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「小説」
チェルノボグ

エピソード:トード・エメラルド

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水晶砂漠に、風が吹く。
 その日、目覚めた雑貨屋のケプリカは『雨知らせ草』を見に行くよりも先に、自宅と店舗と作業場を兼ねた他の家より大きく広い木のウロの一角を確認しに行った。そこには商売道具であるザルやら籠やら蓑に隠れて壁に何かが書いてある。書いてあると言ってもチェルノボグの住民は一部を除いて文字の読み書きなんて出来ない。したがって、ケプリカが確認したそれは、四本の横線に串のような縦線が交差している数字確認の為の記号であった。この方法はチェルノボグではよく使われる。今、ケプリカが見ているそれは日数を示すものである。十日分が綺麗に埋まり、四日分が昨日までに書き足されたそれに縦線を加えると、丁度今日で十五日になる。記憶を手繰ってその数字に微塵の勘違いもないと確かめると、ケプリカはようやく入口に植わっている雨知らせ草を見に行った。今日も今日で晴れるらしい。
 この雨知らせ草というものは、原始的な集落の中で天候を知る為のものである。一定以上の湿度を受けると花が枝垂れる。その具合でここの住人は天気を把握するのだ。もう一つ、この草には重要な意味がある。雨知らせ草の花の部分は特定の形をしていない。一種の宿り木のように住民たちの住居である樹のウロや岩屋に寄生して花を咲かせるそれは、植えた場所によってまったく別の花を咲かせるのである。ケプリカの所は蒲公英である。一方で、向かいにある牛乳屋のミノルスの家のそれは金盞花であったりする。共通する特徴は他の一切の植物にあり得ない形状をした葉だけである。これが何を意味するかと言うと、つまり咲いている花がそのまま文字のないこの集落での表札になり、また家紋にもなるということである。この家紋は大賢者アドライアがそれぞれの花と同じ花を自分で生み出して押し花にし、各家庭に余るほど配る。サインなんて出来もしないチェルノボグの住人が何かの証を立てる際にはその押し花が使われる。最もよく使われるのはクジャの酒場である。所謂ボトルキープであるのだが、その目印にする為のものは各家庭の家紋を押した押し花が最も手軽で分かり易いのである。
 こういう意味合いを持つ雨知らせ草を見て、再びさっきのメモ書きを見に行くと、ケプリカの面には自然と微笑みが浮かんで来た。今日は一つ約束があるのである。それも、今までの人生の中でも相当にわくわくする約束が。
 思わずにやけてしまうそれを心に浮かべながら、ケプリカは日常を開始した。まず囲炉裏の灰に埋もれている『火種石』を火箸で取り出す。調子がよければ二日程度使えるこの集落唯一の火力源は完全に熱を失っていた。天上に吊り下げたランタンの中にある『光源石』も光を失いつつあるようだった。そこでケプリカはその二つの文明を象徴する石を火箸で注意深く取り出すと、二つ纏めて『火置き匣』の中にしまい込んだ。酋長フィトリアが配布するこれら『火』を扱う為の石は、使い切ったものと新しいものとを交換することになっている。その火置き匣を一先ず置いて、今度は水の確認だ。
 ケプリカは代々続く老舗の雑貨屋であり、大賢者アドライアを別にすれば最も大きく、広い樹のウロを住処にしている。店屋をするものは店舗として岩屋を持つのが常であるが、ケプリカは大樹の根に埋もれているその岩屋を商売に使わない。宝紬の賢者レキカが作る様々な工芸品、この地で『宝物』と呼ばれるそれを墓守の賢者ラブラの次に多く持っている彼女はその倉庫として岩屋を使っている。生活の一切は樹のウロで間に合った。例えば水を保管する為の大樽は岩屋を住処にしていない限り家の外に置かれるが、ケプリカに限って言えばそれも家の中に置ける。それくらい彼女の家は広いのである。その大樽の中を覗くと、昨日貰って来た『圧縮氷』三つのうち二つは既に消滅して、残り一つも半分くらいの大きさまで溶けていた。氷から溶けた水は樽の四分の一くらいの容積しかない。ということはこれも補給しなければいけないということである。
 そういうわけでケプリカは火置き匣と水を貰う為の桶とを抱え棒にかついで家を出た。彼女を初め、住人の多くが住む居住区はオアシスの中央にある湖の南東の畔にある。水を先に持って来た方が順番としては楽なのであるが、圧縮氷を樽三つ分も持って酋長フィトリアが住む湖の北まで行くのは骨が折れる。圧縮されてソフトボール一個分くらいになる氷は持ち運びには便利だが、重さは大樽一杯分の水と等しく、三つまとめて持ち運ぶと相当な体力を要する。なのでこの集落で力仕事が得意でないものは一日に三個までは無償で配られる圧縮氷を三度に分けて運ぶ。それでも結構な重さだが、チェルノボグの住人は大抵人間よりも屈強なのであまり問題にならない。
 湖に沿ってスタスタと酋長の城を目指していると、後ろから「やあやあ、ケプリカさん」と声をかけられた。振り返ってみると眠たそうな顔をした白髪の古道具屋が丁度ケプリカと同じものを持って歩いて来る所であった。
「最近景気がいいらしいじゃないですか」
 のろい足取りでケプリカに並んだクスフィスは少しの羨みを感じる声でそう言った。
「ふふふ……この間もの凄いものを見つけてのう」
 どことなく不敵な笑みでケプリカは答えた。事実、最近の彼女は大体の食料品店に一度の食事では足りないほど高価な宝物を売って、日賦として対価なしに好きなものを喰っていると評判であった。
「宝物を売り歩いてると聞きましたが……何か新しい宝物でも手に入る算段でもあるん……でしょうね」
 この集落では若いなりに頭のいいクスフィスは興味深そうな視線を送っている。
「うむ。これがあればわっちも百年は安泰じゃろ。何かは教えてやらんが」
 羨みと好奇の視線を受けたケプリカはニヤニヤが止まらない。
「いいなあ……でも、古いとは言っても宝物ですよ? 簡単に売っちゃっていいんですか?」
 万年貧乏なクスフィスは自身もそこそこ宝物を持っているが、高級品の取引に使える程のものはさほど持っていない。それに、上等な食事にありつける程のものに限って自分の持ち物にしたいようなものであることが常である。宝物は高価だが持っているということが一種のステータスでもあるので、手放すのは単にその宝物に飽きたか、別の宝物を欲するか、余程困窮してしまった時くらいである。
「惜しゅうないではないが……古い、趣味の合わんものから少しずつ売って行くんじゃ。古くても欲しがる奴はおるでな。そんなもんとは比べものにならん飛びっきりの宝物が代わりに手に入るからのう。レキカ様はまったく気前のいいお方じゃ」
「それで、贅沢月間にしようと。そういうわけですか」
「まあ、そうじゃな。雑貨売りなど儲からんからな」
「ボクほどでもないでしょうに……」
「贅沢には遠いんじゃよ」
「違いないですね」
 こんな会話を雑貨屋と古道具屋は段々商売の話にシフトさせつつ、湖の北の畔、酋長フィトリアの居城についた。中ではフィトリアが待っていて、この集落で彼女しか生み出せない火種石と光源石とを一日か二日分くらいの量で配布するのだ。丁度先に来ていたらしい牛乳屋のミノルスが出て来る所であった。
「ようケプリカ。今日はどうする?」
「そうじゃな……氷を貰ってから行こうかの」
「いいなあ……」
 などとやり合うのは、ケプリカが持っている宝物の内の何か、余程高級なものを牛乳屋ミノルスにも売りつけた結果である。
宝物というものを直接手に入れる手段は宝紬の賢者レキカに何かしらを貢ぐしかない。大抵の場合チェルノボグでの取引は食糧と何かを物々交換するというものであるのだが、宝物に関しては変則的である。賢者でもあるレキカはあんまり食べ物を食べない。ただ、舌は肥えているので珍味を差し出せば適当なものはくれる。それ以上に高価なものになると素材になる鉱物と引き換えにしなければ手に入らない。レキカの生活は安ものの宝物を売っていれば成立するので、高級品に関しては素材を持って行けば、その何割かと引き換えにそれを加工して渡してくれる。ただ、鉱物資源を進んで探すものはチェルノボグにいないので、この取引はあんまりない。ケプリカがこれにありつけたのも、まったくの偶然であったのだ。
 そういう価値の高い宝物を得ると、他に持っていた宝物を他人に売り付ける余裕が出来る。安ものの宝物でもその店で一等高い商品を何日分かは貰える。一方にケプリカが溜め込んでいたような高級品の場合、貰った側が一度に払いきれないほどの価値があるので、大体一月くらいはその取引相手の店から欲しいものを思う様手に入れることが出来た。とは言え、貴重品である宝物を消耗品と交換するのは結構な勇気がいる。今のケプリカにはそれだけの余裕があるのだ。それも賢者レキカのお墨付きで。彼女はこの月を思う様贅沢する期間にしようと決め込んでいた。為に集落にある肉屋・魚屋・牛乳屋・酒場の店主は以前からケプリカに見せびらかされて歯噛みしていた宝物を得ることが出来た。そしてそれぞれ一月分の食糧を各人が提供することになったのである。
「そんなに儲かる場所があるんだったら教えて下さいよ。道具屋のよしみで」
「いやじゃ」
「元も子もない……」
 そういう背景を想像したクスフィスはケプリカが何か、途轍もなく高価な宝物の原料になるものを見つけた場所を知りたがったが、けちな雑貨屋はそれを一蹴した。オアシスの中でとれるものは、それが誰かの家の庭でない限り、共有財産として誰でもとって来ることが出来る。出来るが、欲深いここの住民たちはほとんどの場合他人にそれを教えない。採掘場所なんて宝の山ならなおのこと教えたくない。
 そういうことなので哀れなクスフィスは『仕方がないから自分で探すか……』と考えながら、自分より少しだけ背の低い雑貨屋と並んで、今度は居住区近くの畔にある氷屋を目指していた。昔は湖守が水をそのまま分配していたのだが、今では氷屋のバグラスを通して水を不純物なしの圧縮氷に変えて貰って運ぶのが一般的になっている。道が樹の根で埋まっているこの集落で水をそのまま運ぶと何往復もしないと各世帯にある大樽を満杯に出来なかったし、何より水が零れる。湖守の賢者スクラクの娘である氷精バグラスはそれを解消したことで、一時期文化英雄みたいな扱いを受けていた。
「いつも通りでいいかしら?」
 無愛想な氷屋はつっけんどんな態度でケプリカとクスフィスを迎えた。氷は毎日各世帯に分配されるので会わない日がないくらいの顔見知りであるのだが、バグラスはどうも、最近あちこちに宝物をばら撒いているケプリカの恩恵にあずかれないことを不満に思っているらしい。クスフィスにも同じ視線を浴びせたが、この古道具屋は集落のほとんどの人からそういう扱いを受けているので関係ない。ケプリカとしては、別に氷屋なんて特に欲しいものもなく、税金にも似た一定の貢物を定期的に捧げれば不自由しない分の氷は貰えるこの氷精に、わざわざ宝物を売りつける理由などないのである。利口なバグラスもそれは分かっているのだが、上手い口舌もないので渋々二人に圧縮氷を指定された数の分だけ作って渡してやった。
「相変わらずつんつんしてましたね」
「僻みじゃろ。気にもならん」
「所で……その宝物はいつ届くので?」
「今日の午後には持って来て頂けるらしい。見たければその時間にわっちの家に来りゃよかろ」
「ふむふむ……まあ、それはなかなかの見ものになりそうだけど……せっかくだからボクにも少しいい思いをさせてもらえませんかね」
「と言うと?」
「ほら、前々からケプリカさんが欲しいと言っていた藤の安楽椅子があるじゃないですか。今なら、そうですね、中程の宝物三つと交換しますよ、どうでしょう」
 まったく、この集落一の変わり者と来たら、どんな時でも商売を忘れないのだから大したものである。ほとんどの場合彼女の売るものはガラクタと呼ばれるのであるが、たまには買ってくれるものもある。それにしても中程の宝物三つは随分なぼったくりである。クスフィス自身もこの集落の住民の例にもれず宝物は大好きであったが、ケプリカはそれ以上に宝物に妄執を燃やしている。
「多すぎる。精々一つじゃろ、あんなもん」
「いえいえ、あれはかなり長く使える逸品ですよ。それに、ボクも少し確かめてみましたけどとても座り心地がいい。あれに乗っかって夢虫酒でも呑んだらそのまま座りっぱなしで眠れるくらいの、正に『安楽椅子』です。藁敷きの寝床よりもよっぽどいい。それに頑丈さも、長く眠っていてまったく傷ついていない新品状態ですから、全然、この先百年は使えますから……」
 などと長々しい口上を垂れながらクスフィスはケプリカの家までついて来た。そしてケプリカが荷物を置いて向かいのミノルスの牛乳屋で竹筒一杯分の牛乳と、テニスボールくらいの大きさの団子チーズを買って、家の中に戻ってくるまで、シカトされながら延々と話していたのである。商売にここまで執念を燃やす阿呆はチェルノボグで他にいない。
「そんなら二つでどうじゃ」
 家に入って食事の準備をしながらようやくケプリカが答えると、クスフィスもここらが引き時と悟ったらしく、それを呑むことにした。
「で、何と引き換えにしますか?」
「そうじゃな……まあ、まずは飯でも喰って行け」
「お、ありがとうございます」
 この古道具屋に何をやろうかを考えながら雑貨屋は部屋の中央にある囲炉裏に火種石を置いて、切れることがないように置いてある薪を添えて、玄関先に吊るしていた蛙肉を焼いてクスフィスに分けてくれた。こういう人情もチェルノボグの名物である。持てるものは持たざるものに与える義務があるのだ。
「宝物と言っても、お主も相当に持っておろうに」
 ミノルスの乳房から絞られたばかりの牛乳を呑みながらケプリカは言う。確かにクスフィスはよくレキカと取引をするので、宝物自体は結構持っている。
「いやあ、小粒のものばっかりですよ」
 言う通り、クスフィスが仕事の対価としてレキカから得る宝物は指輪や腕輪みたいな小さなものが多い。この大地において価値の判断基準なんてその取引に関わったものの気分しかないが、レキカが手遊び程度の気分で幾つも作る指輪は余程相手が気に入ってくれない限り大したものにはならない。一方で、置きもののような、一種のアンティークは結構な価値になる。同様に服飾品でもそれが大きく、人によってはごてごてしてるように見えるものの方は価値が高い。クスフィスはそういうのを求めているのだ。主に高級酒にありつく為に。
「ううむ……では金細工の獅子像と、銀細工の狼像。どうじゃ。これ以上はなかなかあらぬが……」
 蛙の丸焼きを齧りながらケプリカは提案した。多くの場合においてレキカという宝紬はその時その時で作りたいものばっかり作って買う側の欲しいものを作らない。ケプリカが提示したのは彼女が貯蓄を貢いで、あまり好みでもないものが出て来た結果のものである。クスフィスの方は割合になんでもかんでも好むので、この取引は成功に相成った。
「では、お代は後払いと言うことで」
「うむ。午後にはおるからの。その時にでも運んで来い。傷つけんようにな」
「それはお任せ下さい。今、家に夢虫酒が結構溜まってるんで、それでモモドメさんにでもお願いしますよ」
「なんじゃ、酒もあるではないか」
「いえ、夢虫酒はちょっとした伝手で幾らでもあるんですが……たまには泡酒でも呑もうかと」
「相変わらずじゃのう……」
「ケプリカさんには負けますよ」
 と、こういう会話をして、クスフィスは思わぬ取引と朝飯に満足し、礼を言って出て行った。ケプリカはそれを見送ると、デザートにとっておいたチーズを平らげた。安楽椅子は思わぬ出費であったが、今日の日に届く賢者レキカの傑作を思えばそれでもなお余裕が出来るほどであるのだ。クスフィスの売る古道具はケプリカが売っている生活用雑貨とは比にならないほど高いものがほとんどだが、それでもよかろうと思えるだけの余裕が今のケプリカには満ち溢れている。
 さて、こういう贅沢をしながらも、ケプリカは堅実に生活を営むことを忘れていたわけではない。囲炉裏の灰をいじって火種石の火を弱めて墨のような状態にすると、この魔法の石は他に飛び火して火事を起こすことがない。大樽の中から柄杓で水を掬って竹水筒に一杯に満たす。そうして、革のベルトを要所要所に取り付けたリュックサックに似た頑丈な麻袋を担ぐ。これに採集用の鉈を持つと、それだけで外出の準備が出来た。
 ケプリカは雑貨屋であるのだが、彼女の場合売り物は自分で作る。その材料と食糧とを午前中の内にとりに行くのだ。これは彼女が二十で親の手伝いを始めてから、実に三百年間も続く気の遠くなるほどに規則正しい習慣であった。チェルノボグの雑貨と言ったら植物由来のものばかりである。主に使われるのは竹製のザルや藁製の籠であったが、今の所それらは在庫があったので、別のものを採ることにした。丁度薬屋のリネオクンが小樽を注文して来たので、居住区から西に暫く行った所にある森を目指す。
 植物学など知るかと言った体で堂々と他の樹木に並んで立っている大きな椰子の樹が、ケプリカがよく行く採集場所の目印であった。周りの木々の枝を使って巧妙に隠した抜け道はケプリカのけちな性根をよく表している。遺跡ならともかくそうでない森など多くの住民は詳しく調べるなんてことはしないので、そこは実質ケプリカだけが知っている私有地であった。
 がさごそと金色のスカラベの両手でその抜け道を開通させて奥に踏み込む。当然抜け道を裏側から木々で隠して誰にも見つからないようにするのも忘れない。そうして、害獣も害虫もいない森の中を目当ての木材を目指して歩き出す。三百年もこの仕事をやっているので、小樽作りに向いている木材を探し出し、その太い枝を鉈で何度も叩いて手に入れてしまうと、これも小樽の材料になる頑丈な蔦を頑張って引っこ抜き出した。木片を組み合わせてそれを頑丈な蔦で止めるというのがこの地の一般的な樽の作り方である。金属と言うものは使われない。鍛冶の技術は宝紬だけが受け継ぐが、当代のレキカはほとんどそれをしない。自然というものがあらゆる意味で強い土地であるので、住民には採集用と自衛用の鉄製の道具を配布するが、それと宝物造りにいる分以外で鉄を打つということはまったくと言っていい程ない。例えば料理に使う鍋なんかをレキカは全然作らないのだ。だから外界にある鉄製品、ないし鉄を使う道具というのは総て樹木資源で代用される。案外に丈夫だが、寿命そのものはそんなにないそれの製造に関してケプリカはかなり評判がいい。手先の器用さでは宝紬などには程遠いが、例えば籠をケプリカが造るとかなりの間それを使える。これは彼女の家に代々伝わる技術に加えて、ケプリカ個人の才能でもある。
 そういう具合で小樽作りに必要な道具と、ついでに藁細工に必要な草も採り集めた。藁と言ってもこの地に米や小麦を作る習慣はないので大体は『年中枯薄』である。それらのもので大きな麻袋の半分ほどが埋まると、今度は食糧だ。チェルノボグの食生活の基本は自給自足である。飯屋はあるが、当然お代をとるので節約するには自分で採集した食物で間に合わせるのが一番である。ケプリカも普段から今までそうしている。今は宝物をばら撒いたお陰で思う様好きなものが喰えるが、それがいつまでも続くものでないことは当然分かっているので、なるたけ普段の生活習慣を崩さないように彼女はそこに自生している植物を集め出した。ケプリカが発見したこの結構な年月の間他の住民に気づかれずにいたらしい森は殊にアロエが多く生えている。加えてチェルノボグという集落のどこを見ても視界に映らないということはないほどに生えている茸も沢山ある。それらを刈って、それなりの量になると、手近な所にあった大きな葉っぱをとって種類ごとに俵にしてまとめ、麻袋に放り込む。これを集落の北にある共同倉庫に保存しておけば雨の日なんかに役立つのである。
 必要最低限のこれだけの作業をこなしたケプリカは、麻袋に寄りかかって暫く休憩していた。大樽に氷を入れておいたお陰でとても冷たくて美味しい水を竹筒から飲み、生えていたアロエをおやつにしてガジガジ齧った。この集落の住人は毒が入っていない植物は基本的に丸齧りする。植物を一定以上の水準で加工する技術は大賢者アドライアしか持っていない。加えて言えば、毒があろうと純粋種の人間より遥かに頑丈な彼女たちの内臓が壊れることは滅多にない。毒があると不味いから喰わないという程度だ。
 少し先にある、二週間ほど前に自分で掘った穴を遠目に見ながら物思いに耽っていると、アロエの匂いに釣られたのだろう、一匹の森鼠が這い寄って来た。そして、ケプリカになんかは全然無警戒に麻袋の匂いを嗅いでいる。チェルノボグの他の獣もそうであるように、森鼠も通常の鼠よりは遥かに大きい。柴犬くらいの大きさはある。
「おお、よしよし」
誰も入り込まない森の一画に住んでいる獣らしく、ケプリカが手を出して撫でさすってもまるで逃げ出す気配がない。寧ろ嬉しそうにそれを受け止めていた。それを膝の上に抱っこみたいに乗っけたケプリカは、鉈を大きく構えた。
「すまんの」
 と、一言言い置いてその頭蓋骨に鉈を叩き込んで殺してしまった。この地における動物は一切が食糧である。哀れな森鼠の亡骸を他の食糧と同じように大葉俵にまとめて麻袋にしまうと、ケプリカはすくっと立ちあがって入口に向かった。屍肉の匂いを嗅ぎつけた獣が来るより先に立ち去らねばならない。この森鼠一匹は思わぬ収穫であった。住民たちが普段踏み入らない遺跡に住む動物は気性が荒く、専門家でないと捕まえづらい。住民たちが歩くような森にも獣はいるが、数はそれほどいないし大抵は逃げるものだ。こういう、遺跡でもなく、居住区画とも少し外れた所だとあまり人間を知らない獣が稀に獲れるのである。絶対数が少ないので会えるかどうかも運次第だが。
 こうして採集の成果を麻袋一杯に詰め込んだ雑貨屋はさっさと森を立ち去った。そして何事もなく帰宅すると、早速戦利品を吟味し出した。これから使う木材はそのまま置き、食糧の内アロエと茸は共同倉庫に持って行くことにした。森鼠はちょっと迷ったが、夜に酒場に行ってクジャに料理して貰おうと思い付いて食糧保存用の葛篭の中にしまい込んだ。そうやって少し休憩をして、暫くしてから外に出て、日が高く昇っているのを確認すると、アロエと茸を詰めた麻袋を持って北の共同倉庫を目指して歩き出した。その途中、魚屋のフモトトを訪ねる。
「フモトトや、香草魚は入っているかい」
「おうケプリカ。今日はなかなか大漁だったよ」
 恐らくアドライアから買ったのであろう大好物の蜂蜜を舐めながら、この集落唯一の漁師である半熊のフモトトは愛想よく答えた。
「それでは、そうじゃの、塩焼きを一本に照り焼きを一本、それから香草焼きを一包み。これから倉庫に行くでな、その間に作っておいとくれ」
「あいよ。毎度あり!」
 そう言うとフモトトは右手にたんまりこびりついていた蜂蜜を器用に舌で舐め切ってしまうと、早速作業に入り出した。見届けたケプリカも北を目指して歩き出す。
 料理用品がほとんど普及していないにも関わらず、チェルノボグの住民は美食学を嗜む。素材になるような植物も動物もこの豊饒なオアシスでとろうと思えば何程でもとれるので、単純な料理しか出来ないなりに様々な味覚にありつくことは出来た。香草魚は湖で獲れる魚で、鮎のような見た目に名前の通り香草のいい香りが染みついているものだ。これは焼き方で微妙に香りが変わり、塩と合わせると少し辛目な、スパイシーな味になり、照り焼きにするとたれの味と相まって濃ゆい香りに変じる。香草焼きはハーブと合わせることで非常に多くの香りが楽しめる。あるものは十の香りがすると言い、あるものは十六の香りがすると言う。なかなかに不可思議な料理だ。これらの三つはケプリカの好物であり、他の住民も多くこれを好む。幸いにケプリカは瑪瑙製の羆像といういかにもここの魚屋の店主に相応しい宝物を与えたので、暫くの間は好きなだけこれを喰えるのだ。これは他の食料品店でも変わりない。
 鼻歌混じりに共同倉庫につくと、倉庫番の地精ネムコはいつも通りぼんやり地べたに座っていた。一応食事中らしく、周りにはその辺に生えていたであろう茸が並んでいる。手にも一つ持っているが、常識を逸脱するレベルでトロいネムコはそれを口に運ぶことなくぼけっと空を眺めている。
「お主も相変わらずじゃのう」
 呆れた様子でケプリカが声をかけると、ネムコは怖ろしくゆっくりと首を回して視線を彼女に転じる。特に何かを言うでもない。この倉庫番は年がら年中こんな塩梅である。
「この時間はあまり人が来んだろうな」
 半ば独り言のように呟くと、一応聞いてはいるネムコは顔を下方向に動かした。彼女が頷く動作は頷いているようには見えない。このマイペース過ぎる倉庫番を、ケプリカは何故ともなしに好いている。
「お主には教えてやろうかのう」
 そう言って、荷物を置いてネムコの前に座ったケプリカはゆっくり話し出す。ネムコは何も考えてなさそうな表情でぢっとケプリカを見ている。事実、何も考えてない。
「実にな、吃驚するような偶然じゃった」
 無口な倉庫番であれば語っても問題ないと思ったらしい。ケプリカは二週間くらい前にあった一つの小さな事件を教えてやることにした。それは大凡、こんな話であった。
 ある日ケプリカはさっきまでいた森に、いつものように入り込んだ。そうして色々のものを採集していると、何かにつまずいて転んだのである。何かと思ってみると、どうも何かの鉱物らしい。岩に包まれたそれを地面から引っこ抜いて太陽の光に透かして見ると、エメラルドの原石であった。この集落である程度の年月暮らしていると鉱物学の知識が身につく。これはもしやと思ったケプリカは麻袋と鉈を放り出し、スカラベの遺伝子を持つ硬質な両手でその場を掘り出したのである。頑丈な両手は実に十六メートルもの穴を掘るに至った。その間にもちらほらとエメラルドが出て来たが、それで満足するケプリカではない。もっと大きなものはないかと更に穴を深めた。すると、確かにあったのである。
「わっちももう三百年生きとるが、あれだけ大きな『死者の贈り物』を見たのは初めてじゃよ」
 感慨深そうにケプリカは遠くを見詰めながら言う。鉱脈なんてものはとっくの昔に枯渇している。しかし、チェルノボグでは鉱物がとれる。それはまったく無秩序にあちらこちらに埋まっていて、故に採掘というものは利益になる割に仕事にしづらく、個人でやる程度の規模しかない。そして、そういう無秩序に分布する鉱物はこの集落においては『死者の贈り物』とも呼ばれる。埋葬された死者たちが、生けるものへ地面の中にプレゼントを置いてくれたと、そのように考えられている。それほどにこの地の鉱物資源は気まぐれに存在している。
「あれは見事な緑玉じゃった。いや、玉なんぞとも言えんくらいにでかかった。そのまま飾っても随分剛毅な飾りになろうな」
 ケプリカの見つけた『贈り物』は、実に八十センチメートル四方もあろうかと言う巨大なエメラルドであった。鉱物に関してケプリカは結構な知識を持っているが、そのあまりの大きさに圧倒されて、それがどの程度の価値になるかなど考える余裕もなかった。そんな大きさの宝石というものは大昔、水晶砂漠が出来る以前に純粋種の人間が支配していた時代には存在しなかったものだ。不可思議な巨大緑玉がどういう原理で生成されたのかは分からない。正しく『死者の贈り物』なのである。
 そうして、巨大エメラルドを見つけたケプリカはそれまで集めていた木材だの食物だのの一切を放り出して、一番大きな宝石に傷がつかないように大葉でくるみ、更に散らばっている小さな緑玉もまとめて麻袋に詰め込むと、そのまま一目散に東の竹林に住まう賢者レキカの家を目指したのである。この発見の取り分を一切他人に分け与えまいとしたケプリカは近道である居住区を通り抜けることをせず、南側に遠回りをして竹林の賢者を訪ねた。見習いのザントレムが応対したが、ひたすらに『とんでもないものを見つけた』の一点張りでレキカに代わって貰い、岩屋の奥の工房で麻袋の中身を開陳した。その巨大なエメラルドは宝紬の賢者レキカをしてなお驚愕に値するものであったのは言うまでもない。正にとんでもない大発見に、レキカは自分の目を疑って目をこすっては緑玉を観察し、自分の目を信じ切れずに目をこすり、というのを七度も繰り返した。そうしてようよう仔細に観察する余裕が出来ると、賢者は心臓が飛び出るほど驚愕した。土で汚れてはいるが、この巨大緑玉は間違いなく第一級のそれであったのだ。
「それでな、レキカ様はあの緑玉で彫刻をすると言ったんじゃ。どういう謂われかは知らんが、緑玉の蟇蛙を作ると言っておった。まあ何を作るか分からんのはあのお方の常じゃ。わっちはそれを直接貰えるかを聞いたんじゃよ。するとレキカ様は他のちんまりした緑玉全部と引き換えにするならくれてやる、と言ったんじゃ。一も二もなく頷いたわな。今日の午後には届く予定じゃが、何せあれだけ大きな緑玉をレキカ様が十五日もかけて彫るんじゃ。これは我が家の家宝にせんといかん」
 これだけのことを話し終えると、ケプリカは満足そうに目を閉じた。誰かに聞いて貰いたい自慢話であったのだ。一方で、そんなものを見つけたのを知られれば、採集場所に人が群がることも予想したので、黙っていた。隠し事などせずに堂々としたいという徳と、緑玉の採掘場所を独占したいという欲とがせめぎ合っていたのだ。そして、この無口な倉庫番であれば打ち明けても安心だ、という気持ちがあったのである。
 そうして目を開けてネムコを見たケプリカは吃驚した。普段ぼんやりしていて、視点もロクに定まってないネムコの目が爛々と輝いてケプリカを見ていたのである。
「私も、見たい」
 寡黙な彼女は言葉少なに言う。
「見る分には構いやせんよ。後からわっちの家に来りゃいい」
 ケプリカの方でも、断る理由もないので了承してやる。ネムコが何を考えているのかをこの集落の住民はほとんど見破れないのだが、いい奴であることには間違いないので、特に心配することはなかった。
 こうして、約束を交わした二人は別れた。
 居住区に帰って来ると、倉庫で結構時間をとった為にとっくに注文した料理は出来ていた。
「遅かったじゃないか。何かあったの?」
 能天気な魚屋は暢気に問う。
「いや、たまにはネムコの奴と四方山話でもしようと思ったんじゃが……ま、ほとんどわっち一人で喋っとったな」
 答えながら、ケプリカの心中には何か決まりの悪いものがあった。極々限られた相手にしか本当のことを打ち明けなかった所為だろうか。誤魔化すようにフモトトが渡した葉っぱ包みを受け取ると、そそくさと自宅に戻ってしまった。香草魚の焼き物は少し冷めていた。
 そういう形而上学的思考は病の種にしかならないことを熟知しているケプリカは、香草魚を喰いながら今晩は何を呑もうかと考えていた。この十四日間ほど、日替わりで好き好きな酒を呑んで来た。殊に今日は大緑玉蟇蛙が届くのだ。祝いの意味でいつもより高い酒にしようと思っている。クジャという九尾の狐が経営している酒場のメニューと来たらとんでもなく多く、本人曰く『基本の酒だけで二百五十二種類、混合酒の組み合わせは無限大』と言うのだから凄まじい。その中から最も自分好みの一種類を選ぶなど、砂漠に落した真珠を探すくらいに難しい作業だ。ものぐさなチェルノボグの住人は大抵名物の火炎酒を頼む。呑むと口から火が出るとんでもなく強烈な酒だ。ケプリカも当然それは好きなのだが、今日はもう少し特別なものを呑みたい気分だった。クジャは酒造りをする都合上、この集落の一般人の誰よりも多く岩屋を持っていて、そこに眠る酒の種類を総て知っているのはクジャ本人しかいない。これはいっそクジャにレキカ様が造ったものを見せて祝い酒を選んで貰った方が早いか……などと考えながら食事を終えたケプリカは、それでもしっかり仕事に入った。その頃にはもう、さっきまであった妙な、厭な、何とも言えない気持ちなんてなくなっていた。
 別段この特別な日に限らず、ケプリカは毎日午後には売り物の雑貨を作って過ごす。今日は小樽造りである。道具なんて面倒なものは鉈一本しかない。そんなもので細かい作業なんて出来ないが、虫種特有の外骨格に包まれた両手を持つ彼女にとってはそれで充分作業は出来るのである。ケプリカは名前の『ケプリ(エジプトの神)』が示す通りスカラベの遺伝子を継いでいるが、親もそうだったわけではない。ケプリカが一世紀記という、この集落で祝われる年齢に達して、何年かしてからやりたいことをやり切って死んだ母は蜻蛉の遺伝子を持っていた。派手好きなケプリカの母は娘に黄金虫の遺伝子、殊に目立つ金色の外骨格を与え、名前まで外国の神話の神からとって育てたのである。神話なんてものを知っているのはこの集落には大賢者アドライアくらいしかいないので、命名にあの偉大なドリアードが噛んでいることは間違いない。
 そんな母親のことを考えながら小樽を作っていると、何とはなしに自分の将来のことなんかが頭に浮かんで来る。今現在ケプリカは三百二十三歳と、チェルノボグでも結構年寄りの部類に入る。この地に伝わる遺伝子改竄技術の結果として外見は老化を一切感じさせないが。彼女の母親は七百六十四歳まで生きた。これはかなり長命な部類に入る。チェルノボグという、何千何万年も前からあると伝承に伝わる集落の平均寿命は丁度ケプリカと同じくらいの三百歳と少しである。寿命と言っても老化なんてものを超越し、病気なんかも精神病以外はまるで罹らず、外傷で死ぬほど物騒でもないチェルノボグの民は、やることがなくなったら自分から墓場に行って死ぬ。やることなんてのは個人個人でばらばらだからどれくらい生きるかは個人の意志力次第である。有名な話だと、酒場のクジャの母は銘酒を造るのを生き甲斐にしていて、火炎酒と言う今にも伝わる一大銘酒を造るとその素晴らしい出来に満足して、うっかり死んでしまったというのがある。流石にそんなうっかり屋さんはそうそういないが。
 しかし、そういう故事を思い、同年代の友人たちもここ五十年くらいで一気に減ったのを考えるにつけ、ケプリカの胸中にはさっきとはまた違う感傷が湧いて来るのである。人生の明確な目標なんて生真面目なものを持っていないケプリカは、この集落での暮らしを楽しむ為に生きていると言ってよく、自分が何かをやり遂げて死ぬというのが想像つかないのである。そうでなくとも自分の『死』というのは想像しがたい。子どもでもいれば今回の巨大緑玉事件を契機にあの世に行ってもよかったかも知れない。
 チェルノボグの民はケプリカに限らず、長く生きる割にはあまり子どもを生まない。基本的に子どもと言うのは自分の後継者であって、後継者を真剣に欲する晩年まで子どもがいないというのはよくある話である。酒場のクジャなんか八百年以上生きているのに未だに子どもがいない。魚屋のフモトトは番いである布団屋のドリメアとの間にぐれた娘が、湖守の賢者スクラクは色々の相手との娘が、また墓守の賢者ラブラには大賢者アドライアとの娘と褥守のコイカとの娘が、それぞれにいる。男性と言うものが異国の別人種という認識のこの集落では女同士で特殊な方法で子どもを生む。子どもを作る二人は番いと呼ばれるが、ケプリカは誰と番うかをそろそろ真面目に考え出すような年齢であった。子どもは作らずとも蜜事そのものは頻繁にする。しかし、その誰と寝てもどうもケプリカは『こやつと子を成すか』という気分になれないのである。何かが噛み合わない。それでずるずると今まで番いを作らずに生きて来たのだ。クジャは同類だが、例えば彼女が誰かに求婚すれば人望と魅力と実力を備える酒場の主は誰からも受け入れらるだろう。ケプリカにそんな自信はない。他人というものには強気に接する彼女だが、この問題に関してはあんまり強気になれないでいる。
 さて、どうしたものか。
 などと考えながら金色のスカラベの両腕は小樽を一つ完成させていた。外では涼しい風が吹いている。少し鬱々とした気持ちを感じ取ったケプリカは、出来た小樽を売るついでに、天晴薬でも貰って来ようと思い立って、散歩がてら居住区の北の外れにあるリネオクンの薬屋まで行くことにした。
 居住区ではみんな思い思いに日々を営んでいる。飯屋はそれぞれの店舗がある岩屋からいい香りを漂わせている。服屋のラクネアが布団屋のドリメアから羊毛を分けて貰うついでに談笑している。自警団の詰所では団長のカルジャッカが無心に鉄製の警策で素振りをしている。今日は非番らしい自警団員のキスティが茸を集めていたりもする。ふっと鳥が頭上を通ったかと思って振り返るとフモトトとドリメアの娘の鳥種スピックが気ままに飛んで行った。誰かのお使いらしい郵便屋のルーヴァンも飛び回っている。こんな日常の風景の一部に、自分も入り込んでいるのだなあと感じると、悩むことなどばかばかしく思えて来るほどに平和な風景であった。
 爽やかな風を浴びて颯爽とした気持ちで歩いていると、共同倉庫から何かをとって来る帰りらしいクジャとばったり会った。
「おお、クジャ。丁度いい」
「あら、何かしら? お酒のお願い?」
「そうじゃな。ほれ、前に言っておったレキカ様の傑作が今日届く予定なんじゃよ。それで祝い酒にしようと思うてな。後で見に来て、いい酒を見繕ってくれんか」
「いいわねえ……私もそんな一攫千金の話があればいいのだけど」
「何を言う。年中盛況の酒場じゃろが」
 などと言い合ってクジャと別れると、その脚でリネオクンの家へと辿り着く。ケプリカもそうだが、リネオクンも木のウロを店舗にして、岩屋を寝床にしている。普通は逆である。リネオクンは水棲種である為に湖と直結している岩屋を寝床にした方が都合がいい。そういう具合でケプリカは一声かけて返事も待たずに薬屋に入る。
「頼まれていた小樽を持って来た」
「おお、ありがとうございます」
 リネオクンはクスフィスの所で買った得体の知れない容器に薬なのか毒なのか分からない液体を入れていじくっていた。このマッドサイエンティストのことだから、また何かどうでもいいことを企んでいるのだろうとケプリカは極めて無関心にそれを見た。
「お代はどうしましょう」
 その手を注意深く止めて、リネオクンは二本の触手状の脚で立たずに這って売り物の薬壺の所に移動した。
「最近調子が悪くてのう。天晴薬を少しと、それからいつもの桃香薬をおくれ」
「おや、景気がいいのに調子が悪いとは」
「持てるものは持てるものの悩みがあるものじゃよ」
 そんなやり取りをしながら、リネオクンは指定された二種類の薬を葉に包んでくれた。液体の薬なんてもんを入れる容器はこの地にほとんどないので、基本的に薬と言ったら丸薬である。
「すまんのう」
「いえいえ。小樽のお代ですし。お大事にして下さいね」
 白と青の異色の身体を持つ薬屋はあまり心配してなさそうな声でそう言って金色の手足と羽を持つ雑貨屋を見送った。
 さて、さっさと帰らないと届け物が来てしまうかのう……と思いながら軽やかに薬屋を飛び出して道に出ると、直径一メートルくらいの地面がいきなり隆起して人型をとった。
「今から……?」
「そうじゃが……いきなりおどかすな」
 誰あろう倉庫番のネムコである。彼女は地精である為、自分の体を土にして大地に溶け込み、その状態で移動するのである。まるでモグラみたいな移動法だが、ネムコが人型の脚で歩くと亀より遅いので、こうするのが一番適当である。出会う方の心臓には優しくないが。
「もしかするともう来てるかも知れぬ。リネオクンに用があったでな」
「そう」
 と言う短いやり取りをすると、昼に聞いた話の通り大緑玉蟇蛙を見に来たネムコは下半身だけを地面と同化させ、ずるずると移動し始めた。精霊種の移動法の基本はこんなである。
「しかし珍しいのう」
「……何が……?」
「お主が何かに興味を持つのがじゃ」
 確かにケプリカの言う通り、ネムコが何かしらのことに活動的になるということは滅多にない。年単位でない。百五十年くらい年上のケプリカはネムコがまだ子どもだった頃からずっと彼女を知っているが、何かに対して能動的になった記憶などその百七十八年間で数えられるほどしかない。
「何か、惹かれるものでもあるのかのう」
「……何となく……。……宝石、好き……」
 言われてケプリカがその数少ない『ネムコが動いた時』を思い返すと、確かに宝石絡みのことが多かったように思う。半分くらいは宝石関係で、もう半分は美食関係だ。それ以外の記憶はない。まったく、ネムコという地精の積極性のなさと来たら、まるで山奥に隠遁している仙人のようであった。交代要員のいない倉庫番なんてやっている所為で余計にそれらしい。
 そんなネムコと並んで歩いているうちに、ケプリカは何故とはなしに『こやつと寝てみたいのう』と思い出した。一年のほとんどを共同倉庫で過ごしているネムコがそういう夜の世界を知っているかも未知数だが、流石に百八十年近く生きていてまったく知らないということはないだろう。何か、ケプリカはこの地精に言いようのない好意を持っていた。そこから一歩踏み込んだ先にあるものが『恋』というものだということを、三百年以上生きている半スカラベは知らない。
「のう、ネムコ……」
 と、言いかけた時、出来過ぎなタイミングでレキカの弟子である砂精ザントレムが荷物を抱えて二人の後ろからやって来た。
「おや、家にいるかと思ってましたよ、ケプリカさん。ネムコはどうして一緒に?」
 言い逃した言葉が惜しくて、ケプリカは少し黙した。ネムコの方ではまったく反応していない。何も考えていないので、言葉が出て来ないのである。
「リネオクンに頼まれものがあっての。ネムコはお主の持っとるそれを見に来た」
 あまり正当ではない不快感を含みながら、何も知らない宝紬見習いに教えてやる。
「へえ、珍しいじゃないか、ネムコ」
 爽やかにそう言うザントレムにネムコは視線だけを返した。
「ではわっちの家に行こうかの。それを置く場所ももう作っておる」
「準備のいいことで。いや、しかし今回の仕事は大したものですよ。レキカ様も百年に一度の大仕事だと張り切っていました」
「そうじゃろそうじゃろ。わっちもレキカ様の宝物は幾つも持っておるが、あんなにでかい贈り物は初めて見たわ」
 そうしてザントレムからいかにしてレキカがこの大仕事を成し遂げたのかということを仔細に聞きながら、一行はケプリカの家を目指した。そして、居住区の中では西寄りにあるその家についた時、この雑貨屋は吃驚仰天することになった。他の家より大きな大樹のウロの前に人だかりが出来ているのである。どうやらクジャが噂話を広めたものらしく、みんなはケプリカをみとめるとまるで太古の預言者が海を割った伝承のように、綺麗に並んで道を開けた。そして口々にあれこれ好奇の言葉を囁き合いながら、レキカの新作を期待満面に待っていた。それ故に、ケプリカは最初は家の奥で取り出して貰うつもりだったそれを玄関口で出して貰うことにした。
「ここで?」
「うむ。まあ、確かにみんな見たいじゃろ」
「では……ご覧あれ!」
 言って、ザントレムが大きな葛篭の中から取り出した、各辺が一メートルもの大きさの透明樹脂の匣の中には、丹念に、一切の無駄がなく、それでいてあくまで美しく、彫り出された巨大な緑玉の蟇蛙像が鎮座していた。深緑の全身は光を浴びて煌めきを放ち、目には見事に球体に削り上げられた青玉が嵌められている。肉体の体勢は正に座った蟇蛙そのものであるが、堂々とした、肉付のいいものを再現している。異国の神の像だと言われても、また異国の悪魔の像だと言われても、言われてしまえば頷くしかない神秘的な輝きを放っている。それは宝石、つまりは『死者の贈り物』に本来宿る霊性を、宝紬一流の技巧によって最大限に発揮させた結果であった。目を除けばほとんど緑一色であるが、よく目を凝らすと、腹部の奥にどうやって入れたものか、真っ赤な紅玉の球体が籠められていた。紅玉と青玉で飾られた緑玉の蟇蛙像は無機と有機の絶妙なバランスの上に立っている。今にも飛び跳ねそうな躍動感がある。また本物の蛙にはあり得ない、恐らくは龍の逆鱗にヒントを得たらしい規則正しい鱗状の部分もある。蛙を喰う文化のあるこの地の住民たちの中にはこれを見て生唾を呑み込むものすらあった。四足の手足は蟇蛙の骨格を的確に再現している。更には指先やその間にある膜までもが緑玉だけで表現されていた。細部を観察するにつけ新たな発見が現れ、目と心臓に配された青玉と紅玉の為に角度によっても様々な色合いが浮かぶそれは、例え十年間毎日これを観察し続けても毎日新たな発見をするに違いないだろう。これほどに見事な、縦八十センチ、横五十五センチというとんでもない大きさ故に凄まじい迫力を放ち、しかも精妙精緻を極めた宝石細工は、確かに百年に一度もあるかどうかというものだろう。
 この緑玉蟇蛙を見た住民たちは、ケプリカやザントレムさえも含めて一様に感嘆の吐息を漏らした。すぐには言葉にならないその空気は、やがてどよめきへと変じて行った。レキカの壮絶な技巧とその素材を発見したケプリカの功績を誉め称えるそれは、誰が言うともなくこの集落に新たな、崇めることすら出来そうな大きな宝物が生まれたことを祝う声へと変じて行った。
「いやはや……流石はレキカ様……と……と……と、しか言えんのうこれは……」
「……綺麗……」
「これほどのものは私も生まれて初めて見ましたよ。それもこれもケプリカさんが原石を見つけて来てくれたお陰です」
「偶然じゃがな」
「では、その偶然に感謝を。それからですね、これを削り出して余った緑玉ですが……後で適当なものに仕立て直して差し上げるそうですよ」
 と、ザントレムに言われた時、この案外肝の小さい雑貨屋は心臓が止まるかと思った。
「よ、よいのか?」
「レキカ様が言うくらいだから、いいのでしょう。緑玉は安定の効能のある宝石ですから、ケプリカさんもこの先五百年は安泰だ、とも言っていましたね」
 などとやっていると、ケプリカ宅の前の人混みの奥から何やら「あー! もう届いてるー!」「やあやあ、少し出遅れましたね」などと言う声が聞こえて、人波を割ってクスフィスとモモドメが、朝に約束していた安楽椅子を持って入って来た。
「おお、忘れておったわ」
 ケプリカの方では、なんだかここ最近ツキが回って贅沢をし過ぎたのではないかなんてことすら考え出していた。レキカの造った宝石像は言うまでもないが、クスフィスが持って来た籐の安楽椅子も相当に豪奢な品物なのだ。相応の対価は支払っているのだから、後ろめたいことはないのだが。
「ふむふむ、そりゃこれを前にしたら椅子一脚なんてどうでもよくなりますよ。いや、凄いなこれは。正に国宝級じゃないですか。マロカも呼べばよかったな……」
「凄い凄いすっごい! 生まれて初めてこんなの見たよー。これがレキカ様の本気か!」
 遅れてやって来た二人も緑玉蟇蛙を見ると感嘆するより他にない。商売根性の塊みたいなクスフィスですら自分の商品がどうでもよくなってしまうのだから素晴らしい。
「やれ、しかし、これほど見に来るものがおるとは思わなんだのう……一先ずクスフィスに駄賃を出そうな。……ネムコや、これを奥の、空いてる所まで運んでおいてくれんか」
 あんまり注目されることに慣れていないケプリカは少しの恐怖感すら覚えていた。逃げるように言い置いてウロのすぐ下にある岩屋の中に入り込んでしまった。ネムコは、珍しいことに、少し心配そうにそれを見送って、言われた通り緑玉像を家の奥まで運んだ。ザントレムも手伝ってくれた。
 そして岩屋から金の獅子像と銀の狼像を持ち出して来たケプリカは更に度肝を抜かれることになった。酋長フィトリアと大賢者アドライア、湖守の賢者スクラク、墓守の賢者ラブラの四人が新たにこの緑玉像を見物しにやって来ていたのである。恐らくはルーヴァンが伝えたのだろうが、酋長と滅多に揃わない賢者の内の三人というこの集落の最高権力者たちが自宅に集っているという事実に、ケプリカはうっかり死ぬ所であった。
「中に入ってもいいかしら? ケプリカちゃん」
 慄きに何も言えないケプリカにアドライアが問う。
「ど、どうぞご自由に……」
 断りようのないケプリカは中に案内する。
「この蛙か。……ほう、確かに我がチェルノボグの国宝に相応しい品だ。まったくレキカの腕には恐れ入る」
 龍種としてはまだ歳若い百七十八歳の酋長フィトリアは初めて見る『レキカの本気』に驚嘆し、いつもの威厳ある表情を崩して歳相応の表情を浮かべている。
「羨ましいわあ……。トード・エメラルドだなんて、美しいし美味しそうだし……。私もいつかこんなのが欲しいわねえ」
 宝物が大好きな墓守の賢者ラブラは蛇の下半身を捻ってあちこちの角度からこれを観察している。獰猛な金色の四白眼は今にもこの緑玉蟇蛙をとって喰おうとしているようであった。
「レキカの腕も流石だけれど、よくもこんな大きな緑玉を見つけられたわね。ここ二、三百年で一番の大発見じゃないかしら」
 湖守の賢者スクラクもラブラと同じようにあちこちから観察しながら言う。五百年以上を生きているスクラクから見てもこの巨大緑玉の発見は完全に未知のものであったのだ。
「これだけ大きな霊性の塊があれば、ケプリカちゃんの家も安泰ね。レキカも同じことを言ったでしょうけど。ふふっ、そんなに固い顔をしないで。今日はこれが出来たことと、これの原石を見つけたケプリカちゃんへのお祝いの酒宴を開きましょ」
 集落の長老であり、住民全員にとって母親みたいな存在である大賢者はおどけたように言う。彼女にとって集落のものたちは自分の子どものようなものなので、その子どもがこれほどの大発見をしたということが優しいアドライアには自分のことのように嬉しかったのである。ケプリカは畏れ入って冷や汗をかいていたが。
「それじゃあみんな! お祝いの用意よ!」
 この大賢者直々の音頭にみんなは『おお!』と鬨の声を上げて散って行った。これから始まる酒宴で出すものを取りに行くのである。場所なら当然クジャの酒場と決まっている。
「私も何かお祝いの品を作らなきゃね」
「あ、アドライア様……わっちは見つけただけですぞ……」
 凄まじく気楽に言う大賢者にケプリカは謙遜するしかない。
「まあまあ、好意は素直に受け取るものよ」
「そうそう、いらないなら私が貰っちゃうわよぉ?」
「あら、蛇の口に合うものの持ち合せはないわね」
「蛇の前の蛙って言葉はご存じないのかしら」
 と、スクラクとラブラが漫才めいたやり取りをしてとりなしたので、ケプリカも何か『大変なことになったのう……』と思いながらもうこの流れは止められないのも分かっているので、なるようになれと流されることにした。
「うむ。チェルノボグの文化の上に重要なる宝物としてこれは歴史に残る逸品であろう。ならばその原石を発見したケプリカも祝福されて然るべきであるな。妾からも褒美として『玉虫勲章』を遣わそう」
 酋長にすらそう言われるのだから、まったくケプリカはまるで昨日までしがない雑貨屋だったのが急に大企業の社長にでもなったような戸惑いの渦にとらわれることになった。ちなみに玉虫勲章というのはチェルノボグの集落で金属や鉱物関係で重要な発見をしたものに贈られる勲章である。功績の証であって、持っていても特段いいことはない。飾りである。
「うう……これは……素直に受けて、よいのですかのう……」
「いいのよ。いきなりのお祭り騒ぎで面喰らったかも知れないけれど、何かを『見つけた』ということはとってもチャーミングなことだもの。その喜びを分かち合うのは当然のことでしょう? だから、一番に喜ばしい位置にいるケプリカちゃんはもっと堂々としなさいな」
 アドライアに頭を撫でられながらそう言われてはケプリカに返す言葉があろう筈もなく、「では、私も土産を取って来ましょう」「私も、持って来る」と言い置いて出て行った砂精と地精を見送り、酋長と賢者たちがその後から出て行くのを腰が地につくかというくらいに低くして見送るより他になかった。
 これで一先ずは落ち着いた……と、ケプリカはごろっと横になって休息に入った。目の前には大緑玉蟇蛙が鎮座している。これほどの大騒ぎになるとはまったく思っていなかったケプリカは……。
「お疲れみたいね」
 と、いきなり入って来た九尾の狐にまたもや腰を抜かした。
「なんじゃ急に」
「急でもないでしょう? ほら、祝い酒を持って来たのよ。味見用だけど」
 そう言うクジャは酒場の店主だけがアドライアから貰うことの出来る小さな樹脂瓶を籠一杯に詰めていた。そしてケプリカの傍に座ると、まだ横になっている彼女の眼前に一本の瓶を差し出した。
「緑玉の蛙って言うのにちなんでみたのだけど、どうかしら?」
 透明な樹脂瓶の中に入っている液体は爽やかな緑色をしていた。ケプリカが座り直して「どれ」と瓶の蓋を開けると、ぷかっと小さな泡が立った。その泡を器用に口に入れてしまうと、口の中に空豆の香りと果糖の甘さ、そしてアルコールの幽かな香りが漂った。
「何酒じゃ? これは」
 ケプリカも三百年間クジャの酒場に出入りしているが、こんな酒は初めて飲んだ。
「四百年くらい前に作ったお酒よ。空豆を弾酒にした感じだから、銘は『エメラルド・スプラッシュ』って言うんだけど」
 言われてケプリカが瓶の中身を少し口に含むと、どういう魔法がそこに働いているのか、口内で酒がパチパチと弾ける独特の食感にさっきの味が混じっている。麦酒の感じとはまた違う。魚の卵でも食べたような弾け方をする変な酒であった。
「弾酒というのを初めて聞いたんじゃが……」
「それはそうでしょうね。これが流行ったのはケプリカが生まれる前だもの。お気に召さなかったかしら?」
 あっけらかんという酒場の主にケプリカは少しの間考えてみた。が、どうも彼女の好みからすればこの酒は、新鮮ではあったが、あんまり甘過ぎたのである。
「わっちが辛党なのを忘れとるじゃろ」
「そう言えばそうね。別なのにする?」
「ううむ……乾杯はこれでよかろ。如何にもこれの祝い酒にはいい塩梅じゃ。その後は『ジャック・ナイフ』でも貰おう」
『ジャック・ナイフ』というのはケプリカが一番好きな酒の一つで、コニャックの銘柄である。こういう次第で出す酒が決まると、忘れていた森鼠を取り出してから、二人して酒場に向かった。ケプリカは酒を出すのを手伝おうとしたが、『主賓だから』という理由で席につかされた。するうちに、各々が準備した色々の食べ物とリットルグラスを持って他の住民たちも集まり出した。クジャの酒場で何酒が出るかなんて誰も見当つかないので、肴に持ち込まれた食物の種類の豊富さと来たらとんでもなく多種多様だった。チェルノボグの住民にとっては主食に等しい茸にしたってどこにでもある斑茸は勿論、岩舞茸だの火喰い茸だの鼈甲茸だの豹紋茸だの、滅多に採れないものも多くあった。スクラクとその娘たちは様々な水産物を振る舞ってくれた。霜降鮭や浦島亀に七色烏賊など、これも滅多に獲れないものばかりが並ぶ。肉屋のミガは大わらわで大量の揚げものを作って来たらしく、葉っぱを下敷きにした大きな籠の中の料理は湯気が立っている。自警団の連中と来たら、さっき散らばってから大急ぎで北西の遺跡の樹林に狩りをしに行ったらしく、一頭の大鹿をそのまま持ち込んでフモトトにさばいて貰っているのだから大したものだ。そうしてアドライアがこの集落で彼女しか作れない無数のお菓子を並べ、酋長フィトリアが酒場の岩屋にある総ての燭台に一斉に白い炎を点火するという壮挙に及ぶ頃には、もう料理も酒もみんなに行き渡っていた。万事が整ったのを確認すると酋長が立ち上がり、ケプリカに玉虫勲章を授与し、祝いの辞を述べた。
「偉大なる神チェルノボグの加護と豊饒なる自然の恵みの許、生み出されたる新たな宝物、巧みを極めし宝紬レキカ、そして大いなる発見により国の文化に貢献せし功労者ケプリカ、その功績に至純なる祝福の杯を授けよう――乾杯!」
『乾杯!』
 神と自然、宝紬と功労者を言祝ぐ偉大なる酋長の言葉に合わせ、極々小さな集落に住まうもの全員が歓喜も顕わに復唱し、クリスタル製のリットルグラスがカチカチ合わされる音が岩屋の中に満ち溢れた。こうなってしまうと陽気な住人たちは止まらない。まず真っ先にクジャが人数分出した『エメラルド・スプラッシュ』の感想をあれこれ言い合い、そこから例の緑玉蟇蛙の話をし始め、一般民のみんなは一攫千金の野望を燃やし始めたのである。普段はあまり一緒に呑む機会がない賢者たちもこの機会を存分に利用して、ザントレムに連れて来られたレキカを中心にして騒いでいる。酋長フィトリアは上座からわざわざケプリカの席までやって来てくれた。
「この度の発見、そしてこの祝祭の機会、実に大儀であった」
 そう言って『エメラルド・スプラッシュ』を空けたケプリカのリットルグラスに手ずから火炎酒を注いでくれたのだから、ケプリカの恐縮と言ったら並一通りではなかった。チェルノボグでただ一人『火』を生み出すことの出来る酋長は、その役割の上でも、また龍種であるという高貴さの上でも、住民全員の畏敬の対象なのである。極めて一般的なチェルノボグの民であるケプリカは自分よりも百何十年も年下の酋長にひたすら頭を下げ続けていた。一応この宴席の主役であるのだが、どうにも居心地が悪い。この小さな集落でケプリカが年齢関係の祝い事以外で主役になったことなど、三百二十三年間の間、一度としてなかったのである。もっとも、住民の大半は騒ぐ口実くらいに考えているので、ケプリカのそれは杞憂の類だが。
 宴席も盛り上がり出して、あちこちで最早今回の一件とは関係ないような話も出始めた。自警団長のカルジャッカはさっき鹿を獲って来た時の武勇伝をフモトト一家に自慢している。ザントレムはメルシーという湖守見習いとパムヴァイマという墓守見習いとの三人で輪を作ってそれぞれの仕事の愚痴大会をしている。アドライアの元でメイドをしているメデインは呑みの輪には入らずに給仕に徹している。貧乏な自警団に属するモモドメ、リサリン、キスティ、ガザニカは『自分もこんな発見が出来たらなあ』みたいな話題で姦しく盛り上がっている。
 興味深いのはクスフィスとリネオクン、それから無理やり連れて来られた本屋のマロカの三人だ。この三人はいずれも頭脳労働者という点で一致しており、賢者以外で文字を自由に読み書き出来る知識人たちである。
「意外とある所にはあるんじゃなかろうかね。『贈り物』は気まぐれだから見つけるのは運がいるけど。遺跡の中なんかはあんまり開けていないし、どうだろう」
「ふむふむふむ、確かに遺跡の方がお宝はあるだろうね。そうでなくとも色々とれる所だからね。しっかし、ケプリカさんもよく見つけたもんだよ。強運の持ち主っているんだね」
「来る時にちらっと見たけど……天然ものであんだけの大きさってちょっと想像の範囲外だったわ。そんなに興味ないけど、実際見ると結構迫力あるわね」
「やあやあ、またそんなこと言って。マロカだってほんとは欲しいんじゃないの?」
「そうそう、宝石が嫌いなチェルノボグ民なんていないからね」
「そりゃまあ、欲しいっちゃ欲しいけど……探すノウハウはないし、私はレキカ様からお小遣いに貰えるので妥協するわ」
「鉱物は探しづらいからね。地道に溜め込む方がかえっていいかも知れない。それともクスフィスは何か妙案でもあるかい?」
「うむうむ……『ダウジング』という技術があってね。それ用の遺物があるかはうちの中を虱潰しに探さないとだね……」
 なんて会話をしている。存外、今回ケプリカが見つけたような死者の贈り物は狭い狭いチェルノボグの大地のどこかに眠っているものかも知れない。
 一方でそのケプリカは一通り住民たちから祝辞を貰って、ようよう落ち着いて酒と肴とを味わえるようになって来た。隣には普段あまり酒場に来ないネムコもいる。彼女はケプリカに自宅で作り置きしていたキノコシチューを振る舞ってくれた。そこにケプリカの友人たる服屋ラクネアがやって来て、三人で好き好きの酒を入れたリットルグラスで乾杯した。
「本当に『羨ましい』の一言に尽きるのう。あの彫像を切り出した残りも頂けるんじゃろう?」
 八つの目に微笑みを湛えてアルケニーはスカラベに問う。
「うむ。まあ大したものにはならんじゃろうが……数によっては何か買ってやらんでもない」
 チェルノボグという大地で衣服という文化は単なる娯楽でしかない。ちゃんとした祭りや葬儀の時くらいはみんな着飾るが、こういう突発的なお祭り騒ぎで服を着ているものはほとんどいない。それぞれの遺伝的特徴を活かして粘膜は保護しているが、ここの住民の基本は全裸である。ケプリカもネムコもそうだ。
「いいのう。ケプリカには派手な色の着物が似合う。お好きな模様の刺繍も入れてやろうな」
「わっちはそんなに派手好きでもないんじゃがのう……」
 などと言いながら大好きな『ジャック・ナイフ』をぐいぐいと呑む。肴にシチューというのもおかしな取り合わせであったが、この集落の住人は極めて雑食なので別に気にしない。何より、ネムコの作るキノコシチューと言ったら集落でちょっと評判になるくらいだ。集落の中でも飯屋以外は滅多に持っていない料理器具と食器を持っているネムコは料理が趣味なのだ。
「肉、あれば入れたのに」
 ネムコはそう言いながら自警団員のガザニカが切り分けて持って来てくれた鹿肉の香草焼きをシチューに浸して食べている。
「機会があれば喰いたいのう。ネムコのシチューはなかなか喰えんが」
 入っている鮑茸を摘み上げながらケプリカは言う。ネムコは不思議そうな顔をする。
「来れば、上げる」
「ほう。そんなら毎日ご相伴に預かろうかのう」
 冗談めかして言うが、ケプリカの胃袋は実の所『ジャック・ナイフ』でも鹿肉の香草焼きでもなく、ネムコのシチューにがっちり握り締められているのである。切実に『出来ることなら毎日喰いたい』とまで思っているし、ネムコの方もそれは満更でもないのだから、二人の仲はこのシチューよりよっぽどお熱い。それを察したラクネアは適当に口実をつけて席を立った。
 喧騒の中で、ケプリカは今日一日をしみじみと回想する。いや、二週間前のあの日から、だろうか? 別段大した縁でもないのだが、今回の大緑玉の一件で、ネムコとの距離がなんだか近くなったような気がする。事実の披歴は内心の披歴でもあったが、今隣で無心に鹿肉を齧っている地精が何を考えているのかは見当もつかない。何も考えていないのだが。
「のう、ネムコや」
 語りかけると、手に肉を持ったままネムコは首をずるりと九十度回転させてケプリカを見た。精霊種の動作は心臓に悪い。
「わっちみたいに、お宝の在り処を知っても人に教えん、けちな奴が、こんな祝宴の主役でいいのかのう」
 集落のみんなに対して負い目を感じながら、ケプリカは内心『今日一日で随分臆病になったもんじゃ』と考えている。昨日までとは違って、喜ぶべき位置にいるのに、泣きそうになっている。ネムコはノロい頭を最高速度で回転させて、ケプリカの心情をぼんやりと察した。
「でも、秘密のお陰で、みんな、お祭りが出来た」
 会話が得意でないネムコは言葉少なに、彼女なりの慰めの言葉を出す。
「終わりよければ、総てよしって、みんな、思ってる」
 それはまったくその通りである。何か事件があろうが、最後に笑いながら酒を呑めるのであれば、それで繊細な感情なんてものは吹き飛んでしまう。チェルノボグと言う風土はそういう場所なのである。事実、ケプリカがどこでどうやってあの大緑玉を手に入れたのかを訊こうなんて考えているものは誰もいないのだ。どうもケプリカは普段から生真面目な生活習慣を三百年間も守っていた所に、今回みたいな大贅沢をした所為で、繊細病を患ってしまったらしかった。ぼんやりしながらぼんやりとそれを察しているネムコは手近にあったカバカバという一種の薬にもなる木の実に手を伸ばし、口に入れてガムみたいな食感のそれをもごもご噛み出した。何にも考えていない倉庫番は、何にも考えていないが故に他人のことを深く考えるだけのスペースが心にたんまり存在している。そうして、実から圧縮されていた水分が存分に出て来たそれをリットルグラスに出すのを何度か繰り返した。カバカバは一度口に入れて噛んで、蜜を出したのを別のものが飲む、という変な飲み物である。
「飲んで」
 言いながらケプリカの金色の手に渡ったリットルグラスには半分ほど乳白色のカバカバジュースが溜まっていた。実に手を出した時点でケプリカはこうなるのを察していた。あんまり好きなものでもなかったが、ネムコの好意を無碍にするのも気が引けるので素直に受け取った。そして酸味の強いそれを一息に飲み干す。ネムコはその前に霜降鮭の刺身を口直しに出してくれたので、摘まんで喰う。溶けるようなそれの上質な匂いがカバカバの独特の臭みを消してくれた。
「すまんのう……どうも今日は具合が悪い」
「気にしないで。私も気にしない」
 ああ、こういう大らかさがネムコのいい所じゃな……と思いながらケプリカはまた『ジャック・ナイフ』を呑みだした。大分呑み喰いしているが、胃が異次元レベルのチェルノボグ民は見た目に反してかなりの量を喰う。ケプリカは今度は黒檀人参という精力付けの為の食物に手を伸ばした。頭っから齧って行くと思い切り活力が湧いて来る。それにさっきのカバカバも合わさって、ケプリカの中には無尽にも思える精力と、一種酩酊にも似た情動が湧き上がって来た。この気付けは実に素晴らしく、さっきまで悩んでいたことの重さがそのままリビドーに変じてしまった。蛮勇へ至ったケプリカは決然とネムコに言う。
「のうネムコ、わっちと一度、寝てみんか。なんぞ、今日あったことの全部が、それで上手く収まるように思うんじゃ」
 様々な出来事と様々な食物に支えられたこの告白は、普段のケプリカでは思い切りがつかずにきっと言い切れなかったことだろう。酒の力を借りはしたが、力は力に違いない。言霊に籠ったケプリカの意志は確かにネムコに伝わったのである。
「いいよ」
 ぽつりと言って、ケプリカの手を握る。大地が万象を受け入れるように、ネムコという地精はケプリカを受け入れた。伝わるぬくもりは大地のそれによく似ていて、溢れた涙は酒が滲みたのだということにして、二人はひっそりと祝宴の席から離れて行った。褥守の許しを土産に、一緒に愛の宿へと歩んで行く。
――夜は、ようやく始まったばかり。
 チェルノボグは今日も平和である。
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