した状態で発見されたのである。チェルノボグという平和な大地では滅多にない大事件であった。この事件以来、キスティの心はどこか暗澹としたものを抱えてしまうことになった。二十で自警団に入ってからは、もう気持ちの整理はつけたつもりでいたが、それでも見回りの帰り道、洞窟になっている火山遺跡の入り口を見る度に、幼い頃の悲嘆が心のどこかで鎌首をもたげる音が聞こえていた。
「アドライアは貴様にこれの正体を告げなんだ。それはな、キスティ。貴様が自分から、集落に住んどるものと交わって、亡骸の涙の正体に至る、その道程がなければならなかったからだ」
 無惨な母親の死体を思い出したらしいキスティに、賢者はいつになく優しげな声で語りかける。
「今まで貴様は、自分で気づいているかは知らんが、どこか壁を作ったままこの集落で生きて来た。それが墓場にいる母御は心配だったのだろ。少しでも貴様と他のものとの距離が縮まるようにと、そういう道程をアドライアの奴が歩ませてくれるだろうと、そう考えて贈り物をした」
 言われて、キスティはこの贈り物を拾った昼間から今に至るまでの時間を回想した。確かに、普段は必要最低限にしか喋らない自分が、色々な人と、蜜事でもないのに親しく話していた――クスフィスという頼れる友人に多く助けられながら。
「アドライアはそこまで見越して貴様らに謎かけのような真似をしたのだ。結果として、少しは貴様も『他人』に近くなっただろ。母御も、あの世で喜んでおろうな」
 賢者の言葉を聞くにつけて、キスティは段々と泣きたいような気持ちになって来た。母との死別以来抱いていた寂寥感の正体をレキカに言い当てられ、アドライアから大いに気遣われていたことを知り、友人クスフィスの人情に酔い、人々の輪に飛び込むことの容易さを知り、母親が贈ってくれた思いを感じ、そうするうちに、自分という存在がどれだけ周りから愛されたいたか、そして自分がどれだけその愛に真正面から向き合えずにいたか、それを思い知った。だからこそ、泣きたいのだ。
「ふむ……一つ、いいですかね、レキカ様」
 言葉を出せば泣き叫びそうになってしまったキスティをフォローするように、クスフィスが声を出した。
「なんだ」
 あくまで不愛想に、賢者は答えた。
「どうして、この真珠は贈られたものが触れると水を発するんですか? 蕩けてるのかっていう話も聞きましたけど」
 クスフィスの問いと来たら素晴らしいものだ。どこどこまでも自分の好奇心を満たすことに貪欲に過ぎるのだから。
「それはな」
 レキカは煙管から灰を落とし、踏みにじりながら言う。
「死者は生者を見定めている。自分が思う心配を乗り越えられるか否かを判断する為に、ハナから真珠の形は贈らずにいるのだ。心配事がなくなって行くにつれて、死者は歓喜の涙を流す。それが『亡骸の涙』なのだ。そして、涙の終焉は最早死者が生者に何の心配も抱かなくなった証拠として、決して自分が忘られぬように、一粒の真珠を残す……それを身近に置いておく為の加工も宝紬の仕事でな。だからアドライアは私の所に来るように貴様らに指図をしたわけだ。ザントレムもよく覚えておけ。貴様もいずれこの仕事をするのだからな」
『亡骸の涙』――それに籠められた真意を知った時、歳若い三人のものたちは残らず神妙な顔になって、キスティの手の中でぽとぽとと涙を零す『贈り物』をしっかと目に焼き付けていた。
「それからな、キスティよ」
 更に加えて、賢者は言う。
「亡骸の涙がまだ真珠に成り切らぬうち、それは大して長い時間ではないが……その間にであれば、持ち主は贈って来た死者と語らうことが出来る。あの世とこの世の境界を朧にするものだからな。だから、今夜はその石を抱えて、貴様の母と二人、親子水入らずで語らうがよい。後に残った真珠は、この宝紬の賢者レキカがしっかりと、一生涯使えるだけの『宝物』に変えてやろうな」
 そうして、もう言うことはないとばかりに偉大なる賢者レキカは笹茶をつぎ足した。暫しの間、座に沈黙が満ちる。やがて、泣き出しそうになりながら、キスティが「はい」と、小さな、しかし力強い一言を振り絞った。既に黄昏も終焉を過ぎて、満天の星空の元、キスティは母から送られたとても大切な『贈り物』を握りしめたまま、クスフィスに支えられて竹林の賢者の住まいを去った。
 帰り道、クスフィスは何も言わなかった。キスティにはかえってそれが心地よかった。家まで送ってくれたクスフィスに礼を言って、余った苺菓子を半分こして、そして今日のことをマロカやリネオクンたちに伝えようと約して、二人は別れた。
 常であれば酒場で安酒でも呑むキスティであったが、今日は疲労にも関わらず食事をしようという気にもならなかった。ただ、ウロ家の外に置いてある大樽から水を汲んでくると、それをリットルグラスに三杯も飲み干した。そして、寝床で亡骸の涙を握りしめ、心に響く母の声に耳を澄ませた。
 それは、確かに聞こえた。暫し、話をしていた。夢の中に落ち込んで、幼いキスティは母親に思い切り甘えた。母親はとても優しくしてくれて、最後にキスティが前を向いて歩き出せるように、あることを教えてくれた。それは、彼女が生前探し求めていたものが今現在、酋長フィトリアの元にあるということと、この贈り物を証にしてキスティがそれを相続するのだということだった。キスティは『きっと受け取るよ、お母さん』と語り、母親の魂魄は微笑んだ。そして、この大地で親が子を寝かせる時に使う魔法の言葉『Memento_mori』をかけて、キスティに膝枕をしてくれた。これで後はあの世に行くまで母とは会えない。けれど、それでも寂しくなんかはないと、今日の一日はキスティにそう教えてくれたのだ。だから、安心して、母娘最後の一時を甘受することが出来る。そして明日から歩み出す道には、きっと今まで知らなかった楽しみが広がっていることだろう。
 やがて、目が覚めた。枕元を見ると石は既になく、濡れた床の上に、一粒の青い真珠がぽつんと転がっていた。
 チェルノボグは今日も平和である。
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