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「小説」
風合文吾

鋏の音

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 何か、酷く不安で怖ろしげなものに迫られて、この手記を書くに至ったものであるらしい。らしい、というのも、今の私の心理の状態はさながら未開の森林に初めて脚を踏み入れた異邦人のような果てしない戸惑いの中にあって、その心理を詳細に分析することなど凡そ不可能事であるように思われるからだ。ただ、この手記を書くことが何か、何かは分からないが、安息を得る為の唯一の手段であるように感ぜられるのだ。今感じている不安が打鍵の音によって掻き消されていくこと、それだけが今感じることの出来る安らぎであるように思う。外では真昼の晴れ渡った中で夜鷹が鳴いている。そして私の背後――即ち、部屋の西に備えた机の反対側に位置するベッドの下で、幽かな息づかいが聞こえるのだ。それが私の心理を酷く不安定なものにする原因であることは、疑う余地のないことだ。

 初めは些細なことに過ぎなかった。この春、私は転居を予定していて、その為の片づけをしていた。ただそれだけのことであるのだ。もしも私のこうした行動の中に特殊性があったのだとしたら、それは七年前にこの安アパートの一室に越して来て以来一度として掃除をせずにひたすらにものを溜め込んでいた結果――足の踏み場もないどころかゴミの山の上を歩くような惨状――そこに存するとしか考えられない。備えつけのクロゼットは最初の三年のうちに開けなくなった。その前にものが山積しているのである。ベッドの下には、これもやはりものが散乱している。十畳の部屋のうち、使えるのは精々が四畳程度にまで散らかった部屋を一ヶ月後の引越しに備えて片付ける、それはなかなかに難儀なことだった。しかし、やらねばならぬと思って私は数日前から作業に着手した。

 実を言うと今ある不安感に対する前兆がまったくなかったと言えば嘘になる。今年に入った辺りか、或いはその少し前くらいから、私は部屋にいると前頭葉の辺りに何かの違和感を覚えることがままあった。前頭葉に何かいる。そう思っても誰にも話さなかった。普通の人に言えばもの笑いの種になるだけだろうし、かかりつけの精神科医はあまり当てになる人物ではなかった。それに、その違和感は部屋にいる時にしか訪れなかった。外でそれを感じたことは一度もないし、部屋の中でそのような不可思議な感覚を感じても何かしら直接的な害があるわけではなかった。しかし、今にして思えばそれは間違いなく予兆であったのだ。

 掃除を始めた時、私は真っ先に床に散乱する紙屑と布屑とをゴミ袋に片端からぶちこまなければならなかった。その作業は数日を経た今も終わっていない。作業をしている間中、私の脳髄の中には何か言い知れぬざわめきがあった。そのざわめきは雑踏のそれというよりは真夜中の森で感じるような不気味さを纏ったものであったが、私はさほど気には止めなかった。そのざわめきが確実に作業の手を遅らせ、またしばしばそれを中断させることの原因になっているとも、気づいていなかった。考えてみれば、これは私の脳髄に七年間をかけて住みついた何者かの発する作用であったのだ。ゴミの日までが遠く、部屋の中に増えて行く満杯の九十リットルゴミ袋を見ると何か不安を感じた。その不安の在り場は果たして私の脳髄の中であったのだろうか。

 これと並行して、睡眠と食事とに異常が現れた。先に現れたのは睡眠の方だ。不眠症の私にしては気味の悪い程によく寝つけた。これは一日の疲労の所為ではないかと思っていたが、実際の所は呼ばれていたのではないだろうか。その証拠に、私は寝起きが悪くなった。まるで夢魔が私を離すまいとしているかのように頭が重く、滅多に二度寝などしない私はまどろみの中で幾度も寝がえりを打っていた。そして、その半覚醒状態の中で夢を見た。夢の中、私の意識はそこを実家の布団の中だと思っていた。床に敷いた布団に眠っているという実感があったのだ。そして、壁はやたらざらついて、さながら岩窟の壁のような質感を持った群青色のものになっていた。窓があるべき位置には破れ障子があった。これら一切のものを私は夢の中で『自分の実家だ』と認識していたのだが、その実起きてみるとここに語った一切のものが私の実家にはないものばかりであったのだ。第一私は実家でもベッドを使っているし壁紙も至って普通の白いものだし、障子なんてものもない。考えるだに夢の中の光景に既視感を覚えることなどあり得ない筈なのに、何故かそう思ってしまうのだ。そして、目覚めると同時に意識は今いるアパートの中に戻り、肉体はとんでもない量の汗をかいている始末だ。上も下も下着がびっしょりと汗で濡れて、最初の日などはトランクスパンツの違和感から夜尿でもしたのかと思ったほどだ。一度などは一昨年死んだ祖母に呼ばれているのではないかとも考えたが、事実はもっとおぞましいものだった。

 食事の方も段々におかしくなって来た。私は習慣として一日に一食しか食事をとらない。そのスパンに変わりはなかったが、食事量だけは目に見て増えていた。わけもなくコンビニやスーパーで大量の食事を買っては食べ、或いは宅配ピザの店で一番大きなサイズのピザを頼んだことも一度ではない。こういう食生活の為なのかどうかは分からないが、私の全身の筋肉は明らかに退化を示していた。部屋を掃除するだけで数日も続く筋肉痛に苛まれ、この手記を書いている今も脚に痛みを感じている。

 夢は観念的に、食事は現実的に、私の頽廃を示していた。

 この二つの奇妙な変容におびえながら私はまだ作業を続けていた。何かに対する脅迫観念のようなものが私の手を進ませた。それが何に対する脅迫観念なのかは分からない。或いは引越しの期日を迎えるまでに仕事を終わらせねばならないという思いか……或いは四月から帰る実家で起こる新たな生活への不安か……などとあれこれ憶測を巡らせては安定剤を飲んだが、いずれにしても納得の出来る理由ではないように思われた。

 こういう営みの中にあって、私は奇妙な習慣を持つようになった。それは掃除を終えて体力が尽きてしまった後に、まだ片付けていない未読の本を読むというものであった。記憶に残っているもので言えば『狂気の山脈にて』『パンドラの箱』『宇宙からの色』『モレラ』『憂国』『時間からの影』『ダニッチの怪』……そして今日に及んで『アッシャー家の崩壊』、いずれにしても今更初めて読んだことが恥ずかしくなるような古典ばかりであるが、これらのものに私の精神は大分慰められた。

 実を言うと私は得体の知れない不安感の正体が書物の中から紐解けないかと期待してそういうものを読んでいたのだ。ラヴクラフトが多いのは決して偶然ではない。狂気を知るには狂気的作品に触れればよいと考えたのである。そして、その目論みは結果として見事に的中したのである。

 今日、私は溜め込んでいた雑多な本を思い切って捨てようと思ってそれを適当に束ねては紐で縛っていた。その作業は忌まわしいベッドの上で行われた。床はまだ掃除が途中で、かつ昨晩落ちていた整髪料を踏みつけて中から出た泡がカーペットを侵蝕していたこともあって凡そ座る気になれなかったし、何より私は机の脇の本棚をほとんど使わずベッドの周りに最も多く本を置いているのだ。それを束ね、紐を結び、鋏で紐を切る、その作業を何度か繰り返しているうち、ふと、使っていた鋏がなくなった。先に書いたような惨状であるので一度ものを落とすとなかなか見つからない。未だにそれだけのものがここには散乱しているのである。仕方なしに、私は机からもう一つあった鋏を持ち出して作業を再開した。

 先に使っていた、なくした方の鋏は掃除をしていたら出て来た古いものである。斑模様がどういうわけか全体に浮いていた。それは床の掃除をしていたら他の雑多なもの――紙屑やら、服やら、段ボールやら――に押し潰される形で転がっていた。私はそれを――軽薄にも――丁度いいと思って使っていたのである……それも、ベッドの上で。

 そうして作業を続けるうち、何かの音が聞こえて来た。初めは外で誰かが何かをしているのかと思ったが、どうも違う。音は明らかに私の部屋の中……それも、間違いなく私が座っていたベッドの下から聞こえていたのだ。

 それは鋏で何かを切る音に思えた。ベッドの下にもゴミは大量にあり、中には若い頃に買った漫画などもあって、音はそれを切り裂いているように聞こえた。しかし、そんなことは無論、どうでもよいことであった。

 ベッドの下に何かがいる――その事実は、不思議とさほどの驚きをもたらさなかった。私はゆっくりを作業を中断して――と言うか放棄して――机について、ポオの『アッシャー家の崩壊』を読み出した。どういう心理がそこに働いていたのかなど、学者でも医者でもない私にどうして分かろうか。ただ、そうしていると不思議と安心出来たのだ……背後から聞こえる鋏の音が、段々と大きくなって行くのが分かっていながら!

 そこには確かに私の求めていた不安が存在した。

 明らかに――疑うことなど不可能な――異常が、私の部屋に存在しているのである。今、これを書いている現在も、まだ鋏の音が聞こえる。それは果たしてどこにいたのか――少なくとも、私はベッドの下に何かがいると思ったことは一度もないし、今日の今日までベッドの下に何かの気配を感じたことは――否、一度だけ、あった。数年前――詳細は思い出せない――に、ベッドの下に蛇がいると考えたことがある。しかし、それと今ベッドの下にいる存在が同一のものであるかは甚だ疑わしい。関連性があるのかも同様だ。

 今、ベッドの下にいるものは明らかに哺乳類的な姿をしている。猿のようだ。でなければ鋏など使えまい。奴は、恐らくは長く開けていないクロゼットの中に、いつの間にか――私が鍵もかけずに家から出ている間に――入り込んだ『不可視のもの』であるに違いないのだ。しかして、その人間の目には見えない猿は、ぼうぼうと毛の生えた頭部から爛々と光る目で以って私を観察していたに違いない――正確には、私の心理、深層無意識に潜む彼奴の糧になるものを。そして今、私が彼奴の部屋の安息を脅かしたことで姿を現したに相違ないのだ。クロゼットの僅かな隙間から体を平たくして這い出し、ベッドの下に落ちた鋏をザクザク鳴らせている。

 その音が聞こえる度に私の意識は焦燥と暗澹と憂鬱と混迷に染まって行く。それがまた彼奴の糧となるものであるらしい。彼奴は喜ぶように鋏をザクザクと鳴らす。それがまた精神を不安定にする。彼奴は私には決して知覚出来ないような方法で私の脳髄を覗いているのだ。その残滓が、恐らくは今感じている不安であり、そして少し前に感じていた前頭葉の違和感でもあったのだ。事によると、私が狂った原因も彼奴と、いつからかは分からないが、同居していた、その作用であるのかも知れない。

 彼奴を追い出す方法は分からない。また、彼奴が私をどうしたいのかも分からない。だが、怖ろしさ――異常な不安感を伴う恐怖――その為に、私は今振り返ることが出来ないでいる。真後ろでは鋏の音が段々と速くなって行くのが聞こえる。まるで贄を捧げろとでも催促するように、『不可視のもの』は私の精神を削って行く。もしも彼奴のいるその上で眠りについたとして、私は目覚めることが出来るだろうか。不安は遂にその一点に収斂した。今夜は決してベッドに近づかず、見ることも控えて、一晩中書物の世界に耽溺しよう。私が何かしらの解決方法をそこから見出すことが出来るまで、決して睡眠薬は飲まないようにしよう。そうして疲労で倒れたその瞬間、ようやく私は彼奴への恐怖から逃れて安眠出来るだろう。そうでなければ、彼奴は何度でもあの怖ろしい夢を私に見せ続けるだろう。そうして焦燥の汗をかいた私の心理を嘲笑うのだ。反発せねばならない。彼奴の餌になる前に、解決をしなければ……。

 ……ああ、前頭葉に何かいる……。





 
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