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「小説」
チェルノボグ

エピソード:奔馬

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水晶砂漠に、風が吹く。


『馬刺しが喰いたい』
食事中に不意にそんなことを思いついた愛すべき変人クスフィスの家はチェルノボグの南東の森の中にある。集落中央の湖の南東の岸には住民のほとんどが住む居住区があるのだが、そこから更に奥まった所に彼女の住処である博物館遺跡は建っている。遺跡は地上四階建てと無数の地下からなるが、他の多くの遺跡同様樹木に埋もれ沈んだそれは二階が一階になっている。この建物の規則正しく並んだ地上の窓は悉く大賢者アドライアが透明樹脂のそれに変えてしまった。文明というものが娯楽以上の意味を持たない地にあって、本屋のマロカが住む図書館遺跡と並んで文明の結晶が安置されているこの遺跡を保護することは、大賢者の務めであったのだ。そんな思惑はどうでもいいと言った体で変わり者の古道具屋は大昔に滅んだ文明の所産を、大昔の通りに――多少の誤解が含まれているにしても――再現して、チェルノボグで一番に文明的な暮らしをしている。
 多くの住民が木のウロか岩屋に住んでいるこの集落の中で、クスフィスは驚くべきことに幾つかの部屋を生活の為に使い分けていた。寝室兼居間、キッチン、貯水部屋兼食物保存庫、コレクションというこの集落一へんてこな趣味の為の部屋が幾つか、それから二階の南窓に造った入口の傍に商売部屋、と実に様々な用途の部屋があるのだ。こんな沢山の部屋を持っている住民は酋長と賢者たちを措いて他にいない。
 遺跡の東端の部屋がクスフィスの寝室兼居間だ。一時期は居間と寝室を分けていたことがあったが、面倒になってやめてしまった。そして寝室には実に驚くべきことに、人間の生活の中で必要な家具の類の一切が、相当な豪奢さを持って並んでいるのである。仮にこの時代に生きる外の世界の人間がこの部屋を見たなら、まず間違いなくクスフィスは貴族だと誤解されるだろう。チェルノボグの住民は普通、床で寝る。布団は一応あるが、クスフィスのように天蓋付きの寝台の上に敷布団とかけ布団と毛布に枕まで完備して、しかも寝巻なんてものを着てナイトキャップをつけてまで睡眠に手間をかけるバカは他にいない。この一点を以ってのみでも、彼女が如何に奇矯な人物かが分かろうと言うものだ。
 そんな彼女は今、丁度射し込んだ朝日に目を覚まし、この集落の誰もが持つ日課として『雨知らせ草』を見に行き、今日も晴れるなと確認すると、怖ろしく文明的な食事の支度を整えて、居間でそれを食べていた。調理器具なんてものを持っている住民は料理屋を除いてほとんどいないが、この変人はその料理屋ですら持っていないお茶の為の道具なんかを掘り起こして、ミントティーを淹れて飲んでいる。それから、大賢者アドライアが焼いたラスクを取り出してソーダジャムを塗って食べて、おかずに炒り卵と鳥燻製という、この集落においてはかなり人間的な食事をしているのだ。
 カリッとジャムを塗ったラスクをかじって、鳥燻製にこの集落の誰も使わないフォークなんてものを伸ばし、呟く。
「馬刺し、なあ……うむうむ、あんまり久しぶりな気がする」
 などと独言しながら、欲望に忠実なこの古道具屋はもうどうやって馬刺しを喰うかの計算を始めていたのである。
 実を言うとチェルノボグの住人は別段クスフィスに限らず、美食というものには目がない。それはこの地で採れるものをそのまま喰うことに飽きた住民たちにとっての最も原始的な娯楽であったのだ。と言っても、我々が料理に必要なものとして思い浮かべるもの、例えば調理器具だとか調味料だとか、そういうものに関してはなかなか手に入らない。そもそも生産しているものがほとんどいない。だからそれらは物々交換で手に入れる必要がある。幸いにしてクスフィスは道具に関しては家に最初からあったので、特にアドライアが多く造る調味料を適当な見返りで手に入れればよく、素材は足りなければ自分で勝手に採ればよかった。ソーダジャムは物々交換の結果として、卵は自分で採取した結果として、それぞれ食卓に並んでいる。
 それらの『美食』の素材の中で、大型動物からとれる肉という収穫は滅多に得られるものではなかった。牧畜なんていかにも面倒な文化などこの地に存在しない。肉屋のミガは牛や猪を北西の遺跡の樹林からたまに獲って来ているが、それはミガが人と虎の遺伝子を持つ肉体的に屈強なものだから出来るのであって、クスフィスみたいに猫か何かの耳を持っている割に肉体にはほとんど獣の遺伝子が残っていないものが狩りをすることなど自殺行為に等しい。罠にかかってくれる天晴れな獣はこの地にいない。と、なると必然的にクスフィスが取れる手段は限られて来るのである。
「ミガさんは……まあ無理だろうなあ。そうなるとカルジャッカさんかな。うん、まあ、山分けにしても余るだろうし、それでいっか。お代は……あれならいいかな」
 などとぶつくさ言いながら手っ取り早く食事を終えた古道具屋は、どうも年中暇を持て余している自警団の団長に目をつけたらしい。カルジャッカほど見事に『獣人』のフォルムと能力を持っているものはこの集落に他になく、肉食の彼女はよく居住区から外れた樹林や遺跡に行って、そこに自生している獣を(他の住民に比べれば)かなり多く獲って来る。気のいい人物で、自分を頼ってくれるものには必ず頷くこの好人物ほど、この仕事に適任なものはちょっといないように思われた。
 そして食器という実にめんどくさいものの、貯水を桶に分けてその中に浸すという、酷くめんどくさい後片付けを済ませた古道具屋は、早速狩りに行く為の準備を整え出した。
 チェルノボグには文明の痕跡として遺跡が散在しているが、その多くは樹木に埋もれて獣が支配する場所と化している。クスフィスの博物館遺跡のような所は稀なのである。そして、これは人間から見ればかなり不可思議なことに、遺跡の中の気候や環境は、それが相当に近い、およそ変化などなさそうなくらい近隣に存在するにも関わらず、遺跡によって全然違って来るのである。当然ながら、環境が違えば住む種も変わる。今、クスフィスが馬刺しを求めて行こうと思っているそれは『六花遺跡』と呼ばれる、集落の北に存在する、年中寒い、雪と様々な成分を含有した氷に覆われた遺跡である。お目当ての白身馬はこの遺跡にしか生息しない。
 変わり者はもうカルジャッカとの交渉は確実に上手く行くと決め込んでいるらしく、物置きの中から六花遺跡に行く為に必要なものを取り出し始めていた。雪の遺跡を普通に歩けるほど人間から遠くない彼女は滑り止めのついた厚手の靴を選び出した。次に防寒コート。遺跡の地図に方位磁針に鳥笛。次にリュックサックと大きな薬草保存袋。袋を取るついでに物置兼酒蔵に入り、少し考えてから黒檀人参を漬けておいた壺を取り上げ、蓋を厳重に閉めるとそれも荷物に放り込んだ。その上で随分前にこの遺跡から発掘して以来とても気に入って愛用している素敵な水色の、軽くて頑丈な杖代わりのピッケルと、同様に見つけて森林を探索するのにいい具合に使いなれている大きなククリナイフとを護身用も兼ねて腰に差す。これだけのものを持っていようが、クスフィスの場合馬を前に直接的に何を出来るわけでもないので、ついでだから六花遺跡で採れる氷の霊薬草を採取して、薬屋のリネオクンに売りつけて小遣い稼ぎをしようと目論んでいた。ついでのついでとして、凍石という氷点下の温度を持っている不可思議な鉱物を宝紬の賢者レキカの家に持っていけば、暫くの間は酒とそのつまみには不自由すまいとすら考えていたのだから、まったくこの愛すべきバカの貪欲とものぐさは天晴れである。
 けちな古道具屋は最後に弁当として鳥燻製の残りと拳骨茱萸、それから少し大きめの竹水筒に水を入れてリュックに詰めると、いざや行かん六花遺跡とばかりに二階の窓から駆け出した。店なんぞ知るかと言った体で、鍵をかけるなんて卑怯なことはせず、また扉を閉めるなんてまだるっこしい失敗も犯さず、口笛を吹きながら意気揚々と出て行った。
 博物館遺跡から真っ直ぐ湖を目指して北に行くと、居住区がある。そしてその中の藤棚を天井にした場所に、自警団の詰所と言う名の暇つぶし場所がある。愛すべき変人は迷うことなくそこに辿り着いた。訪ねたカルジャッカは奥の岩屋から鉄の警策を持って出て来る所だった。
「クスフィスか。何の用だ?」
 と、警策を肩に担いで言う彼女は別段クスフィスをそれで殴ろうとしているわけではなく、単に素振りの為にたまたま持って来ていたというだけである。
「やあやあ、カルジャッカさん。ちょいと仕事をお頼みしたくてですね」
 クスフィスもそれは分かっているので、片手を上げながら軽快に商談を始める。
「またガラクタ整理か」
「いえいえ、今回は『狩り』ですよ」
「狩り? ああ、それでそんな大荷物を持っているわけか」
 この集落の中にあっては非常に、とんでもなく、素晴らしい程に稀な、如何にも武芸達者のカルジャッカに相応しい仕事をぼったくりで有名な古道具屋が持ち込んで来たとして、断る理由などこの鍛え抜かれた美しい肉体をいつも持てあましている自警団長にあるわけがなく、「少し待っていろ。私も準備する」と言って岩屋に戻って行くのも実に必然の理であった。
「どこに行くんだ? 北の方か?」
 ものをがさごそする音と一緒にカルジャッカが問う。
「ええ、六花遺跡まで馬を獲りに行って、久しぶりに馬刺しでも食べようかと」
 眠そうな顔でクスフィスは答える。
「馬か! いいな! 報酬はどうする?」
 防寒着も靴も要らない自然界に近い遺伝子を持つ犬頭の団長は、銛と麻袋と馬を引きずって持って来る為のもっこ橇を準備に持ち出して、報酬の話も一緒に持ち出した。
「ええ、今回は奮発してですね、ほら、カルジャッカさんが前から欲しがってた黒檀枠の姿見を差し上げようかと」
 眠そうな顔の割に明瞭な声で言うクスフィスにカルジャッカは暫し顎に手を当てて思案した。今もそうだが、貴重な稼ぎを宝紬のレキカが造る宝物とクジャの造る酒とに注ぎ込む彼女が自分の美容を保つ為に大きな鏡を欲していることは、クスフィスも随分前から知っていた。それを今の今まで温存していたのは、一重にカルジャッカという人物が姿見というこの集落の中では相当に不可思議なものを得るのに相応しい対価をいつも差し出せないでいたからである。クスフィスほど商魂逞しいものもそういない。
「あれはくれんのか」
 少し不満げな葛藤に基づいてカルジャッカは問う。あれとは三面鏡のことである。幾らかの引き出しを備えた化粧道具をこの男性的な美女が欲しがることはクスフィスにしてもさもありなんと思う所であった。が、この古道具屋はけちである。一度に家具二つを取引するなどあり得ないことはカルジャッカも薄々感じてはいる。
「いやあ、ほら、カルジャッカさんにかかれば馬一頭なんて大したもんじゃないでしょう。それに肉もボクの分は少なくて済むから、七割はそちらのものですよ。それに姿身一つに、もう一つ三面鏡までっていうのは、流石にこっちが損ですよ。あれはラクネアさんやリサリンさんも欲しがってますし……」
 そう言われて哀れにも黒犬頭の団長閣下は「そうか……」としょんぼり項垂れた。それを見てもクスフィスの頭の中には『この取引で一切の損をしてなるものか』という一念しかなかったのだから、まったくもって大したものだ。
「あ、あの!」
 と、商談がまとまりかけた時、二人の横合いから声をかけるものがあった。
「やあ、ガザニカじゃないか」
「おお、ガザニカ。おはよう!」
 眠たそうな古道具屋と朗らかな団長が同時に声をかける。自警団員のガザニカは両肘から完全に蟹そのものになっている手の先を口元に当てて、何事かを言うか言うまいかを考えているらしかった。
「私はこれからクスフィスと一緒に狩りに行く。留守番は頼めるな?」
 と、鈍感な黒犬団長は暢気に告げる。上司にそう言われてはガザニカは無念そうに「はい……」と答えるしかない。そこにどういう感情の機微が働いているのかは、クスフィスから見れば非常に自明のことであったので、助け船を出してやる。
「なんならガザニカも来るかい?」
 変わり者の言葉にガザニカは確かに喜色を表した。しかし一方で尊敬し恋う団長の命令もあるという葛藤が彼女の言葉を「それは、その、……うにゅう……」と澱ませた。
「一応留守番はおいておかなければいかんからなあ」
 朴念仁の黒犬は実に暢気そうに言うので、見かねたクスフィスはいつもガラクタを押し売りする時のような弁舌を舌に唾して準備せねばならなかった。
「まあまあ、そう固いことを言わずに。別段予定もないんでしょう? 誰もいなくてもそれはそれで困りませんって。ガザニカもガザニカで今日は見回り当番はないんだろう? ないなら何も問題ないじゃないか。それにほら、カルジャッカさんは慣れてるけど、ガザニカも入団して結構経つわけだから、もうそろそろ団長として狩りの仕方だとか遺跡の歩き方だとかは教えておいた方がいいと思うわけですよ。ほら、まだでしょう? ガザニカにそういうのを教えておけばもう少し自警団の仕事だって色々請け負えますし……」
 などというこの集落の住民はみんな聞き飽きてしまった長口上というものに、単純なカルジャッカはいつも丸め込まれてしまう。確かにガザニカにもそろそろ砂漠の見回り以外の仕事を覚えさせた方がいいだろうなあ、と、そんな気持ちが湧いて来てしまうのだ。なおも長口上を揮っているクスフィスはどうやらガザニカの同行を認めなければ日が暮れるまで口から言葉を吐き出し続けるだろうから、もう諦めのついた団長は決断した。
「そこまで言うんならそうしよう。確かに、まだガザニカはそれほど遺跡を知らんしな。六花遺跡なら、少し遠いが、手頃と言えば手頃だろう」
 この言葉にガザニカが喜びのあまり頭から飛び出ている蟹の目をクスフィスに向けて謝意を表したのは言うまでもない。クスフィスもそっとウインクで答えてやった。
「それでは行くか! ガザニカの場合余計な持ちものはいらんだろうな。あれと昼飯でも買って行けば充分だろう」
 と、もっこ橇をガザニカに手渡してカルジャッカは再び詰所に入って、すぐに出て来た。手にはガザニカの分の麻袋と一つの壺を持っている。この壺は定期的に賢者たちから肉体労働ばかりの自警団に支給される食糧のうちの一つである。手持ちのものが少ない彼女らは、その支給品さえも物々交換に消費せねばロクな食事にありつけないのである。
「これは……檸檬の花蜜漬けかな?」
「ああ、ミガの奴はこれが好きだからな。お前の分は知らん」
「ぬかりなく持って来ていますよ」
「何貰おうかな……」
「私はモグラの照り焼きにする」
 などと言いながら愉快な連中は少し離れた所にあるミガの肉屋を訪ねた。店主は丁度、今日の分の『圧縮氷』と『火種石』とを湖と酋長の城から貰って来た所であった。
「なんだ? 珍しい組み合わせだな」
「ああ、こいつが馬狩りに行こうと言うんだ。いい機会だからガザニカにも遺跡の歩き方を教えておこうと思ってな」
「馬か! いいな!」
「いいだろう? まあ少しは分けてやるが……取り敢えず昼飯をくれ。お代はこれだ」
 ウマの合う二人はそんなことを話しながら昼飯のやり取りをしていた。檸檬の花蜜漬けはカルジャッカの言う通りミガの凄まじく大量にある大好物のうちの一つであり、馬肉を分けて貰えそうな塩梅に機嫌をよくした肉屋はカルジャッカとガザニカにそれぞれ一食分より少し多いくらいの肉をくれた。カルジャッカはモグラの照り焼きを、ガザニカはカエルの塩焼きを、それぞれ四串ずつ貰えたのである。そして、この八串のいずれもが人間の頭部ほどもある大きな肉塊であったのだから大したものだ。
「よし。それでは行くぞ!」
 と、荷物を整えた団長が指し示した方角は近道の東の道ではなく、湖をぐるっと回らなければならない西の道であった。
「あれ、こっちから行くんですか?」
 オアシスの外は見回りで詳しい割に、中をそんなに知らないガザニカは無邪気に訊く。
「ああ。東から遺跡に行くとラブラ様に見つかるからな」
「そうそう。ラブラ様に見つかろうもんなら君、間違いなく通行料に馬一頭余計に獲って来る羽目になるよ」
「は、はあ……なるほ……ど?」
 集落の北東にある墓地の管理を任されている死の賢者ラブラほど(総ての意味において)貪欲なものはこの地におるまい。クスフィスですら余程手の込んだ取引でなければ関わり合いになりたくないような賢者なのだ、ラブラは。馬肉なんて珍しいものを獲りに行くとバレればまず間違いなく、クスフィスの言う通り一頭余計に獲って彼女に捧げる羽目になるだろう。
 そういうわけで、三人はまるで夜逃げでもするかのようなそそくささで湖をぐるりと半周して、更に念を入れて北の方角に直接は行かず、倉庫のある丘を西側からぐるりと回り、通常の入り口とは異なった入口から六花遺跡に到達したのである。
「ひょー、相変わらず寒いとこだね」
 言いながらこの一行の中で唯一自前の防寒手段を持たず、寒いのも苦手なクスフィスはリュックを下ろして中から遺跡探索にいるものを一通り取り出した。真っ先に寒さをしのぐコートを着て、地図を取り出し、方位磁針に狂いがないことを大雑把に確かめ、そして採取用の袋とククリナイフとピッケルとを装備して現在地を確認する。遺跡の浅い所であればほとんど道を知っているカルジャッカは「物好きめ」と言いながらぬるい目を送っている。
 一方でガザニカがこの普段入ることのない未知の世界を前にして思うことは、つくづく自分の世間知らずな未熟さばかりであった。北海の生物の遺伝子を持ちながら、彼女は一度もこの北国を再現したような遺跡に入り込んだことがない。色々なものが遺跡でとれるとはよく聞くが、保守主義な彼女は自分からそんな所に入り込もうと思ったことなどないのである。だから、この小さな冒険は幼いガザニカにとってはなかなかの衝撃を持って立ち現れた。普段から六花遺跡を含めたチェルノボグの外縁を見回りという名前だけの仕事の為に歩き回ってはいるが、実際に中に入ってみると、まるで極光の季節にそうであるかのような謎のような光景が眼前に広がるばかりで、その視線はどれだけ泳がせても飽くことがなかった。
 どこか郷愁に似た視線を巡らせたガザニカの視線の先、丁度大樹に覆われた石造建築の幾何学的な並びが乱れて崩れている一角、そこにはオアシスの樹林にも生息している森林蟹が二、三匹ほど群れて何かを貪っていた。
「うっひょひょひょひょ!」
 奇声を上げながらクスフィスがピッケルとククリを振り回しながらその一角に突入した。そうして小柄なクスフィスの胴体ほどもあろうかと思われる蟹を一匹ずつてこの原理でひっくり返してはそのふんどしの部分にククリの刃を打ち込んで、残さず半殺しにしてしまった。この知識ばっかり豊かな古道具屋にかかればどの生物が何を餌にしているかを一瞬で判別し、そこで採取出来るものを片端からピッケルで掘り起こしては保存袋にぶち込んで行くことなど造作もないのである。カルジャッカは呆れ顔でクスフィスが放りだした森林蟹に止めを刺しては馬狩りのついでとばかりに袋に詰めて行った。
「ガザニカもほれ、獲れ獲れ。小遣いくらいにはなるぞ」
 と、朗らかな団長は愛らしい蟹の遺伝子を持つ部下に呼びかける。同じ遺伝子を持っていようと弱肉強食がチェルノボグのルールである。夢中になって精力薬になる銀杭草だの、内臓薬になる氷晶枝だの、食用に重宝される水仙人掌だの、とにかくあるだけのものを袋に入れている可愛い古道具屋の頭上から報復せんと下りて来た蟹を自分の鋏で捕えて絞め殺してしまうと、自分の分の袋に丁寧にしまった。カルジャッカは銛を振り回してクスフィスの上にこれ以上の蟹がいないと分かると、そこにしゃがんで穴掘りに精を出している友人をほっぽって、ガザニカに手招きした。
「いいか、ガザニカ。獣を狩るにはな……」
 と、言いながらカルジャッカの黒い体毛に覆われた腕がガザニカの甲羅に覆われた腕を掴んだ時には、この幼い恋する少女はあぶくを吹いて絶頂する所であった。もっとも、その時のビクンとした動きは想い人には純然たる驚きとしか受け止めて貰えなかったが。
「二匹、親子だな。見ろこの足跡を」
 そう言って示された道には確かに何かの足跡はある。あるがガザニカにそれを判別する術がない。
「これが、馬の足跡なんですか?」
 よくよく目に焼き付けておこうとじっくり観察しながら無知な少女は問う。
「ああ。普通に住んでたら見ないから仕方ないが……後で蹄を見せてやる。獣のとり方ほど我々にとって重要なものはないからな。そして、見ろ。大小があるのは分かるな? 親の馬と仔馬とがいるようだ」
 そう言われると確かにその足跡には大きさの相違がある。
「これは……でも、新しいものですか?」
「いい所に気がついたな。ここでは雪の深さが目安だ。基本的には土なんだが……地面が見えるだろう? まだそれほど遠くには行ってない。あのアホの奇声で逃げていなければな」
 そう言って狩人はまだやってるアホフィスを親指で示す。つられてガザニカもそっちを見る。
「おい、そろそろ行くぞ。馬が逃げる」
 声をかけられて振り向いた愉快な古道具屋と来たら、眠たそうな顔の満面が雪溶けの水と泥とで汚れている。そして、それをコートの袖で拭いながら訊いた。
「大凡どの辺にいるかは分かりますかね?」
「この壁の向こうの広場だな。回れるか?」
「ふむふむふむ……逆から行ってみては?」
 こういう省略の多い会話に若いガザニカは困惑したのである。
「回る? 逆?」
 カルジャッカは直感的な記憶を元に、クスフィスは地図という独自の情報を元に、それぞれがこの遺跡にいる生物がどういう習慣を持って動くかを、また遺跡の構造としてどこをどう通ればその動きに先回り出来るかを知っているのである。……ということをカルジャッカとクスフィスは世間知らずなガザニカに、地図を示しながら教えたのだが、地図というものは見慣れていないとまったく分からないものなので、ガザニカの頭上には無数の疑問符が渦を巻いてしまった。しかしそれに構っていては獲物が遠くに行ってしまうことを共通見解に、自警団長と古道具屋は一緒になって実地訓練的にガザニカを連れて、この甲殻類の下半身を持つ少女がようよう通れるかどうかという抜け道の前まで連れて行った。そしてクスフィスは植物の分布の上から、カルジャッカは動物の習性の上から、それぞれ意見を出し合ってこの遺跡に住んでいる馬の親子をいかに追い詰めるかを決めたのである。
「一応餌を持って来ましたよ」
 そう言ってクスフィスは黒檀人参の入った壺を二人に見せる。
「ああ、分かっとる」
「あれ? 言いましたっけ」
「私の鼻は誤魔化せん」
 黒犬頭の団長閣下の鼻と来たら素晴らしく、クスフィスがずっとリュックに仕舞い込んでいた黒檀人参の臭いをしっかり察知していたらしい。自慢するように濡れた鼻先を指で拭いて見せた。
「ふむふむ、では、これを撒き餌にするということでいいですかね。ボクの方で適当な場所にこれで引き付けますんで」
「ほう、珍しく勇敢じゃあないか。では東の袋小路に引き込め。私とガザニカで後ろから獲る」
「ういうい、合点です」
 そういう塩梅で、二人はさっさとお互いのやるべきことを決定してしまった。この素早いやり取りに慣れていないガザニカは人間の方の目と蟹の方の目を白黒させて更に頭上に疑問符を浮かべていた。それを察したカルジャッカは丁寧に説明してやることにした。
「いいかガザニカ。この壁の向こうに開けた場所がある。標的はそこを動き回っているが、更にあちら……遺跡建築のある部分に、袋小路がある。そこにクスフィスの奴が白身馬が好んで喰う黒檀人参を置いておく。そこに馬が引き付けられたら我々の出番だ。私の銛とお前の鋏とで後ろから襲う」
 そう言って、カルジャッカはクスフィスに目配せをした。
「ボクの方で合図を出すので、それに合わせて襲ってください。ただ、一つ気がかりなのは子連れだということで……カルジャッカさん、大丈夫ですか?」
 壺を抱えてクスフィスが問う。子どもを連れた獣というのは外敵に対して獰猛になってしまう。普通の白身馬一頭くらいであれば、それこそカルジャッカにかかっては素手で絞め殺せるくらい楽な獲物であるのだが、気性が荒くなっている今というのは少々危険性の高い状況であった。
「うむ。しかし、見た所仔馬の方はまだ外敵の駆逐を出来るほどには育っていない。つまり、親馬の方では仔馬を守ろうとするだろうからな、そこを私とガザニカで奇襲すればなんとかなる。お前の方こそ、下手に感づかれて蹴られるなよ」
「大丈夫ですよ。遺跡の獣から逃げるのには慣れてますから……それでは、ご武運を」
 そう言ってクスフィスは自分の持ち場の方へと行ってしまった。それを見届けたカルジャッカはひそやかな動作でガザニカに手招きして、遺跡の石造りの壁と樹木の間にある僅かな間隙を覗かせた。獲物の現状を把握させる為である。
「見えるか?」
 視界はそれほど広くはないのであったが、ガザニカの場合頭から飛び出ている普通の目より視野の広い、視力のいい蟹の目がある。それを壁の隙間からちょろっと差し出せば、確かに赤いたてがみを持った白馬が大小二匹、広場で暢気に草を食んでいるのが見えた。
「見えました……でも、思ったより大きい……です……」
 基本的に哺乳類に属するようなものを狩らないガザニカが、まったく獣というものに対して無知であったわけではない。自警団ではたまに害獣駆除をしたりお祭りの時に獣を獲って来たりはするのだ。ただ、そこにいたガザニカはほとんど見学者であって、獣相手に具体的に何かをした経験といえば、それは既に亡骸になったものを居住区まで運んだという、その程度であった。為に、幼いガザニカは生きている、これから自分たちが狩る獣の大きさ、即ち生命力に慄いたのである。
「なあに、私とお前なら何とかなるさ」
 カルジャッカの言葉はどこか安心させるような響きがあった。成り行きでついて来ることになったガザニカではあったが、しかしカルジャッカは彼女の潜在能力を結構高く買っている。見た目はまだまだ幼いガザニカであるが、その肉体に宿る筋肉と甲殻の密度という点において彼女の右に出るものはいないと、獣性の強い自警団長はしっかり察していたのである。
「安心しろ、無理をしろとは言わん。では、具体的に何をどうするかについてだが……この大きさの白身馬ではこの銛一本で仕留め切れるかどうかは少々怪しい。仔馬ならば楽に殺せるが、それをすれば親馬の方から殺される。だからまず、クスフィスから合図があったら私が先に出てこの銛を親馬の方に投げて動きを止める。仔馬は何も出来んだろうから、ガザニカは私に続いて親馬の前足を捕まえろ。お前の膂力なら問題ない筈だ。タイミングは、私が馬の上に乗って体を反らせる、その時だ。後ろに回るのは避けねばならん。あれの後ろ蹴りは強烈だからな。大体の所はこういう策だが、どうだ?」
 歴戦の獣狩人は実に速やかに、かつ簡便な方法で白身馬を殺す算段を話した。ガザニカに撹乱させて、その間に馬の脳天に銛を打ち込んでやろうと、そういう計算だ。
「仔馬の方は、どうしましょう?」
 ガザニカの言葉に、カルジャッカは少し顎に手を当てて考え出した。目的としては親馬一頭とれれば充分なのだが、一方で仔馬の柔らかい肉の味をしっている団長は、上手く二匹とも獲れる方策はないかと思ったのである。そして、ハッとするように指を鳴らして、ガザニカに問う。
「ガザニカ、お前は確か泡を出せただろう」
「泡? え、はい、出せますけど……」
 蟹の遺伝子を持つガザニカは体の粘膜からあぶくを発することが出来るというのを、カルジャッカはいつか誰かに聞いたことがあった。実際に出した所は見たことがない。それを上手く利用出来ないかと考えたのである。
「いいか、私が親馬に乗る時に何とかして仔馬を転ばせる。それはそれほど難しくない。そしてガザニカ、お前のあぶくでその仔馬を包むんだ。すると向こうは混乱して何も出来ない。あとは親馬をどれだけ速く仕留められるかにかかっているが、この計算なら仔馬も上手くすれば獲れる。やれるか?」
 ガザニカの方では自分の吐くあぶくというものをあんまり好ましく思っていないのであるが、恋い慕う団長からそう言われては彼女に断る余地などなかった。上手く出来るかという不安はあったが、それは恐らく団長が何とかしてくれるだろうという安心感もまた存在したので、頷く。
「上手く出来るか分かりませんけど……頑張ります!」
「うむ、いい意気だ!」
 そして二人は広場に繋がる間隙のそばで息を潜めてクスフィスの合図を待った。視覚に頼らずとも獣の位置を把握できるほど発達しているカルジャッカの嗅覚は、段々と獲物が広場の隅へ移動していることを察知した。更に鼻を研ぎ澄ませば、どうやらクスフィスが壺から黒檀人参を取り出して、臭いを上手いこと広場に伝えたらしいことが分かる。もう少し、もう少し、もう少し……と、思った瞬間、クスフィスが去った方から鳥の甲高い鳴き声が聞こえてきた。変わり者の古道具屋にしてはあまりひねりのない鳥笛が、合図だったのである。
「行くぞ!」
「はい!」
 そう言ってまずはカルジャッカが颯爽と、続いてややもたつきながらガザニカが、それぞれ間隙から飛び出す。出て右側を見れば確かに袋小路に二頭の馬がいる。まだ感づかれてはいない。
 無意味に鍛え上げられた肉体を持つ自警団長は、狩りの手腕に関しては有意味に鍛え上げられていた。縮地法という特殊な移動術で音もなく獲物に近寄り、射程に入った瞬間銛を思い切り投げ飛ばしたのである。ガザニカが最高速度で、しかしこちらはガサゴソと騒がしく後に続く。カルジャッカの足腰と来たら素晴らしく、銛が喉元に刺さって悶えている親馬に飛び乗る土台に、混乱している仔馬を使ったのである。結果、哀れな仔馬は盛大に雪と氷に覆われた地面にすっ転び、立ち上がることも出来ない状態となった。
(泡吐いて前足……泡吐いて前足……泡吐いて前足……)
 心の中で自分のやることを何度も呟きながらガザニカが親子馬に近づく。口に溜め込んだあぶくを思い切り仔馬に吐きかけると、獲物は更に混乱したらしくビクンビクンと跳ね出した。そしてガザニカはそれに蹴られないようにしながら親馬の前足を、カルジャッカの言葉通りに両腕の蟹鋏で挟んだのだが――ここに、二人の誤算があった。
 ガザニカの強靭に過ぎる蟹鋏は、前足を捕えたその瞬間にそれを切断してしまったのである。思い切り体勢を崩した馬と、その上に乗っていたカルジャッカが雪崩のようにガザニカに降り注いだ。予期せぬ事態に幼い自警団員は自分が潰されないように両腕を交差させて親馬を支える。カルジャッカは空中で体勢を立て直し、くるっと回転してガザニカの下半身の甲羅部分に着地した。その衝撃で更にガザニカは動いた。交差した腕に馬の首を挟みながら、後ろに傾いてそれを持ち上げるような形になったのである。丁度ガザニカの頭上に馬の頭部が来る形で、この不測の事態に陥ってなお歴戦の狩人は狼狽えもしなかった。つまり、しっかり握りしめていた銛をガザニカの背中越しに白身馬の頭部にぶち込んたのである。見事に顎から脳幹を貫かれた哀れな獲物は、幾度か蠕動して、息絶えた。
 この成果を何とか呑み込んだガザニカは、気が抜けて蟹の足をへなへなと冷たい地面にへたりこませてしまった。巨大な馬の肉体がどさりと雪の上に落ちる。攻防はほんの数秒の出来事でしかなく、為に先ほどあぶくを吐きかけられた仔馬はまだびくびくと地面から立ち上がろうと蠢いていた。それを見逃す慈悲などカルジャッカにあろう筈もなく、親馬から抜いた銛を仔馬の頭部に思い切り突き刺す。しばらくじたばたした後、仔馬は母親の後を追うことになった。それをも、ガザニカは力なく、何か夢でも見ているような気持ちで眺めていた。
「よし」
 仔馬が完全に絶命したのを確認したカルジャッカは、袋小路の壁にある隙間に向かって「もっこ橇を持って来てくれ」と声をかけた。クスフィスにである。「はいはい」という声が少し離れた所から聞こえて、最早隠す必要のなくなった足音を立てて古道具屋が先ほど荷物を置いていた所まで移動するのが聞こえた。
「あの阿呆、我々が狩ってる間にまーた何かとってやがった」
 カルジャッカが言う通り、二人の自警団員が打ち合わせと戦闘をしている間に、クスフィスは息を潜めながらずっと凍石を採っていたのである。それは、もっこ橇を引きずって来た彼女の麻袋が明らかに石を入れた感じに膨らんでいるという一事をもってのみでも諒解せらるることだった。
「やあやあ、お疲れ様です。ガザニカも、ね」
 自警団員に比べれば遥かにトロい速度でもっこ橇を引きずって来ながら、クスフィスは二人に労いの言葉をかける。一応引き付け役という結構危険な仕事をしたとは言え、結局馬二頭に薬草を数えるのが面倒なほどと、大きめの凍石が幾つか採れた今日の古道具屋はボロ儲けである。
「人が命をかけて戦っている所で暢気に石採りなんぞしよってお前は」
 小憎らしい古道具屋をカルジャッカは頭ぐりぐりの刑に処した。
「いだだだだだだだ! いいじゃないですか! どうせボクがいても何も出来なかったんだし! 丁度そこに手頃な『贈り物』があったんですって!」
 それを見ながら、ガザニカは同情ではなく、『いいなあ』という憧憬を抱いていた。案外、クスフィスは住民との距離が近いのだ。ガザニカはチェルノボグという大地ではまだまだ子どもで、大人たちからは別の方向で可愛がられているので、こういう付き合い方は少し羨ましかったのである。
「しかし、とにかくガザニカよ、ご苦労だったな」
 ひとしきりクスフィスにぐりぐりをし終えると、カルジャッカは改めてガザニカに向き直って言った。
「え、いえ、その……ごめんなさい!」
 しかし、ガザニカの方では失敗したと思ったらしく、思い切り深く頭を下げて来た。
「何がだ?」
 あんまり頭がよろしくない団長閣下は即座に問うた。
「あの、私、団長の言う通りに出来なくて……」
「言う通り?」
「この足のことじゃないですか」
 いまいち頭の回らないカルジャッカをフォローするようにクスフィスは親馬の切断された前足を持ち上げた。そう、ガザニカは言われた通りに足止めが出来なかったことを謝っているのである。
「なんだ、そんなことか。気にせんでいいぞ。結果的には足止めするより大分早くことが済んだからな」
 ようやく分かった団長は朗らかに言う。事実、ガザニカの怪力は計算外ではあったが、結果としては何も問題なく、三人は二頭の白身馬を手に入れることが出来たのである。
「そうそう、ガザニカの鋏、生まれて初めて本来の役に立ったんじゃないかな? それは自警団員としては誇るべきことだと思うよ」
 見てもいなかったくせにクスフィスはずけずけと言う。心優しいガザニカにとってそれは少し複雑なことでもあったのだが、何も考えていないらしい犬頭の団長から褒められたのが嬉しかったので、よしとした。
「さて、ではここで祝勝会を兼ねた昼飯にするか!」
 と、カルジャッカが言い出して、もっこ橇に積んである自分たちの荷物を下ろした。そして切断された馬の前足をガザニカに見せてやったのである。食事の前に。
「見ろ、これが馬の蹄というものだ。殊にこの遺跡は雪で足跡が消されるが……こうすれば、ほれ、さっき見たのと同じ足跡だろう」
 などと言いながらカルジャッカは馬の前足をいじりながらメシをもそもそ喰い出した。ガザニカも熱心にそれを見詰めている。仕事を覚えるというよりは、仕事に関係することを想い人が教えてくれるのが嬉しいのだ。
「やあやあ、しかし思った以上に早くことが済みましたね」
 クスフィスも自分のリュックから昼飯を取り出して、冷たい地面には直接座らず、放ったらかしの馬の死骸の上に腰かけた。
「見つけたのが早かったからな。追走劇もせずに済んだことだし。それはまあ、一応お前の手柄か」
 カルジャッカも地面には座らずもっこ橇の上に腰かけてもぐらの照り焼きを齧る。普段の彼女であれば、狩りをするのに今回クスフィスが用意したような下準備など用いない。純粋に獲物を強靭な足腰で追いかけ、銛なり棍棒なりで突き殺したり殴り殺したりする。故に機転を利かせて仕事をスムーズに終えさせたクスフィスを、珍しいことに、褒めてやったのだ。カルジャッカは不器用なのである。
「でも、今回のって、それを差し置いてもいつもの狩りとはちょっと違いましたよね?」
 北海の怪物の遺伝子を持つガザニカはいかにも冷たそうな雪と氷の地面に躊躇いなく腰を下ろして、蛙の塩焼きをちびちび喰い出した。彼女の言わんとする所はつまり、いつも自警団で見学している狩りと今回の狩りとがあまりにも違ったということである。
「うむ。普段は餌など一々用意せんからな。自警団で獲る時は純粋な体力勝負だ」
 実際そうなのである。自警団にはカルジャッカとガザニカを含めて五人のものが在籍している。そのうちガザニカが見学しか出来ないにしても、残り四人の歴戦の狩人が一時に獣を囲めば、それは実に簡単に獲れてしまうのだ。
「でも、クスフィスさんみたいに餌を用意した方が、その、効率? はいいんじゃないですか?」
 獲物を見事に誘導したクスフィスの手腕にいたく感銘を受けたらしいガザニカは上司に提言する。
「それはそうだ」
 と、言ってもぐらを齧る団長の顔には、少し苦々しい色が浮かんでいるようだった。
「しかし、動物の好物を一々用意して狩りをするほどの蓄えなんぞうちにはない」
 今回クスフィスが用意した黒檀人参なども、本来であれば結構な高級食材なのである。仮にカルジャッカたち自警団員がそれを持っていれば狩りの道具になど使わずに自分らの精力元として喰うようなものだ。自警団は貧しいのである。
「あ、その……ごめんなさい」
 自分の在籍する集団の窮状を知っているガザニカはそれと察して心底申し訳なさそうに言う。誰か外部のものと共同しなければ、今回のような狩り方は出来ない。それが自警団の悲しい所である。
「ふむふむ、しかし、狩りを専門にしたらそれはそれで自警団じゃなくて猟友会になっちゃいますしね。そのくらいが丁度いいんじゃないですか」
 部外者のクスフィスはあんまり関心なさそうにメシをもそもそ喰いながら言う。貧乏なのは彼女もそうなのだが、貯蓄がそこそこある分まだマシなのである。
「ふんっ、どうせ自警の仕事なんぞないわい」
 クスフィスがそんなことを言うので、可哀想な団長閣下は拗ねてしまった。
「まあまあ、ボクのような非力な住民の護衛も一応自警っちゃ自警ですし……それはそうと、この馬、どう分けます?」
 心底どうでもよさそうな口調で慰めの言葉を送った後、クスフィスは自分が腰かけている大きな馬をぽんぽんと叩いて、こちらはとんでもない重大事であるかのように二人に問うた。
「そうだな……三人で分けた上で、ミガの奴にも少しは分けてやらんといかんからなあ。親馬は三・三・三で分けて一割をミガにやって、仔馬の方は……分けるほどでかくもないな」
 今回の狩りの成功はあくまでこの三人がそろっていたからだということをようく知っているカルジャッカは、平等さを遵守することにした。ミガに一割というのは少ないかとも思ったが、三割ずつも分ければ各々の余りが合計で一割半くらいは出る筈だ、というのがこの黒犬の弾き出した計算である。実際、クスフィスは体が小さい所為でそれほど多くのものは食べないし、ガザニカはガザニカで馬の味など分からないので、この計算は合っている。もっとも、カルジャッカの方では滅多に食えない馬肉故、自分の取り分は一切残さず食い尽くしてやろうと思っていたが。
「うむうむ、配分はそれでいいとして……仔馬はそうですねえ……せっかくですから一頭丸ごと鍋にしてもらって、クジャさんの酒場でみんなに振る舞いますか」
「私はそれでいいと思います」
 分けるのには小さい仔馬の処分について、クスフィスの提案はなかなか丁度いいものであった。こういう狩りで得られたものというものはそれを獲ったもので分け合い、調理が必要なら対応する飯屋の店主に少し分けるというのが基本だが、余った分に関しては他のものに分けてやるということもまたこの大地での基本的な作法であった。
「そうだな。うちの団員も柔らかい馬肉なんぞ久しぶりだ、他の三人も呼んで、今晩はそれを囲んで酒でも飲もう」
 カルジャッカの方でもそれは分かっているので、自分の部下に振る舞おうということで納得した。狩りに慣れている自警団員たちでも、基本的に野生動物と取っ組み合いをしてまでそれを獲るということはしないので、この一頭の仔馬は思わぬボーナスとなった。
「所でクスフィス」
 ハッと思い出したようにカルジャッカが口を開く。
「今回の報酬は後で持って来るのだろうが……ガザニカの分はどうする?」
「え……」
「あー……」
 何か貰えるとは思っていなかったガザニカと、完全に忘却していたクスフィスはその一言に固まってしまった。拳骨茱萸を齧りながらふむふむと考え込むクスフィスに、ガザニカは窺うように、
「あの、クスフィスさん、私は特に欲しいものはないので……」
 と、謙遜したのだが、
「いや。仕事の報酬はちゃんと貰わねばならん」
 と、カルジャッカが口を挟んだ。労働に対する対価というものはかなり適当に決められる土地性なのだが、一方で何かを貰えば何かを返すということが厳密な諒解として存在している場所でもあるのだ、チェルノボグは。
「ふむふむふむ……そうだなあ……それじゃあこうしよう。ガザニカ、向こうについたらうちに来てくれないかい? カルジャッカさんに支払う姿見を運んで貰って、その分も含めてうちにあるものを適当に持ってきなよ。特にこれって言うおすすめもないし、何があるかってのもそっちじゃ分からないだろうしね」
 クスフィスの言う通り、古道具屋に何が売ってるかなんて幼いガザニカはほとんど知りもしなかった。ただ、以前に素敵な人形を買ったことがあるので、今回も出来ればそういうのがいいと伝えると、クスフィスはぽりぽりと頬をかいて考え出したが、少しの沈黙の後、拳骨茱萸の残りを呑み込んでしまうと簡潔に「いいよ」と言い、そして付け加えた。
「ボクは今日採った分の薬草をリネオクンに売って、ついでにレキカ様の所に凍石を持って行くからさ、帰りの橇はガザニカとカルジャッカさんにお願いしちゃっていいかなあ。ほら、ラブラ様に見つからないように遠回りで、ね」
 という古道具屋の提案は、湖の東側に住んでいるリネオクンとレキカの所にすぐに自分が行く為、と言うよりは、ガザニカの秘めた思いを気遣ったものである。見ていてもどかしいほどに進展しない恋の後押しをしてやろうと、そういうお節介である。それにすら気づかないカルジャッカは「おう、任せろ」と言い切り、クスフィスをガクッとさせた。一方ガザニカは、
「分かりました。その……ありがとぅ……」
 と、頬を赤らめて年上の友人に礼を言った。想われ人は何のことだか不思議そうにしていたが。
 そんな塩梅を見ながら、クスフィスは嘆息一つ落として「それじゃあボクはお先に。六花遺跡の薬草は足が早いのでね。売り物も出さなきゃいけないし」と言い置いて去って行った。カルジャッカはあくまで無邪気に「おう。また後でな」と見送った。ガザニカもそれに倣って「また後で……」と、か細い声で見送った。
 クスフィスの姿が見えなくなると、二人の間に奇妙な沈黙が降りた。居心地が悪いではない。何か、新しい言葉が生まれるのを待っているような沈黙。二人とも、何故とはなしに言葉を発さず、メシの残りを食べていた。やがてそれが済んでしまうと、カルジャッカが言う。
「行くか。まずはもっこ橇にこれを積まねばな。共同作業だ」
「……はい♪」
 言われるがままにガザニカも立ち上がって、どこかときめく『共同作業』なるものに取りかかった。もう少し、勇気を出したいな、ううん、きっと今から、勇気を出せる……なんて思いながら。
 そしてもっこ橇に二頭の馬を乗せ、一緒にそれを引きずりながら、恋する乙女と朴念仁とは、どうでもいい話を沢山しながら、遠回りの帰り道を進むのだ。とてもとても奔放な言葉は、まるで黄昏の向こう側を目指して野を走る奔馬のようにのびのびとして、充実した一時をくれた。
 チェルノボグは今日も平和である。
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