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 ←連載『チェルノボグ』――銘・風合文吾 →エピソード:光粘菌の酒
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「小説」
チェルノボグ

エピソード:マトリョシカ

 ←連載『チェルノボグ』――銘・風合文吾 →エピソード:光粘菌の酒
水晶砂漠に、風が吹く。
 チェルノボグという土地の多くの季節においてそうであるように、クスフィスがマロカを訪ねたその日も、素敵な快晴の日であった。文明なんぞ知るかといった体でほとんどの住人が全裸で暮らすこのオアシスにあって、一番の変わり者として名高いクスフィスは首から下を完全に衣服に包んで、驚くべきことに靴とマントまで付けていた。彼女にとってはこれがお洒落な服装なのであるが、服を着る文化というものがさほど重要なものでないこの土地においてそのような格好をすること自体が変人の証明でしかないのであった。服はともかく靴なんて、売っている当人の服屋ラクネアですら滅多に履かないのだ。
 そんな愛すべき変人は今、一抱え程もある大きな透明樹脂の匣を持って友人マロカの経営する本屋である図書館遺跡を目指していた。目指すと言ってもチェルノボグ自体にさほどの大きさなんてない。都市や街などとは縁遠く、村と呼ぶことすら憚られるこの地には『集落』という言葉が最も適当である。ただ一つ、この狭いオアシスを歩く者の脚を邪魔するものがあるとするのであれば、大賢者アドライアの居城『白亞の森』の中心『白亞の塔』と呼ばれる大樹から根分かれしてオアシスを埋め尽くす豊饒な密度の森林、その樹の根っこだろう。しかし、ここに生まれたものは真っ先にその森林の歩き方を教わるのだ。幾らクスフィスが変わり者だと言ってもそれくらいの常識は存在する。詰まる所、何の問題もなく眠たそうな顔をした古道具屋は一キロメートル半ほどの隣家に辿り着いたのである。
 マロカの本屋は幾つもの樹木に埋もれて二階の窓が入口になっている。これはこのオアシスに存在する文明の遺産である幾つかの遺跡の総てがそうであるように、無様にも大昔の建築技術は大いなる自然の前に敗北を喫しているのである。そして、二階にあたる部分からは下に続くきざはしの踊り場だけがあって、他の部屋や上に行く階段は総て厳重な漆喰で塗り固められてしまっている。中に入るには一度一階に下りて、マロカの許可を得て内部の迷路みたいな構造になっているビブリオテックを歩き回らなければならない。
 そうは言ってもそんな面倒な手順を踏んでまで本を欲しがるようなもの好きなんてチェルノボグには家主のマロカを入れても三人しかいない。その内の一人がクスフィスで、もう一人は薬屋のリネオクンだ。文字を読む才能、文字を書く才能、そう言ったものが、人間が魔法について考える時のあの謎のような神秘を纏ってこの集落に存在している以上、本屋を利用出来るもの自体が相当に限られるのである。酋長と四人の賢者、それから先に上げた三人、チェルノボグで自由に文字を読み書き出来、そして本を読むと言う娯楽を持っているのはこの八人に限られる。賢者に付き従う見習いたちも多少の心得はあるが、まだまだ疎い。自然の中の生活に文字なんか要らないのである。
 そんな神秘の住人たるクスフィスは軽快な足取りで階段を二段飛ばしで下りて行った。
 階段は丁度図書館遺跡の中央にある。一階に下りて右手側はこれまた漆喰で塗り固められていて、博識なクスフィスはそれを見る度に昔ここで読んだ神書の中にあった『黒猫』というお話を思い出して、少しだけ暗鬱な気持ちになるのであった。
 そして左手側の奥にはカウンターがある。マロカの定位置であり、あまり外に出ず、家の中でも本探し以外はほとんど歩かないマロカはそこに布団屋のドリメアから買った毛布を敷いて寝床にしている。生成の文喰というチェルノボグにあってなお特殊な種族である彼女は本さえあれば生きていける。だから生活に必要なものは本と寒さ暑さをしのぐ寝床だけなのである。
 不精な本屋は真昼間だというのに毛布にくるまってカウンターの奥でぐっすり快適に安眠していた。
「マロカー。マロカー。マ・ロ・カ! マ・ロ・カ!」
 浅い眠りを自分の名前コールで覚まされたマロカは即座にその声の主を察して、不機嫌そうに目をこすりながらのっそりと起き上がる。
「何。欲しいものあるんなら勝手に取ってってよ」
 起き上がって声の主が確かに今の自分と同等くらいには眠そうな顔をしている古道具屋だと認めた本屋は、それだけ言って即座にまた横になった。
「欲しいものはあるんだけどね、でも君、こんな広い所で探しものしてたら日が暮れちゃう」
「知るか」
 毛布を被ってはゴロリと背を向け、マロカはにべもなく告げる。はてどうしたものかとクスフィスは思案せねばならなかった。彼女もこの図書館遺跡には随分親しんでいるのだが、しかし幾ら親しんでもレファレンスなしに本探しをするのにこの遺跡はどうにも広過ぎるのである。それに、もしも欲しいものが地下書庫にあろうものならばそれはマロカが持っている鍵がないと入れない。……いや、今のこいつは鍵束をポンと出して寝るだろうなあと考えてクスフィスは頭の上から生える猫科の耳裏をぽりぽり掻く。この体勢に入ったマロカはてこでも動かない。仕方なく変わり者は幽かな可能性で不精な本屋を釣ることにする。
「これからレキカ様の所に行こうと思うんだよ。でも、ほら、ボク一人で行っても多分ザントレムしか相手をしてくれないじゃないか。マロカがいれば大分助かるんだけど」
 レキカ、という言葉にマロカの人と変わらない耳がぴくりと動く。賢者の一人にして集落一偏屈な宝紬の古老にマロカは随分可愛がられているし、当人も悪からず思っている。
「……お代は?」
 本屋が本を売る関係上当たり前のこととしてマロカは対価を問う。対価と言ってもチェルノボグに通貨なんてないので物々交換だ。そしてこれが古道具屋のつらい所なのであるが、基本的にクスフィスの持ちものはマロカに限らず集落のほとんどの住民にとってガラクタでしかない。さて、腕の見せ所だ。
「まずは起きて。そしてこれを見て」
 と、クスフィスはカウンターにドカンと持っていた樹脂匣を置く。マロカはさっき起き上がった時よりもなお不機嫌そうな表情を満面に湛えてそれを見る。
「これ、何だと思う?」
 クスフィスの言葉にマロカは少し思案し、昔食べた文の中にこれに近いものがないかを思い出す。とは言え生まれてから二十年以上毎日国語辞典程もある量の本を三食食べているのだ。なかなか簡単に思い出せるものでもないので、こういう時の誤魔化し方の常として、マロカは質問を返す。
「あんたは何だと思ってんの」
 ドギツい物言いは二人の友情の証である。
「ふむふむふむ……色々と考えてみたんだけどねえ……これはほら、人の形……というにはちょいと変だけどね、少なくとも顔が人の顔じゃないか。多分純粋種のね。そう考えるとこれは一番凄い仮定だと何かの魔法に使うものなのじゃあないかなっていう気がするんだよ。そうでなくても呪詛や祈祷にはなかなか使えそうじゃないか。一等つまらないのは大昔のお遊戯の遺産だったって言うパターンだけど、でもまあ、それでも昔見つけたスゴロクみたいに何かに使えないわけでもない気はするんだよね。ほら、この匣を開けるとだね……」
 もったいつけた話し方で大仰にクスフィスは鍵を開ける。大賢者アドライア謹製の樹脂匣に付けられた、宝紬の賢者レキカ謹製の黄金の鍵を開けると、匣は簡単にパカッと開くのだが、クスフィスは実に慎重に、厭に時間をかけてこの作業を行った。もったいぶった話し方もそうだが、この時間をかける所作もマロカが匣の中身を思い出す時間を稼いでやる為の粋な心遣いだ。
「どじゃーん」
 と、言って開けられた匣の中身にマロカは確かに見覚えがある。もしかしてアレか、と思いながらクスフィスの手先を見る。それは純粋種の人間を象った、中央部分が膨れた円筒形の物体であった。記憶の奥底に眠っていた知識はクスフィスが「ほら」と言いながらそれの半ばから上を、蓋が外れるように取り上げ、中から同じ造形の一回り小型の同じ物体が出て来るのを見ると、丁度それの中身が開陳されるように蘇って来た。
「こういうものだからね、多分出産とか家族とか、そういうのに縁のあるものだと思うんだけど」
「違う。ただの人形よ」
「さあ~?」
 完全に記憶から掘り起こされたその物体の正体をズバッと言われて哀れな古道具屋はずっこけた。
「まあ賢者様たちなら祈祷にも呪詛にも使えるでしょうけど」
 眠たそうな顔の満面に落胆の色を浮かべる愛すべき隣人にマロカは一応のフォローをしてやる。
「で、それが何なのかが書かれた本が欲しいの?」
 そして商売の話に戻す。
「まあそうだね。もっと言えばこれに近いもの……人形の辞典とか、そういうのがあればいいかなあ」
 気を取り直して古道具屋も用件に立ち返る。
「何に使うの、そんなもん……」
 玩具屋じゃあるまいに……という言葉は呑み込んで、本屋は問う。チェルノボグの住民はみんな何かしらの仕事を担っているが、仕事の内容の不必要さで本屋と古道具屋は限りなく近似していた。仮にクスフィスが玩具屋に転職しても別にその必要性に関係はない。
「何かに使えると思うんだよ。ほら、いつだか神書の『コッペリア』とか『未來のイヴ』とかを買ったじゃないか。ああいうのを再現する為には、やっぱり人形の知識がいるだろう?」
 そう言うクスフィスの言葉にマロカ自身がまったく関心がなかったと言えば嘘になる。意志を持った人形というのはこの時代の世界を見回せばある所にはあるものだが、このチェルノボグという万象一切が自然に回帰している土地では甚だ不自然で、見ることなどはあり得ず、為に若い知識人はそこに浪漫の匂いを感じ取るのである。ただ、まあ、クスフィスが『何かに使える』と言うのは多くの場合ガラクタ集めをする口実でしかないということはマロカも呆れるくらいに知っている。
「オートマータの創生とはまあ、随分偉くなったじゃない。興味がないではないけど。でもマトリョシカは参考にならないでしょ。原始的過ぎて」
「まとりょ、まとりょし、か?」
「そう。それの正式な名前。入れ子人形とも言うけど」
 無尽の好奇心だけで生きているクスフィスは未知のものが大好きな人種だ。為にマロカが話に乗ると、人づきあいが嫌いな実に本屋らしい本屋が鬱陶しく感じるくらいに唾を飛ばしてあれこれ尋ねるのであった。マトリョシカとはどんな意味なのかとか世界のどこら辺のものなのかとか古代のいつ頃のものなのかだとかそういうことをガンガン質問するのだ。答えなんて一々返している暇もくれない。こういう時にクスフィスを黙らせる方法は単純に情報という餌をやる以外にないので、ものぐさ本屋は渋々渋々渋々渋々とカウンターから立って書架に歩み出す。クスフィスはなおもあれこれ言いながら後ろからついてくる。マロカは目当ての『世界人形大鑑』というぶ厚い書物を細い指先で抜き取ると、あれこれくっちゃベってる白髪の古道具屋の脳天めがけてそれをぶん投げた。クスフィスは「おっふぉ」と間抜けな声を上げながら早速それの目次から『マトリョシカ』の項目を探し出してその場にぺたりと座って読み出し、ようよう饒舌な趣味人は沈黙した。
「そう言えば」
 呆れ顔をしながらマロカは問う。
「レキカ様の所に行くって言ってたけど」
 どちらかというとマロカの興味の焦点はクスフィスが対価に出すであろうガラクタより普段は東の竹林にいる所為であんまり会わない、祖父みたいな女性についての方であった。
「うんうん、行くよ。これ、この、まとなんとかを見せに行こうと思って」
「見せて、どうすんの?」
「うんうんうん、見せてね、何か霊験あらたかな宝物をこれに埋め込んで貰ってね、せっかく見つけたんだから誰かに売って、久しぶりにクジャさんの所で夢虫酒でも呑もうと思ってね」
 壮絶なまでに俗で打算的なこの解答にマロカは手近な本を手にとってチョップを見舞った。
「おうふっ」
「そんな阿呆みたいな理由でレキカ様が動くわけないでしょ」
「だいじょぶだいじょぶ、レキカ様は割合ボクのとこのもの買ってくれるし。マロカも一緒に頼んでよ。きっと面白いものが出来て、誰か面白い人に売れば、面白いことが起こるよ」
 気楽に言うものだが、このチェルノボグの集落の中でクスフィス以上に面白い真似をするものはそうそういないので、果たして誰に売り付けるものなのか、マロカは少々思案せずにはおれない。思慮深い彼女は気になることがあると思考と神経が総てそちらを向いてしまって、行動が停止してしまうのである。
 暫し、無言の時間が流れた。クスフィスは黙々と頁をめくり、マロカは集落の人々の顔を頭に浮かべては果たして誰がこんな怪しげなもの買うかしらと考えていた。
「私からすれば大分趣味の悪いものなのだけど」
 思案を終えたマロカは正直に言う。人形というものへの憧れはマロカの中に存在している。それは一重に少女趣味の発展としか言いようのないものであるのだが、そのような趣味の上ではこの入れ子人形はあんまり麗しくなく、飾っておくだけで不気味な臭いがしそうなものに思えて仕方なかった。
「でもほら、可愛いと思う人も多分いるじゃん? それに、レキカ様が中になんかお守りでも入れてくれたら夢虫酒を飽きるくらいには呑めるよ。マロカにも分けてあげるよ」
 暢気にそう言うクスフィスにマロカは話題になっているレキカがいつもおもてに湛えているような渋面を作った。
「お酒はいらないから」
 文喰の彼女は美食学を嗜まない。
「お題は少しでも役立つものにしなさいよ」
 と、諦念に塗れた釘を刺しておく。
「ふむふむ、それじゃこうしよう。ボクの倉庫の中から、そうだな、三つくらいは、好きなものを持ってっていいよ」
 怖ろしくざっくばらんな取引であったが、この古道具屋の商売方法の基本はこんな塩梅なので、心中に『またガラクタが増えるな……』と思いながら他にしようもないマロカは頷いた。
 そうして本を閉じたクスフィスと一緒にカウンターに戻って、二人は一緒にきざはしを上って行った。
「せっかくだから、レキカ様にお土産持ってきたい」
 ここ一ヶ月ほど会っていない賢者に対しての敬いと憧れがマロカにそんなことを言わせた。
「相変わらずベタベタだねえ」
 苦笑いしながらクスフィスは答えた。レキカに限ったことではなく、マロカはこの集落を支える四人の賢者から可愛がられている。大賢者アドライアは母親のように、湖守の賢者スクラクは姉のように、墓守の賢者ラブラは叔母のように、そして年寄り臭い宝紬の賢者レキカは祖父のように、それぞれマロカを偏愛している。それはクスフィスを初めとする他の住人にとっては少しの羨みと、少しの怖さをもたらす類の事実であった。
「それじゃあ、レキカ様の所に行く前に倉庫に寄って行こうか。ここには大したもの置いてないよね?」
「そうねえ……まあ、遺跡にあるものなんて賢者様たちはみんな飽きるほどよく知ってるし……ああ、氷魚の酒粕漬けとか、バグラスから貰ってそのまま倉庫だわ。丁度いい」
「バグラスから? どういう縁で?」
「リネオクンと一緒にミイラの造り方訊かれたのよ。何を思ってそんなもん訊いたのか知らないけど」
「リネオクンがまたよからぬことでも企んでるんじゃないかなあ。それともスクラク様の差し金かな」
「さあ? 何にしても本以外のものなんて要らないから、倉庫に行けばもっと色々あるけどね」
 集落で仕事に就いているもの全員に平等に配布される共同倉庫というものは、他の一般的なチェルノボグの住人にとってはかなり重要なものであるのだが、しかし自宅にある程度の保管場所を持っているこの二人に関してのみ言えば、それはいらないものを取り敢えず他のものとの物々交換の為に保管しておく為のもの、という程度の意味しか持たなかった。宵越しの食べ物なんか持つ余裕がなく、探しても探しても次から次に出て来るガラクタを整理する為にクスフィスの倉庫は食料品ではなく古道具が満杯になっている。もしもこの時代の考古学者がクスフィスの倉庫を覗いたならば、とんでもないお宝の山に腰を抜かして失禁するだろう。一方で、マロカの方は本に書いてある情報を喰らって生きていけるし、他の住民との交流もそんなにない。物々交換の基本は食べ物であるのだが、マロカの場合文喰であるが為にそれで得られた食べ物は総てそのまま腐らせないように倉庫にしまってしまう。もしもこの時代の美食家がマロカの倉庫を覗いたならば、口に尽くせぬ山海の珍味を前にして涙を流して脱糞するだろう。
 そうして、クスフィスは例の鬱陶しい訊き方でマロカになんでバグラスとリネオクンがミイラの造り方なんて訊いて来たのかについてマシンガンのように質問するのであった。マロカは住民のほとんどが本を読めないこの集落の中で、賢者に次ぐ頭脳労働者として扱われている。リネオクンは薬屋でありながらマッドサイエンティストでもあるので、ミイラとはさもありなんという具合であるのだが、一方でその妹に当たるバグラスは氷屋であるので、ミイラなんかとは無縁な仕事である。この二人の共通点と言えばどちらも賢者スクラクの娘であるということなので、確かにスクラクが何か考えているのかとも考えられた。一方にリネオクンであれば実妹をそそのかして欲しい情報を手に入れるくらいの真似はするとも考えられた。で、二人がどんなにあれこれ言ってみてもその所はよく分からないのである。
 それは措く。
 ともあれ、こんな雑談に花を咲かせながら二人の気の合う連中は図書館遺跡を出て、話題の中心人物である賢者スクラクが湖守を務める、集落中央にある湖の西側をぐるっと回って、北の方にある共同倉庫にやって来た。倉庫番のネムコはぼんやり日向ぼっこをしていて、クスフィスが「やあ」と手を上げて声をかけると、怖ろしくのろい動作で同じように手を上げて、またぼんやりし出した。クスフィスはいつも眠そうな表情を湛えている割にちゃんと覚醒しているが、ネムコの無表情はしょっちゅう眠そうにしか見えない動作で以って彼女がいかに何も考えずに生きているのかを悟らせてくれる。
「せっかくだから、今回のお代も持って行きなよ」
「言われなくてもそうするわ」
 完全に顔パスだけで倉庫に入った二人はひとまずクスフィスの倉庫の方に入って、ガラクタの砂漠の中を渉猟した。オアシスの外の学識あるものが見ればお宝の山で、かつ大賢者に会うたんびに『もっとものを大切に扱いなさい』と言われてもいるのだが、クスフィスがまったく倉庫の整理をしていない所為でガラクタの砂丘を掘り起こすのは限りなく不可能に近くなっている。そして集落の中で学識のある方であるマロカが見てもそれらは精々が自分の家を飾るアンティーク以上の意味を持たない。もしも彼女が何かの書物でその価値を理解すれば、驚きで呑み込んだ文章を嘔吐してしまうだろう。
「あんまり荷物持ちたくないし、これとこれ、それからこれ。だけでいいわ。丁度三つね」
「さっすが、お目が高いね」
 そんなやり取りをしながらマロカが報酬として手に取ったのはいずれも宝紬のレキカが造った宝物である。一つはイルカを象った銀製の振子がゆらゆら揺れる置き物で、一つは大小の真珠を使って白鳥を模したブレスレットで、一つは大いなる火の精霊大サラマンドラを模した小さなブローチであった。実の所この取引の結果はクスフィスにとってまったく納得出来るものではなかった。というのも、彼女はしばしばレキカと取引をするのだが、その結果をよく吟味せずに倉庫に放り込んでしまって、そのまま忘れてしまうのだ。そして後からよくよく観察してみると、古道具屋一流の嗅覚が刺激されるような見事なものばかりであることがままある。竹林に住まう宝紬の賢者レキカの作品は、仮にそれが造った当人にとって大した価値の見い出せないものであっても、千と数百年をかけて磨き上げられた技術の結晶である以上、一つ一つの価値はとんでもなく高い。その価値を適切に判断出来ないチェルノボグの住人はかなり大雑把に宝物を取引に使うが、もしもこの技術を適切に判断出来る外の国の宝石商が先にマロカの選んだ三つの宝物を目にしたのであれば、血涙を流しながら全財産を継ぎ込んで絶命するだろう。
「しっかし、やあやあ、随分高くつく買いものだよ」
 クスフィスは少々不貞腐れた気分で愚痴る。
「ここにある、ってことは要らない、ってことでしょ」
 そう言われてはいよいよこの哀れな古道具屋はしょげかえって自分の不精を呪うしかない。これはもう、腕に抱えた樹脂匣の中にある人形を誰かにうんとぼったくった値段で売りつけて、酒場で大好きな高級酒である夢虫酒で自棄酒でもしないと切なくてしようがない。
 固く志を固めた白髪の友人が自分の倉庫の前でがっくり燃え尽きているのを尻目に、薄情な友人は戦利品を早速装備して自分の倉庫へと入って行った。そうしてレキカが気に入りそうな珍味を(自分では味が分からないなりに)選んでしまうと、不穏な顔でぶつぶつ言っている友人を小突いて「行くわよ」と言って先に立って歩き出した。マロカは竹林の賢者に対して、何か、孫が遠方に住む祖父に甘えるような感情を向けている。戦利品と彼女へのお土産選びは彼女の無機質な感情を弾ませた。
 そうして二人して『レキカ様はこれをどう扱うか』という、クスフィスにとっては随分な一大事を、マロカにとっては心の底からどうでもいいことを、相談しながら、湖の北東側にある墓場に続く道の前を通って、東の竹林に辿り着いた。賢者レキカの家はその竹林の奥にある。道は酷く湿気っぽい、暗い、鬱蒼とした笹の葉の隧道になっている。成長の早い竹の枝があちこちから伸びているこのオアシスの中でも取り分け歩きづらい道を抜けてレキカの家の前に二人がつくと、丁度これから氷屋で『圧縮氷』でも貰いに行く所だろうか、レキカの弟子で宝紬見習いの砂精ザントレムが桶を持って出て来た。
「おや、久しぶりだね、マロカ」
 中性的な美貌に爽やかな笑みを浮かべてザントレムはマロカを歓迎してくれた。
「ええ、これがレキカ様に用があるって言うから」
 と、マロカが肘でクスフィスをつつくと、砂精は少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「また悪質商法でも考えているのかい」
「酷いな。ボクだって一応仕事だよ」
「どうだか。まあ何でもいいけど。通るわよ、ザントレム」
「ああ、いいとも。レキカ様も久しぶりにマロカに会えて喜ぶと思うよ。クスフィスに会っても相殺されるくらいに」
「ほんと酷いな」
「じゃ、行ってらっしゃいな」
「うん。ああ、そうだ。今レキカ様は作業中だから、気をつけてね。特にクスフィスは刺されかねないから」
「真剣に酷いな……」
 そう言い置いて、ザントレムは揚々と去って行った。日々あちこちに面倒事を持ち込むクスフィスは多くの場合こんな風に扱われている。一方でその半分くらいの年齢のマロカは集落の人々からも年相応に可愛がられている。性格の上から言えばどっちもどっちなのだが、あんまり外に出て行動しないという一種のプレミア感がマロカを守っているのだ。
 庭に東屋のあるレキカの家はその先の大きな岩屋である。訪れた二人の家は樹木と土とに侵蝕されているが、一応は文明的な場所である。しかし、どちらかと言うとレキカのこの岩屋住宅や、木のウロの中に居を構える方がチェルノボグでは主流である。あまり建築的な発展をしている集落とは言えない。で、そんな集落の家としては非常に珍しくレキカの家には呼び鈴がある。これは単に技術屋であり、作業中に人が不意に訪ねて来ることを異常に嫌うレキカが自分で作ったものだ。鈴なんてものを鈴として機能させているのなんてこの集落ではレキカくらいしかいない。その呼び鈴を鳴らしてもレキカは出て来ない。他のものが訪ねて来ようが偏屈な宝紬の賢者は自分の仕事の方ばっかり優先する。なのでこの反応に、特にここを訪うクスフィスなんかはもうすっかり慣れてしまった。
「レキカ様―、クスフィスです」
 と、大きくなり過ぎないように奥に声をかける。無反応。
「レキカ様―、マロカもいます」
 と、付言する。反応がない。
「レキカ様! マロカです!」
 と、マロカが声を出すと、ようやく岩屋の家の奥から「待っとれ」という、女性にしては低く、しかし男性のそれとは思えない声が答えた。待たずに家の中に入れば間違いなくレキカは激怒してクスフィスに向けてその細い体から竹槍を噴出させて追っ払うだろうから、待っているより他にない。そして二人が手持無沙汰になっていると、奥から水をバシャバシャする音が聞こえて、ようようレキカが出て来た。
「おお、マロカ。よく来たな」
 可哀相なクスフィスになんか目もくれずに竹林の賢者レキカはその細すぎる、筋張った、関節が五つもある長い七本の指で、孫娘同然に可愛がっているマロカの皮膚に包まれた角を扱く。マロカは珍しく照れっぽく、しかし嬉しそうに笑んだ。
「お土産を持って来ましたよ」
 可愛い文喰がそう言うと、明らかに拒食症の末期症状としか思われない細さの宝紬は頬を緩ませてその葉っぱの包みを受け取った。中にはレキカの好物である発酵食品が一杯入っている。
「おお、大したお土産だ。笹茶を淹れてやろうな」
 この集落一偏屈頑固で知られる賢者もマロカの前では随分柔らかくなる。眠たそうな顔でそれを見ていたクスフィスは『ああ、やっぱりマロカは得だなあ……』などと考えていた。彼女一人でここを訪れても、大抵の場合はレキカに会うまでザントレムと小一時間も押し問答をし、そしてようよう会えてもレキカが話に乗ってくれずに結局門前払いを食らうことも珍しくはないのだ。念の為に言っておくと、レキカは基本的に自分と同じ地位の賢者たちと、立場は上である酋長とが相手でなければ大抵そうする。自閉的ですらある職人が唯一諸手を上げて歓迎する相手がマロカなのである。そして、マロカを連れてくれば間違いなく機嫌がよくなって話に乗ってくれるだろうというクスフィスの読みは、ものの見事に的中したのである。
「何、マトリョシカに祈祷を籠めるのか」
 手ずから笹茶を淹れてマロカ(と、ついでにクスフィス)に出してくれた彼女は、面白いものを見る目つきに変わって古道具屋が置いた樹脂匣を取り上げた。
「そうなんですよ、この、まとなんとかにレキカ様の手で命を吹き込んで頂いてですね、ボクが誰かに売りますので、その報酬はまあ、ボクが七、レキカ様が三くらいで分け合うような具合で如何でしょう」
 集落の中で酋長を支える四賢者の一人たるレキカにここまで商魂逞しく厚かましいことを言える豪胆の持ち主と言ったらクスフィスをおいて他にいない。他の住民であれば賢者を畏敬してこの割合を逆にしたって多すぎるくらいである。白髪の友人と賢者のやり取りを笹の渋味しかないとんでもなく不味いお茶を啜りながら聞いていたマロカはまったく、この友人に対して尊敬と感動すら覚えてしまった。さっき調子に乗って大損したというのに微塵も懲りていない姿には称賛の念さえ感じる。
「ふうむ……まあ、よかろ。マロカの土産もあることだ。たまには貴様にも得をさせてやろう」
 と、笹茶を実に美味そうに啜った賢者は言った。クスフィスの喜びようと言ったらこの上なく、隣にいるマロカの目には彼女が心の中でガッツポーズをしているのが見えるほどであった。
「これは豊産の守りにする」
 喜色満面のクスフィスとあんまり関心なく見ているマロカにレキカは明瞭に告げる。マトリョシカを見た瞬間に思い付いたらしい。パカパカと入れ子人形を開けて行き、一番小さいのを手にとって、酋長フィトリアが各家に配る『光源石』の光にそれを透かして見て、「待っとれ」と言い置いて奥に入って、すぐに戻って来た。
 集落一細い腕には何かが入った壺と、工具の入った木製の匣と、一粒の、ウズラの卵くらいの大きさの宝石とが抱えられていた。宝石は大きさのみならず、形状もまた小さな卵のように加工されていた。この三つの物品のいずれもが工芸に秀でたレキカが自ら作ったものである。壺の中身も含めて。
「この宝石は……」
 工芸に疎いマロカがまず疑問を出す。
「石榴石だね。ガーネット」
 それに目だけは肥えているクスフィスが答える。
「うむ。石榴石は精力をもたらす石だからな」
 言う間にレキカは既に作業を開始した。一番小さな人形を工具で真っ二つに割ってしまうとすぐさまその中身をくり抜いて卵状の穴を整えた。そしてガーネットをその中に嵌めこんで人形を閉じると、壺の中に入っていた絵具蜜を筆に浸して人形に塗り、渇いた息を吐きかけて乾かしてしまった。そうして、マトリョシカを一通り元に戻して開け閉めがちゃんと出来ることを確認すると「どうだ」とクスフィスの前に差し出した。この作業が時間にしてものの五分とかからなかったのである。まったく、この宝紬の天才的な技術と来たら、魔法なんかよりもよっぽど魔法的な鮮やかさを持って二人の前に顕現した。これには見慣れているクスフィスも、たまにしか見ないマロカも、讃嘆の溜息を漏らすより他なかった。
 受け取ったクスフィスはマロカによく見えるように入れ子人形を開いていった。霊性を持ったが為に瞳の部分がとみに素敵に輝くそれを見るにつけマロカの瞳も輝く。最初に見た時はどこか不気味な所のあったこの人形がどこか愛嬌のある、素敵なものに見えるようになったのは、一重にレキカがその最奥に籠めたガーネットの卵の効能であった。宝石が一番奥に隠されている、それもその宝石は卵の形をしている。それはまるで孵卵器から子どもが生まれることを暗示しているようで、マロカにはまだピンと来ない部分もあるのだが、その大いなる神秘は彼女の好奇心を刺激するのに十全に過ぎた。また、依頼をしたクスフィスも毎度毎度レキカの天才的技巧には舌を巻くより他になかった。しかし、おもてでは大真面目に称賛しておいて、クスフィスの頭は既にこれでどれだけ夢虫酒が呑めるかの計算を始めていたのだから、まったくもってこの寝ぼけた顔の古道具屋と来たらとんでもない奴だ。
「ふむふむふむ、はてさて、これを誰に売ろうかなあ」
 なんて、マトリョシカを開け閉めしながら平然と言うのだ。
「それはガザニカあたりに売ってやればよかろう」
 無邪気にマトリョシカを見詰めるマロカに機嫌をよくしたレキカはいつもの偏屈な意見を出さずに至って平然と言った。
「ガザニカにぃ?」
 しかし、その提案にクスフィスは露骨に顔をしかめた。どこまでも肝の図太い奴である。
「うむ。ザントレムに聞いたのだが、今この地で一番それを欲しているのはガザニカだろう」
 一仕事終えた職人はだぼだぼの服の中からこの集落ではとんでもなく珍しい煙管を取り出し、灯火で火を着けると悠然とそれを喫み出した。商品がどうさばかれるかなんてまるで興味のないような顔をしている。実際、興味はない。
「ふむぅ……しかしレキカ様、ガザニカにはまだこういうのは早いのではないかと思うのですよ。あの子はほら、色々とまだでしょう。それに仕事もようよう軌道に乗った所にこういうものを集め出すのはよくないと思うのですね。あの子は特にあんまり奥手だから尚更こういうのでそういう世界に入って行くのにはもう少し緩衝材というか、段階を踏んだ方がいいのではないかと、まあ、そういう塩梅でして……」
 などと長々と口上を垂れるクスフィスが腹の中で『ガザニカに売っても儲からない』と考えていることは存分に察せられた。まだ二十六歳くらいの、スクラクとラクネアの娘でありリネオクンとバグラスの妹に当たる、蟹の手足を持つ自警団員はクスフィスの思っている通りそんなに多い貯えはない。この集落において警察やら警備員やら害獣駆除業者やら火消しやら土建屋やらとやたらめったら多様な肉体労働を仕事にしている自警団の人々が物々交換で差し出すのは主にその肉体である。つまり、ものを貰う代わりにその家の肉体労働を対価に応じた期間請け負うのである。が、クスフィスとしては切実に今すぐ夢虫酒を呑めるだけの対価が欲しい。自警団のものではすぐにそれは得られない。なのでもっと簡単にことが行くものにこそ売りたいのである。よくも悪くもこの集落の原動力である欲望というものに忠実なクスフィスの演説は実にレキカの煙管の火が消えては灯し直されるのを五回も繰り返す間続き、段々と付き合うのが面倒になって来たレキカが常の通りの渋面に戻ってしまうほどに退屈なそれにとうとうこの集落一細い賢者は「黙れ」と一言命じるに至った。で、その細く鋭い眼光に刺し貫かれたクスフィスが背中に厭な冷や汗をかいているのを見かねた友人は取りなすように言う。
「まあレキカ様、そう仰らないで。クスフィスだってたまには贅沢がしたいんだから。クスフィスもあんたあんま欲かくんじゃないわよ。取り敢えずガザニカの所に行ってみればいいじゃない。買わないなら買わないでいつもみたいに競売に出せばいいんだから」
 と、こう言われてしまってはいかにも気まずい古道具屋は追い打ちにレキカから煙草の煙を思い切り吹きかけられて「それでは売りに行ってきます……」と言い置いて退出するより他になかった。一応弁護しておくとクスフィスにも良心はある。収入も貯えもそんなにない自警団に入って一番短いガザニカが団長のカルジャッカを恋うていることは知っているが、しかしクスフィスの商売というのはこのチェルノボグの中において、その不必要性の高さの故に、かなりの贅沢の部類に入るのだ。貧しいガザニカにそれを押し売りすることはこの頭がいいんだか悪いんだか分からないがとにかく舌だけは回る古道具屋にとって造作もないことであったが、それこそ夢虫酒という高級品の元手を幼いガザニカからせしめることは商売人以前に人としてどうなのかという呵責が存在したのである。
 もっともレキカの方では単純にそうすればこの一件が丸く収まると思って言っているのである。孫娘に等しいマロカと一緒にクスフィスを見送った彼女は自分の工芸品がどう扱われようと知ったことではないし、別にクスフィスの提示した対価が正当に支払われなくとも何一つ差し支えがないのである。加えて言えば、この賢者にかかれば風聞に聞いただけの事実から最も優れた解答を選み出すことなど造作もない。そこには深い推察力が確固として存在する。ただ、それを伝える手間を省略するからレキカはチェルノボグ一の偏屈者と扱われるのである。
 こういう塩梅で黄昏の笹の葉隧道を通り抜けたクスフィスは丁度帰って来る所だったザントレムに「上手く行ったかい?」と訊かれて「これからだよ……」と返し、更に「ガザニカを見なかったかい」と尋ねた。集落の若人の中ではかなり人格の出来ているザントレムはそれだけで大体のことは察して、色々と自業自得の損失を被った哀れな古道具屋に「丁度さっき、キスティと交代していたようだから、家にいるんじゃあないかな」と教えてやって、無言のまま肩をパンと叩いて見送ってやった。
 そうしてクスフィスは湖の南東、彼女の家がある博物館遺跡より一キロメートルほど北にある居住区、即ちチェルノボグで最も人口密度の高い一区画に脚を踏み入れると、とぼとぼとガザニカの住んでいる大樹のウロを訪ねた。
「あ、クスフィスさん。いらっしゃいませ」
 この幼く礼儀正しい自警団員は、丁度仕事上がりだからだろう、花蜜を水でうんと薄めた甘水を、各世帯の人数分だけ配布される(と言っても基本的にみんな一人暮らしだが)クリスタル製のリットルグラスに入れて呑んでいた。それを見るにつけクスフィスは『ああ、これは今日の取引は随分失敗した。夕飯は森林蟹にしてやろう』などと謂われのない怨念を差し向けるのであった。そんな心中にはまったく気づかずガザニカは無邪気に藁座布団を敷いてクスフィスに座を勧める。「すまないね……」と、実に精気のない声で返した彼女はへたり込むように座って、ガザニカの前に件の透明樹脂匣を置く。
「これは……何でしょう? ダルマさん? コケシさん?」
 この集落における人形なんて精々がそんなものなのである。大体の住人はクスフィスがこういうものを持って来ると『またぼったくりか……』という諦念が去来し、その為にクスフィスは一々弁舌の限りを尽くして売り物を説明せねばならなかったのだが、ことガザニカという無邪気な少女が相手の場合、それは特に必要ではなかった。
「豊産祈願のお守りだよ。これがね……こういう具合でどんどん中身が出て来るんだ。開けてってごらん」
 と、これだけの言葉でガザニカは目を輝かせてマトリョシカを、大きな蟹の鋏で壊さないように注意を払いながら開けて行った。虚ろな目でそれを見るクスフィスは『みんなもこのくらい無邪気なら毎日夢虫酒が呑めるのに……』と夢想していた。そうして一番小さな人形を、かなり繊細な注意を払って両手の蟹鋏で開けたガザニカは「わあ……」と嘆息を漏らした。
「なかなかよく出来ているだろう? レキカ様が中の宝石卵を入れてくれたんだ。ガーネットだよ。ガーネットは精力をくれる。特にこれは豊産祈願のお守りだから、きっと思い人を振り向かせるだけの色気まで出してくれるよ」
 クスフィスは、それが多少誇張を含むのは商売人の性として、一日の労苦の結果を実に簡明に説明した。ガザニカ本人はまったく他の人に気づかれていない秘密、団長カルジャッカへの思いを言い当てられたような気持ちがして、真剣な表情でその石榴石の卵を見詰めた。とは言え、この蟹の遺伝子が下半身と腕とに存分に現れている愛らしい少女が自警団長に恋い焦がれていることを知らないものはほとんどいない。湖の賢者スクラクの娘の一人である彼女はなかなかに世間知らずな箱入り娘であり、そして性にだらしないこの集落の住人にしては微笑ましいことに、奥手なのである。
「……これは……幾らですか?」
 なんて胡散臭い古道具屋相手に真顔で訊くほど無邪気なのだ。
「言い値でいいね……ハハハ……買わないならそれでもいいし……いつもみたいに競売にかけるよ……」
 最早諦念の去来を隠そうともしないクスフィスの言葉の前半をガザニカはかなり悩みながら聞いていたらしかったが、『競売』という言葉を聞くとすぐさま青褪めて、折りたたんで座っていた蟹脚をすっくと立ち上げ、ものも言わずにクスフィスを両腕で抱え上げると、そのまま外に飛び出して共同倉庫めがけて一目散に八本の甲殻に包まれた脚で駆け出したのである。
「ちょ、ちょ、ガザニカ? ガザニカ!」
 あまりのことにクスフィスは目を白黒させて言葉にならない静止の声を上げた。
「買います! 買いますから! お代をお出ししますから! だから他の人には売らないで下さい!」
 言いながらも時速にしておよそ三十キロメートルという彼女の脚は全速力で北に向かい、クスフィスが何か言う間もなく共同倉庫に着いてしまった。ぼんやりした倉庫番はぼんやりとそれを迎えて、閉じかけていた倉庫の扉を開けようとしたらしいが、じれったい気持ちのガザニカが瞬時にそれを押しやって中に飛び込んでしまった。そうして昂奮したガザニカは自分の倉庫の扉を前にすると、哀れな我々の友人クスフィスを放り出してガバッと一息に扉を開けた。凄まじい速度で振り回され投げ出されたクスフィスが、乗りもの酔いに近い気分の悪さを、持っていた薬草飴で癒している間に、ガザニカはおおわらわで中にしまい込んである自分の貯蓄の悉くをクスフィスの前に積み上げて行った。
「これは(もごもご)中を(もぐもぐ)確認(ぐいぐい)しても(ぐりぐり)いいかい(ゴクリ)」
 と、クスフィスが言う間もガザニカは貴重な貯蓄をガンガン外に出して行った。
「どうぞ! どうぞ!」
 なおも昂奮して全財産を継ぎ込まんばかりのガザニカを横目に見ながらクスフィスが、これは節約の為らしく、壺でも葛篭でもない大きな葉っぱの俵に包まれたそれらの荷物を紐解いて見た時には、まったくもって吃驚仰天したのである。几帳面に、大葉を細かい作業に向いていない大きな蟹鋏で編み込んだ中には、ガザニカがオアシスの外の見回りをしている間に蓄えたのであろう水晶砂漠の味覚の幸が、全体数こそ多くはないものの、貴重さで言えばなかなかに大変なものばかりが入っている。仔細に吟味してみると、砂金の果実だの、赤い真珠だの、蛍茱だの、銀風鮭だの、硝子魚だの、豹紋蜘蛛だの、ラムネの実だの、アルビノトリュフだの、水銀茸だの、水晶仙人掌だのがみっちりと詰まっていた。中にはクスフィスが今日一日散々の苦労をして求めていた夢虫も含まれていた。それもこの変わり者の古道具屋の大好物たる夢虫は、果たしてどこから獲ったものか、実に大葉俵三つ分にも及んだのである。これだけの量の夢虫があれば、夢虫酒を毎日思う様呑んでも三ヶ月は不自由するまい。食物ばかりではない。これは服屋ラクネアの娘であるガザニカだから選び出せたのだろうが、水晶砂漠で採れる繊維資源、砂繊維だのグラスファイバーだの煙羅紗だの、そういうものも綺麗に糸巻き棒に巻かれて収まっていた。加えてガザニカは自分の備蓄として溜め込んでいた、オアシスのどこでもとれるような食糧まで運び出した。それでも不安なガザニカはとうとう倉庫の一番奥まった所にしまいこんであったとっておきの家具さえ持ち出したのだ。もっとも、ラクネアを経由して手に入れたであろうそれらの箪笥だのなんだのは総てクスフィスの所で売っていたものなので、欲しくは思わなかったが。しかし、まったく、この内気な少女の貯蓄と来たら驚くばかりであった。
 そうして最後の大葉俵(これも夢虫が詰まっていた)をクスフィスの前に置いたガザニカはいかにも全身の酸素を消費し切ったと言う体でへたり込んで「これで、これでどうにか……」とがっくりこうべを垂れて請願したのである。倉庫の中はもう空っぽになっていた。
「やあやあ、随分溜め込んでるじゃないか。でもね、ガザニカ。一応ボクも仕事だから貰うものは貰うけど、あんまり買いものにこんな珍しいものを惜しげなく出すものじゃないよ。スクラク様みたいになんでもかんでも持ってるものを放り出してものを買えるのはあの方が賢者だからであって、どっちかって言うと君はもう少しラクネアさんを見習った方がいいよ……」
などと、対面上の説教をしておきながら、この貧しく可憐な少女の貯蓄の総てを奪うに忍びないクスフィスは、とにかく今すぐにでも呑みたい夢虫酒の材料を四俵全部に、これも好物の銀風鮭と水晶仙人掌を一俵ずつ、レキカに贈る分としてアルビノトリュフと豹紋蜘蛛を合わせて一俵半ほど貰うことにした。
「まあこんなもんかな。レキカ様にも贈る分があるからね。ちょっと多くなったけど」
「うーん……大丈夫です! 思ってたより安いくらいで……」
鮭はガザニカも好物である為ちょっと残念そうな顔はしたが、そこは商売と割り切ってしまうのがクスフィスである。またガザニカもチェルノボグの民特有の無尽の暢気さと陽気さが残念がる気持ちをすぐに掻き消してしまって、結局、取引は成功したのである。遠慮した上でもクスフィスのそれは随分なぼったくりであったのだが。
「それじゃ、クスフィスさんのお家までお運びしますね」
「やあ、助かるねえ」
そうして、親切なガザニカは貧弱なクスフィス一人ではとてもじゃないが運び切れない大量の報酬を自分の尻から伸びる蟹の甲羅に縄で括りつけて貰って、クスフィスを乗せたまま家まで送ってくれた。今度は安全運転だ。
「それにしても、こんな沢山の夢虫を一体どこで手に入れたんだい?」
 共有区画にあったら乱獲してやろう……なんて浅ましいことを思いながらクスフィスは問う。共有区画にある以上、それはみんなのものだから、教えて貰って取りに行くのは別に構わないのである。見つけた本人が教えたいかは別として。
「砂漠の南西にちょっと行くと、たまに水溜りが出来てるんです。それで、覗いて見たら夢虫がこんなに沢山……」
 無邪気で気のいいガザニカは暢気に教えてやる。
「外かー……取りに行くのはきついな……」
 場所を明かされても、オアシスの外たる水晶砂漠ほど劣悪な砂漠は他にない。ちょっと外に出て、ガザニカの言う場所まで行く頃には、クスフィスの肉体は疲労でぐたぐたになってしまうだろう。砂漠の味覚が貴重なのは、砂漠を歩けるものが少ないからである。
「じゃあ、こういうことにしませんか? 私が夢虫を取って来るんで、それをああいうお守りと少しずつ交換……っていう感じで、どうでしょう。私は夢虫食べないし、あの場所ならいつの季節にも夢虫は採れるみたいだし……」
「うんうん、いいねえ。それなら僕も安心して商売が出来るよ。なんたって夢虫酒ほどの活力源はないからね。お守りから何から、夢虫の入った俵とだったら幾らでも交換するよ」
「ふふ、ありがとうございます……」
 こういう次第で、愉快な古道具屋は大好物の夢虫酒を、恋する少女は思いの叶う魔法を籠められた賢者謹製の不思議なマトリョシカを、それぞれ手に入れた。
 チェルノボグは今日も平和である。



 
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